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【鈴木あいれインタビュー】「『日常に確かに存在はしているけれども、あんまり注目することがないもの』を見たい」

インタビュー企画「街場のクリエイターたち。」のお時間です。第7回のクリエイターさんは、コメディ劇団「コメディアス」の代表・演出家の鈴木あいれさんです。

クリエイター:"コメディ劇団代表・演出" 鈴木あいれ

東京を中心に活動されているコメディ劇団です。

2022年には、VRchat上に舞台をつくって、仮想空間で演劇をする「VR演劇」を上演されたり、舞台上の大箱から役者たちが脱出を試みる「開封コメディ『キャッチミー開封ユーキャン』」など、革新的な演劇を数多く手がけておられます。

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「コメディの稽古場inVRChat」
日時:2月23日〜25日、各回21時〜23時
場所:Drama Hall(VRChat)
参加費:無料
短いワンシチュエーションコメディをみんなで演じてみるワークショップです。
台本は持たず、エチュード(即興)で起きたことを劇団のノウハウも交えてブラッシュアップすることで楽しみながらコメディの演じ方について考えます。
詳しくはコメディアスのホームページ(https://come-dias.com/) またはTwitter(@come_dias)をご確認ください。
演劇をはじめてみたい方、コメディ好きな方大歓迎です、ぜひお気軽にお申し込みください!

コメディとは、演劇とは、幅広い内容でお話を伺いました! それではどうぞ。

*インタビュー内では、一部、演劇の内容に言及している箇所があります

(インタビューは、2022年11月、オンラインで行われました)



イントロダクション

やひろ:どうも、すみません、お忙しいときに。

鈴木:いえいえ。先日は、コメディアス演劇「キャッチミー開封ユーキャン」ご来場ありがとうございました。

やひろ:こちらこそ、呼んでもらえたのはありがたかったです。ありがとうございました。今回はご招待をいただいたんですけども、これまであんまり演劇を見る機会がなかったので、すごく刺激的な時間になりました。

鈴木:へえ、そうだったんですね。

やひろ:小さいときに、たとえば学校の遠足とかで劇団四季の公演を見たり、というのはありましたけど、経験としてはそれぐらいです。規模感というか、どういうところで上演するのか、というのもあんまりわかってなく。

鈴木:まあ、普通の人はそうですよね。


劇団設立まで

演劇部時代の稽古の様子。24時間使える稽古場に舞台装置を長期間立て込んで稽古をしていた。

やひろ:いつごろ、劇団を立ち上げられたんでしょうか?

鈴木:劇団が公式に立ち上げと言っているのが2015年の11月です。だいたい設立から7年ほどでしょうか。大学時代に立ち上げました。演劇のサークルのひとつの集まりというか、ユニットのような形ではじまりました。

やひろ:もともと、演劇の盛んな大学だったんですか?

鈴木:東北大学の演劇部です。人数が多く、わりと層が厚いというか、何年いるのかよくわからない先輩が何人もいる、みたいな感じでした(笑)。たぶん、名簿上だと50人ぐらい所属してたんじゃないかと。よく顔を合わせる人でも30人ぐらいはいるという規模感だったので、けっこう活発な部活ではありました。

やひろ:それは、演劇専攻ではなく、あくまでも部活動なんですか?

鈴木:完全に部活です。例えば早稲田大学のように、演劇部の名門というわけではなく、普通の部活動なんですけど、演劇部が独占して使えるプレハブ小屋があったんですよ。

なので、練習場所の問題を気にすることなく、24時間稽古したいだけできるみたいな環境がずっと受け継がれてきてたので、育つ素地はあったのかなあ、と思います。

やひろ:部員のみなさんは、それまでに演劇の経験ない方も多かったんですか?

鈴木:私含め、大学からはじめたっていう人が8〜9割です。

やひろ:50人いる部員の中の役割はどうなってたんでしょうか? 俳優さん以外も含めての50人ですか?

鈴木:大学の演劇部って、この人は俳優、この人はスタッフ、というふうに完全には分けてないんです。だいたい兼任していて、この公演ではこの人は俳優だったけど、次の公演では舞台装置作ってます、というパターンも多いです。

演じさせたらめちゃくちゃうまいし、舞台装置を作らせてもいい仕事する、みたいなマルチな人もいるので、あんまり線引きはしてないんですよね。まあ、そういうチームでやってました。

やひろ:みんなプレイヤーもやるし、裏方もやるし、みたいな感じなんですね。

鈴木:もちろん中には、おれは音響一本でやるんだという人や、役者を突き詰めてやるんだ、という人もいましたが。

やひろ:その中でも脚本や演出はわりと専門的な領域だと思うんですが、そのあたりはどうなんでしょうか。あいれさんはコメディアスでは脚本・演出をされてますけど、大学時代は演技もされてたんですか?

鈴木:最初入部したとき、じつは俳優がやりたかったんですよ。大阪出身なんですけど、高校時代に友達と漫才コンビ組んで漫才やったりとかしてたので。最初の一年ぐらいは役者をしてました。

やひろ:途中で脚本書くのも楽しそうだな、みたいな感じで転向したんですか。

鈴木:いきなり最初から脚本じゃなかったんですよ。一番最初は、ほかの作家さんが書いた脚本を演出するところからはじめました。いわば、原作アリの状態ですね。



形に残る「モノ」じゃない、ものづくり

やひろ:なるほど。でも、演劇の脚本って、直接観客の目に触れるものじゃないんで、ちょっと不思議な感じがしますね。

僕は小説とか音楽を書いてるんですけど、やっぱり「形に残る」というのが好きでやってるところがあります。演劇をやられている方って、公演が終わったらいったん「終了」してしまうわけで、どういう気持ちなのか、というのは以前から気になってました。

寂しい気持ちなのか、それともこれで一応完成したというか、やり切った気持ちになるのか。

鈴木:そうですね。これは私が演劇部に入ったとき、4年生の先輩が言ってた言葉なんですけど、「公演が終わったら、私が演じたこのキャラクターは死ぬんだ」と言ってました。演じたキャラクターのセリフを言うことはできるけれど、戻ってくるわけではないんだ、と。

どういう意図でそれを私に言ったのか、真意は定かではないんですけど、演劇ってそういう刹那性があることは確かです。

やひろ:そうですよね。やっぱり終わるときには、それ相応の心の持ちようっていうのがあるんでしょうね。

鈴木:そうですね。


演技とは、役を「憑依」させることか?

『段差インザダーク』にて考古学者と出資者を演じている役者。

やひろ:僕は演劇は全くやったことがないので、想像することも難しいんですけど、何かを演じるってどういう感覚なんでしょうか。自分以外のものが「憑依」する感じなんですかね。

鈴木:役者にはいろんなタイプの人がいます。もちろん憑依するタイプの人もいれば、計算でやっている人もいます。

やひろ:
演劇の歴史みたいなものを辿っていくと、最初は祭りごとというか、神がかりというか、要は「神」を自分の中に下ろしていた、という宗教的なバックグラウンドがあります。

もちろん当時の人は本気でやってたんでしょうけど、「演じる」ことと「憑依させる」ことってイコールなのか、それとも別物なのか、という疑問はあります。

鈴木:私がよく役者さんに聞くのは、演技してくれたあとに、「岩崎航(俳優)的にはどう思った?」っていうコメントを引き出したあとに、「今回の役としてはどう思った?」というのを聞くようにしてます。

その意見が一致していることもあるし、一致してないこともある。役が憑依しているというよりは、役者の中に派生した別の人格が生じているような感覚で扱ってますね。

やひろ:矢沢永吉がたまに言ってる、「俺はいいけど、YAZAWAがどうかな?」みたいなやつとちょっと似てる気がしますね(笑)。あれって、矢沢永吉個人としては問題ないけど、みんなが認識してる「YAZAWA」的にいうとアリかどうか、みたいな話だと思うんで。

鈴木:そういうのはありますよね。



いまの劇団員のこと

やひろ:コメディアスの話に戻します。もともと東北大学で作られたユニットで、いまは東京を拠点に活動されているわけですが、いまのメンバーの方々で当時のメンバーはどれぐらいいるんでしょうか?

鈴木:いまのメンバーはみんな、当時からいるメンバーです。当時いなかったメンバーは、いま広報などをしてもらっている、萩原ぎんいろさんだけなんですよ。

やひろ:あ、そうなんですか。でも、東北大学演劇部はかなり人数が多くて、当然コメディアス以外の人たちもいっぱいいたと思うんですけど、全員がいまもやってるわけじゃないですよね。

鈴木:ちょっとややこしいんですけど、東北大学の演劇部員は40〜50人ぐらいで、コメディアスとして活動していたのは、その中の15〜20人ぐらいでした。あんまり線引きはハッキリしてなかったんですけど、だいたいそれぐらいの人数でした。

やひろ:でも、最大派閥ではあった、と。

鈴木:そうです。なので、2015年11月に独立して、ひとつの団体になりました。コメディアスという名称は実は2014年から使ってたんですけど、独立したのがその時期なので、建国記念日にするか、という話はしてます(笑)。

やひろ:すごいですね。最大派閥を率いていたというだけで、素晴らしいリーダーシップだと思います。仕事ならまだしも、無報酬のなか、人を引っ張っていったりまとめたりするのってかなり大変だと思うんですけど、そのあたりはいかがですか。

鈴木:いや、めちゃくちゃ大変です。いまも正解はわからないです。

やひろ:みなさん、それぞれ本業というか、仕事をしながら活動されてるのでしょうか。

鈴木:そうですね、仕事しながらやってます。週末とか、夜の時間を使ってますね。

やひろ:いまは公演が終わって少し経ちますけど、活動は続いてるんですか?

鈴木:そうですね、むしろ公演してるときと同じぐらい忙しい、みたいな状態が続いてます。いかに持続可能なペースで走り続けるかが大事、というのは社会人になってから学びました。

やひろ:みなさん本業はバラバラなんですか?

鈴木:まあバラバラですね。多少は時間に融通がきくほうがいいんですけど、みんな普通にフルタイムの会社員をやってますね。あんまり時間に都合がきかない人が多いです。


顔の見えない「演劇」

『キャッチミー開封ユーキャン』はこの箱の中から90分かけて脱出する異色の劇であった

やひろ:そんな中作り上げられた「開封ユーキャン」、すごい面白かったです。あれは「密閉された箱の中から、なんとかして脱出する」っていうコンセプトのコメディだったので当然なんですが、俳優の顔が最後のほうまで見えない、っていう設計がなかなか衝撃的でした。あれでちゃんと笑える劇になるんだ、っていうのが。

鈴木:そうですよね。私も面白くなるとは思ってたんですけど、お客さんの反応がどうなるか、事前には全然読めなかったです。何年も劇を作ってると、ここでこういうふうなリアクションだろうなというのはおおむね掴めるんですけど、今回はちょっとわからなかったですね。

やひろ:そうですよね。とりあえず、腕だけ出てる状態でも演技ってできるんだな、というのは驚きでした。もちろん、今までの積み重ねがあってこその演技力だとは思うんですけど。

あと、謎解きの要素が強いところもよかったです。いま、ちょっと流行ってるじゃないですか。

鈴木:脱出ゲームみたいなやつですよね。

やひろ:そう、脱出ゲームみたいな。僕も先日、プライベートで行ったんですが、一緒の組の人がかなりフリークで、相当通っているような感じでした。なので、そういうのっていま流行ってるんだなと実感したんです。

そういう概念が一般に浸透してきていると思うんで、まあ観客は謎解きをする当事者ではないですけど、どういう状況でこうなってるんだろうとか、どうやってこれを開けるんだろう、っていうのは、実際に役者さんたちと一緒に解いているような感じがして面白かったですね。

別売のパンフレットも購入して拝見しましたが、制作する経緯のメモとかもあり、なかなか興味深かったです。「箱から足が出てきて歩く」みたいなアイデアがあったりとか。

鈴木:そんな細かいところまでよくご覧になってますね(笑)。それ、見た目が面白いんでやりたかったんですけど、ボツになりました。重量とか結構あるので、難しかったんですよね……。


「枠」を乗り越える

やひろ:ちなみに僕が一番面白かったのは、役者さんたちが入っている箱に実は全く知らない人間がいるということがわかって、一人がピンチになっているときに「助けるぞ!」って言いながら、そのときたまたま持っていた重りみたいなのをブンブン振り回して助けるっていうシーンでした。

あれは面白かったです。それまで、手探りでいろんなものを知的に解決していく雰囲気だったのに、急に解決方法が原始的になって(笑)。

それまで謎解きの道具であった磁石つきのヒモが、急に武器へと変わる。

鈴木:あれ、いいですよね(笑)。

やひろ:やっぱり笑いって、こちらの想像を超えてくるのが面白いんだと思いました。思いもよらない攻撃方法だったんで。

鈴木:実は、そういうのはどの劇でも入れている、結構重要な要素だったりします。劇って、「こういうことはさすがに起きないだろう」っていう無意識のルールみたいなのを、お客さんが勝手に作りながら見てるんですよね。

昔見た演劇で、ジェット噴射みたいな装置を役者さんが背負って、ワイヤーで空中を飛んで登場するみたいなシーンがあって。

やひろ:すごい大掛かりな。

鈴木:場面としては、兵士たちが上司から逃げているみたいなシーンなんですが、その上司が「お前らー、コラー!」とか言いながらジェット噴射で飛びながら追いかけてくる、と(笑)。

そのときの作家さんが言ってたんですけど、漫画だとあんまり面白くないそうです。漫画だと、ジェット噴射で飛んでるっていうのは「起こってもいいルールの範囲」に入っちゃうんですけど、まさか演劇でジェット噴射っていうのはなかなか想像できない。

あの「重りを使って攻撃する」というシーンも、普通に物理的な攻撃ですし、それまではわりとソフトタッチにものを切ったり、ひっかけたりというような細かい手先の動きをやってる中で、あの攻撃は結構予想外な動きにできるなと思ったんで、ウケてよかったです。

やひろ:演劇って、どれだけリアルなものであっても、「嘘」が前提で、その枠の中で作っていくものなんで、観劇するときは「枠」を作らないと見ることができないんでしょうね。でも、それをあえて逆手にとる、と。

鈴木:演技のトーンに対しても同じようなことを心がけてます。全編ちゃんと台本にセリフが盛り込まれてるんですけど、ちょっとアドリブっぽいセリフもあえて台本に入れておいたりするんですよね。

そうすると、今までの役者のセリフとは違う、生っぽい声のように聞こえて、そこで笑いが起こるというか。それまでのルールを壊しにいくという感じです。

やひろ:僕はあんまりテレビを見ないんで、お笑いというか、漫才なども含めてあんまり馴染みがないんですけど、よくテレビで対戦形式の漫才みたいなのあるじゃないですか。

ああいうのって、みんなすごい練習してて、台本通りにやるからちょっと予定調和的になっちゃうところもありますけど、そこから外れたものが出てくると急に面白い、というのはありますよね。

鈴木:そうですね。



なぜコメディを選んだのか

やひろ:いろんな演劇ジャンルがある中で、コメディを選択した理由はなんですか?

鈴木:これは理由があります。結果がハッキリわかるからですね。

やひろ:結果がわかる?

鈴木:コメディだったら、面白かったらお客さんは笑いますし、面白くなかったら笑わないじゃないですか。私はもともと理系の人間なので、ハッキリと結果のわかる実験じゃないと意味がない、という考え方です。

公演でちゃんとウケてたら成功、という具合に評価がしやすいので、コメディが私にとって一番簡単だったんですよね。

やひろ:なるほど、面白い着眼点ですね。確かに、感動してる人って見た目だけだとわかんないですもんね。

鈴木:もちろん、ハンカチで目頭を押さえたりしてくれたらわかりますけど、そこまでは普通はやらないですから(笑)。観客がどう感じたか、って測るのが難しいんですよ。

やひろ:でも、コメディを作るのに難しさはないんですか?

鈴木:どうですかね。コメディを作るのは簡単ではないですけど、他のジャンルと比べてどうか、と言われると、私はほかのジャンルよりは簡単なんじゃないかと思ってます。



「笑わせる」のではなく、ピュアにものづくりをしている

やひろ:でも俳優さんの力量によるところも当然あると思いますが。俳優さんの力量がなかったら大変だとか、そういうのもあるんでしょうか。

鈴木:俳優の力量という意味では、うちの劇団って、実際のところあんまりないんですよね。年間何本も大きな舞台に出演してたり、有名な劇団に所属してたけど独立しましたみたいな人とか、単純にもっと若いときから俳優やってますみたいな人は力量がものすごくあるので、俳優ひとりが「魅せる力」があるんですよね。

うちの俳優は、個人個人としてはあんまりそういう能力はないんですけど、長所は「素直なところ」だと思ってて。

やひろ:素直なところですか。

鈴木:私はもともと大阪にいたときは漫才なんかもやってたんですけど、何をやったら面白いとか、どう見せたらお客さんを笑わせられるのか、みたいなのは結構頭の中で計算しちゃうタイプです。

が、全部計算でやってる人が舞台に立つと、「笑わせよう」っていう意識が前面に出過ぎちゃうところがあります。漫才だったらまだいいんですけど、演劇となると、ちょっとアクが強くなっちゃうというか。「今からお客さんを笑わせてやるぜ」っていうモードになっちゃうんですよ。

うちの俳優たちって、そうやって「笑いを取りにいく」というところから俳優をはじめたわけじゃなくて、一緒にものづくりをするのが楽しいっていう、わりとピュアなところから入っています。なので、そういう「笑い」に精通してる俳優は少なかったりするんですよ。

やひろ:なるほど。

鈴木:むしろ、そこに助けられている感はありますね。



主役は「モノ」

『段差インザダーク』では、「段差」と「重いドラム缶」を起点に創作が進められた。

やひろ:コメディアスさんの特徴として、舞台装置とか設定が凝ってるものが多いですけど、全体の仕掛けみたいなのがまずあるので、そこに対して個性を出しすぎないほうがかえって仕掛けをうまく利用できる、みたいなところがあるんですかね。
 
鈴木:そうですね。まず、うちの劇って「主役がモノだ」っていう認識があるんですよ。オブジェクトが主役で、役者はそのオブジェクトを際立たせるツールのひとつ、という認識です。
 
やひろ:今回の劇でいうと、まず「人が入っている箱」があって、それを「どうやって開封して、出てくるか」っていう設定ですよね。となると、やっぱり道具がカギになるんですかね。どういうシチュエーションで、どういう道具を使っていくか、っていう。
 
鈴木:はい。
 
やひろ:今回の劇で面白かったところとしては、顔が出てこないのもそうなんですが、そもそも名前も出てこないんですよね。名前も顔もわかんない状態でどんどん進行していく、っていうのが新鮮でした。 

鈴木:実はコメディアスの劇では、名前が出てくるほうが少ないです。
 
やひろ:そういう作劇の仕方なんでしょうか。そう考えると、以前の作品(VR演劇)の原作の「さとだ」さんの作品も、名前が出てこないですよね。

さとださんの作品って、漫画なんですけど、固有名詞がないんですよ。出てきても、アルファとかベータとか、そういう代数みたいなやつばっかりで。
  
鈴木:確かに、言われてみるとそうですね。さとださんの作品は、世界感重視みたいなところはありますね。登場人物は一応便宜上出てくるけど、世界観を際立たせる存在みたいな。



自然に感じたら、笑えない

やひろ:設定といえば、僕が唯一それなりに見てるお笑いが、「東京03」のコントなんですよ。あの人たちのコントは例外的に結構見てて、好きなんですけど、設定が毎回凝ってて、演劇みたいな感じで進行していくんですよね。
 
鈴木:YouTubeとかでも動画あがってますよね。
 
やひろ:昔、その「東京03」関連で不思議なことがあって。

僕は数年前、中国に住んでたことがあるんですけど、日本語が得意で、お笑い好きの中国人の友人に東京03のコントを見せたことがあるんですよ。でも、全然ウケなかったんです。

もちろん日本語が堪能なので、内容が理解できなかったということではない。でも、面白くはなかったようです。なんでなんだろうと思ったんですけど、東京03のコントって、「空気」をうまく使ってるところがあるので、「日本の空気」みたいなところがわかんないと、笑えないのかもしれないですね。

鈴木:ああ、確かにそれはあるかもしれません。
 
やひろ:東京03のコントっていろんなパターンがありますが、鉄板のパターンとしては、まず角田が「ウザいキャラ」をやって、それを飯塚がキレ芸でツッコんでいく、というのがあると思います。

角田の演じるキャラが絶妙で、もちろんコントだから誇張されてるんですけど、「ああ、こういうウザイやつっているよな」って、観客の身の回りでも一人はいそうな感じのキャラ設定になってます。でも、もともとそういう人が当たり前にいて、それを「ウザイ」と感じない国で東京03のコントをやっても、面白さは感じにくいんでしょうね。

さっき「枠を壊す」という言葉が出ましたけど、「こういうやつ、いるよね」というのも枠じゃないですか。日常だと「こういうやつ、いるよね」で終わっちゃうけど、お笑いは非日常だから、それを飛び越えていくこともできる。

なので、笑いを突き詰めていくと、当たり前にそこにあるものを再認識させてくれる効果もあるんじゃないかと。

鈴木:そうですね。私が以前から思っているのは、コメディにおけるボケとツッコミっていうのは、電気系でいうと「電位」に近い考え方だと思うんですよ。

電位は一点では決められず基準となる位置があって初めて定義できますが、ボケもボケ単品では面白さが決まらなくて、その空間での常識があって初めて定義可能なところがあります。 なので私がよく劇をつくるときに、「常識のライン」を決めることを「アースをとる」っていう言い方で例えています。

「最初に0電位を定義してそこより高電位であればそのぶんのエネルギーによって電流が流れる」のと「最初にその空間での常識を定義して、そこからのズレ分がボケのエネルギーとなって笑いが起こる」という構造は同じだ、という考え方です。

やひろ:わかるような、わからないような(笑)。

鈴木:外国の人からすると、おそらく「日本の普通」というのがわからないんだと思います。

たとえば、「こういう嫌なやつ、いるよね」っていう内容だったとします。嫌なやつっていうのは、つまり一般常識に照らしたときにちょっと外れた行動をする、迷惑な人っていうことじゃないですか。でも、その「一般常識」は日本と中国ではもちろん違うし、それどころか家庭ごとにも違ってくる。

日本では「嫌なやつ」だったとしても、中国では「普通」だったとしたら、笑いにならない、そういう構造があるんでしょうね。

やひろ:
確かそのとき見せたのが、ハワイ旅行に行っている設定で、豊本が風邪を引いちゃって、最後の日はもう遊べないみたいな状況になったとき、どうしてもビーチに行きたい角田が駄々をこねる、っていうコントだったんですけど。

そのあたりの常識の感覚が、中国人と違ったんでしょうね。中国人からしたら、別に看病しても仕方ないから元気な二人だけで遊んでくればいいんじゃない? っていう合理的な感覚だったのかもしれません。

いわゆる「電位の差」は生まれなかったようです。

鈴木:その中国の方としては、角田の行動は自然に映ったのかもしれないですね。なんで止めようとすんの? そっちが変じゃない? っていう逆転現象が起きちゃうと、確かに笑えないかもしれないですね。

やひろ:そう考えると、発信側と受信側の共通認識って一番大切だし、難しいところですね。って、すごく理論的な話ですね、これ。

鈴木:そう、めっちゃ理詰めで考えられるんですよ。

やひろ:コメディってむしろ感覚的なアプローチで作っているのかと思ってたんですが、理詰めで作っていくアプローチがあるのは目から鱗ですね。

鈴木:もちろん全部がそうとは言いませんが、ある程度のところまでは理屈で作れると思っています。



「元気に」演じる

やひろ:あと、コメディアスの劇をみて思ったのは、「一生懸命やってる人たち」を見る面白さです。

「開封ユーキャン」って、箱から脱出するっていうコンセプトですけど、役者さんたち必死じゃないですか。でもだからこそ面白い、というのはありますよね。ちょっと冷めた感じで、淡々とやられても笑えないので(笑)。

困難な状況に一生懸命取り組んで、そのうえで失敗したり、状況が悪化したりするのが見ていて面白いんでしょうね、きっと。

鈴木:俳優の演技指導で大切にしているのは、「下手でもいいから元気にやろう」っていう、小学生の目標みたいなことです(笑)。本当に、7年間ずっと言い続けてる気がします。

演技が下手でも笑えることはあるけど、元気のない演技で笑えることはないから、ってよく言ってますね。

やひろ:そうですね。元気さがないと面白くなりにくいですよね。あとは、やってる人たちの素直さとかも面白さにつながってそうです。

鈴木:まあ、元気にやろう、っていうのがそもそも素直さだったりします。


次回作の構想

記録コメディ『KEY LOCK』より、「マグネットお絵描き」で暗号を記録する人。

やひろ:次回作の構想はあるんですか?

鈴木:大きめの規模の公演でいくと、昔やった劇を再演しようと思ってまして。

これも脱出系なんですけど、壁に記号が書かれてて、その記号を記録しながら暗号を解く、という「記録コメディ」をやろうと思ってるんですね。

その「記録」も、みんながペンと紙を持ってるわけではなくて、たとえばテープレコーダーを持っている人がいたり、お絵描き用のマグネットボードを持ってる人とか、スタンプのインクだけを持ってる人とか。

そうやって、それぞれバラつきのある記録アイテムを持ってて、協力し合いながら暗号を解いて外に脱出しよう、っていうコメディです。

やひろ:面白そうですね。

鈴木:これは初演のときにもなかなか反応がよかったので、ちょっとブラッシュアップしてもう一度やりたいなと思っています。

どうやったらもっと面白くなるのか。例えば、記録アイテムで「テプラ」を出したいな、と。舞台上でテプラをぽちぽちやって、文字を記録していく様子を見てみたいので。

やひろ:まず仕掛けから考えていくんですか? 脚本とかじゃなく。

鈴木:脚本を書くのは最後の最後です。一番最初に考えるのは、「舞台上で何をお客さんと見たいか?」っていうところなんですよ。今回の「開封コメディ」でいうと、箱が開かなくて役者が困っているっていう状況をお客さんと見れたら面白いんじゃないか、と考えたのが発端ですね。

やひろ:映画やアニメとかだと、絵コンテに先立ってイメージボードみたいなものを作って、「こういうシーンを描きたい」というのを逆算して物語を組み立てていく手法がありますけど、コメディでも、そうやってシーン重視の作り方があるんですね。

鈴木:見たいシーンを突き詰めていくと、わりと日常的なコメディに行き着くことが多いんですね。「日常に確かに存在はしているけれども、あんまり注目することがないもの」をみんな見たいんじゃないか、というのを信じてます。

別に凝ったシチュエーションじゃなくとも、たとえば世に出ている「ラブコメ」がウケるのは、人の恋愛って確実に存在しているけれども、あんまり他人のそれをじっと見つめる機会ってないからだと思います。サスペンス然り、どういうドラマでもそうだと思いますね。

人は「あるけど見えない」ものを見たがる性質があると思うんですよ。日常では、「進行中のもの」ではなく、「記録した結果」を見ることが多いと思います。たとえば、「今日の話は議事録をとったので、読んでおいてください」みたいな。

記録しているプロセスそのもの、たとえば「この人、いまミスタイプしてバックスペース押した」みたいな部分までじっと見る機会ってないじゃないですか。結果よりもプロセスをそのまま見たいという欲求が私の中にあって、それを演劇で具現化しようと思ってます。

やひろ:なるほど。結果だけじゃなく、プロセスの中で人は失敗もするし、うまくいかないこともある。それを一緒に観客に追体験してもらいたい、みたいなことですか。

鈴木:そうですね。

やひろ:確かに、考えてみると、たとえば近所を歩いてても、家の外観はわかっても、家の中がどうなってるのかってわからないですからね。隣の家の内装がどうなってるのかな、ってちょっと気になりますもんね。

鈴木:あんまり褒められたことじゃないんですが、たまに引っ越しとか大掃除とかで家の中が見えたりすることがありますが、つい見ちゃうんですよね。

やひろ:コメディを通じて、普段は見れない、他人の実体が垣間見れる面白さ、というのはあるかもしれません。いま、今日のお話の芯を食った気がしています(笑)。

ちょうど今日の話なんですけど、六本木ヒルズでやってる「冨樫義博展」に行ってきたんですよ。同じフロアで「ベルサイユのばら」の展示もやってたんですけど、道に迷った背の高い男性がいて、警備員の人に道を訊いてたんですけど、その人は「ベルばら」目当てだったんですよね。

もちろん好みはそれぞれですが、どういう経緯で好きになったんだろう、というのが気になりました。そういうふうに、「他人の日常を覗いてみたい」という欲求は確かにあるかもしれませんね。

鈴木:わかりますね。その感じ。



演技を間違えた場合は、どうなるのか?

やひろ:ちょっと話を演技のところに戻します。以前から気になってることがあるんですが、もし俳優さんがセリフとかを間違えたら、何が起きるんですか?

鈴木:うちの劇に関して言うならば、セリフを間違えてもたいしたダメージにはなりません。ただ、セリフは間違えてもいいけど、たとえば小道具のハサミを落とすと致命的です(笑)。だから、ハサミは絶対落とすなよ、と言ってます。

やひろ:ああいう仕掛け重視の劇で手順ミスったら大変ですよね。今回はそういうトラブルはなかったんですか?

鈴木:いや、ありましたね、全然。

やひろ:あったんですか。でもうまく拾えれば、それも笑いには繋がりそうですけどね。

鈴木:そうなんですよ。でも一応、セーフティネットは何重かにはかけてあります。こうなったらこうカバーしよう、と。

やひろ:よく聞く話だと、役者がセリフを間違えてトチっちゃったら、トチったと見せかけないためにそこからアドリブがはじまっていく、という話を聞いたことがあります。

鈴木:そういう意味ではうちもそうですね。いくらトチっても舞台は止まらないので、そこからいかにリカバリーするか、という。そのへんの対応は、うちの俳優はみんなうまいです。


劇団のこれから

ダクトコメディ『アネモスタットの点検』より、ダクトの中を這いまわる役者たち。


やひろ:
劇団の方向性として、最終的にはどういうところを目指されているんですか?

鈴木:最終的に、という到達目標は難しいです。なので、一応「中期目標」はあります。

大学の卒業公演で「ダクトコメディ」っていうのをやったんですよ。今回の「開封」みたく、ダクトの中を俳優が這い回るというコメディなんですね。

舞台の壁中に配管を張り巡らせて、その中を匍匐前進で俳優が動き回る劇なので、舞台装置をかなりしっかり組まないと稽古すらできないんですけど、現状はそれをやるお金がないので、それが実現できるほどの知名度と集客力をつける、というのを中期目標にしてます。

やひろ:大学のときは、大学の資源を使ってできた、ということですか?

鈴木:そうです。大学時代は、それこそ24時間使える練習場所があったので。時間も、半年ぐらいかけて準備しました。そういった環境と、時間だけはありあまってたんで、なんとかなったという感じですね。

やひろ:いまの稽古はどういうところでやってるんですか?

鈴木:いまは、広い場所を必要としない稽古なら、私の家の六畳間で稽古してます。それ以外は、知り合いの家のガレージを間借りしたりもしてます。

やひろ:その、舞台装置がないと練習さえできないという点では、今回の「開封」もそうだったと思うんですが。

鈴木:そうです。ただ、今回は舞台装置がないと稽古ができないという制約はあったんですが、使ってるモノ自体はそんなに大きくないので、なんとかなりました。

やひろ:ひとつひとつの小道具的なものが大きくはない、と。

鈴木:小道具もそうですし、舞台装置自体も、まあ六畳間に置けるサイズではあるんです。

やひろ:なるほど。

鈴木:ただ、ダクトコメディとなると、なかなかそうもいかず。壁一面にダクトが組まれているので、毎回これをバラバラにして組み立てる、っていうのができないんですね。

そうなると、たとえば倉庫をレンタルして、数ヶ月置きっぱなしにする、とかになると思うんですが、そんなことをする資金がない、というのが現状です。

やひろ:コメディアスさんの場合、知名度とかお金が目的じゃなくて、まず明確に「やりたいこと」が先にあって、それを実現するために知名度やお金が必要、というスタイルが一貫してて素晴らしいですね。

鈴木:まあ、経営者として見たらダメだとは思いますが(笑)。

やひろ:でもチームメンバーは、そうやってやりたいこと先行で動いていくリーダー、そのパッションについてきてるんじゃないですか。

鈴木:そうですね。なので、やりたいことがある限り、みんなついてきてくれてますね。ありがたいことです。

やひろ:その情熱は素晴らしいと思いますよ。僕、知り合いのクリエイターと話してると、クリエイティブの話からだんだんお金の話になっていきますから(笑)。

鈴木:コメディアスの人はお金のことを考えなさすぎるから、もっとちゃんと考えなさいってこないだ言われました(笑)。

やひろ:まあそうですよね。でもやっぱりお金はあくまで手段であって、やりたいことが先、というのは至極まっとうだと思いますけどね。

鈴木:長期的には、やりたいことを実現する時に、「お金」が理由であきらめるようにはなりたくない、と思ってます。

やひろ:いま、世の中のクリエイティブの多くは低コストで実現できますけど、演劇は現実のコスト負担は避けられないですからね。

鈴木:そうなんですよ。この21世紀において、生き残ってるのが不思議なぐらい、お金がかかるので、それにかける労力と無駄がすごく多いんですよね。あと、どこまで作り込んだとしても、公演が終わったら廃棄しないといけないので。

やひろ:クラウドファンディングをやって、小道具を返礼品にしたらいいんじゃないですか? たとえば、10万円寄付してくれたら、劇で使ったハサミあげます、みたいな。実際にはそのへんで買ったハサミかもしれないですが(笑)。

鈴木:確かに。

やひろ:どれだけデジタルが当たり前な世の中になっても、演劇は物理的なモノが絶対に必要になりますからね。

映画とかは、CGとかを使ってコストが安くなったりはしてますが、演劇はその場に現実に存在しないとできないですから。あ、でもVR演劇は例外ですか。



VR演劇について

鈴木:VR演劇に関しては、うまく棲み分けできたらいいな、と思ってます。現実の演劇でやっていきたいことはまだまだありますが、VR演劇という新たな表現方法が加わったことで、手段が一個増えたことになるので、単純に儲けだなと思いますね。

やひろ:そうですよね。先日上演された「さとだ」さんの演劇はコメディではなかったので、VRでも本格的なコメディが作れるといいですね。

ただ、先ほどの「概念の共有」の観点からいくと、VRの空間でどうやって笑いをとっていくか、その共通認識をどうとるのか、というのは課題かもしれませんが。

鈴木:そうですね。コメディに限らない話だとは思うんですが、VR演劇で難しいのが、物理法則さえも自由だという点なんですよ。

現実の舞台だと、ハサミから手を離したら床に落ちますが、VRだとそれすらも、「落ちない」ということにできますから。なんでもありだからこそ、「常識の共有」をゼロベースで丁寧にやらないといけない、というのはありますね。

やひろ:たしかにそうですよね。なんでもできちゃうんでしょ? って観客の人が思っちゃったら、笑えなくなっちゃいますもんね。

鈴木:そうなんですよ。こないだ上演した、さとださんのVR演劇「うたかたのひび」でも、「舞台」というのをわざわざ設定して、たとえば袖の幕なんかも舞台とちょっと被っちゃうんですけど、あえて残してあるんですよ。

演劇の背景なんかも、そもそも舞台上という設定でやる必要はなくて、そういうワールドを作って、その中でやってもいいんですけど、「ここは劇場です」という共通認識を作りたかったんですよね。

あくまでここは劇場で、ここは劇場の物理法則に準拠したルールのもとで動いてます、っていう共通認識を観客の人たちにもってもらいたかったんです。

やひろ:だから、最初にエントランスホールがあって、扉をくぐって劇場に入る、というプロセスもちゃんと設計されていたんですね。

鈴木:そうです。「ここは劇場です」っていうのを実感してもらうことが大事だったんです。



おわりに

やひろ:今日はいろいろと話していただき、ありがとうございます。

鈴木:なんか好きなことを話させていただいたなあという感じです。

やひろ:どうもありがとうございました。

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