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「きみはオフィーリアになれない」 安達凛子 前編 #001
●主要登場人物
安達凛子………旅行代理店勤務
梶原江利子……凛子の同僚
瀧本達郎………メンタルクリニック経営。江利子の叔父
川嶋美禰子……瀧本のクリニックのスタッフ
函南栄一………ITベンチャー「カンナミコーポレーション」創業者
仁科和人………カンナミコーポレーション社員
伊崎かんな……瀧本の幼馴染
episode 1 安達凛子(前編)
両手が荷物でふさがっているが、なんとか手首をひねって、バッグからキーケースを取り出す。その姿勢のまま、キーをドアノブに刺そうとしたが、さすがに無理だとすぐにあきらめて、バッグを地面にそっと降ろした。左手に持ったキーケースを右手に持ち替えて、がちゃりとドアを開けた。
うだるような熱気が部屋じゅうに充満している。初夏とはいえ、換気をしていないマンションの一室にこもる熱気はすさまじく、部屋にあがるのを少し躊躇った。ため息をついて靴を脱いだとき、かかとのあたりが少し痛いことに気が付いた。靴を下駄箱に仕舞うのもわずらわしく、乱雑に脱ぎすてて部屋にあがる。
バッグをダイニングの椅子に置き、エアコンのスイッチを入れる。そのまま奥のソファに直行し、仰向けに倒れ込んだ。喪服を早く脱がないと皺になってしまうし、はやくシャワーを浴びなければならないが、一度ソファに身を預けてしまうと、立ち上がる気力すらなくなってしまった。感情をぶつける先がわからず、クッションを抱きしめたものの、暑苦しくなっただけだった。気をまぎらわすためにテレビでもつけようかと思ったが、リモコンはダイニングテーブルの上にあって、手が届かないとわかると、すぐにあきらめた。
今日は先輩の葬式だった。
凛子のみっつ年上の二十八歳で、大学時代の先輩だった。これまでの人生で、親族以外の通夜に行ったことがなく、ネットで調べて、あたふたと準備をした。祖父がなくなったときに購入した喪服があったので、服は問題なかったが、たとえば、香典にいくら包めばいいのかわからなかった。焼香ってどうやってやるんだっけ? 調べていく必要はあるのだろうか。それに、式場では、ご親族になんという言葉をかければいいのだろう。
そうやって、死者を悼むのとは直接は関係のない作業に没頭していると、先輩の死という現実から逃れることができて、気持ちが少し楽になった。葬儀がバタバタしていて、全く落ち着きがないのは、もしかすると、悲しみを一時的に棚上げする、そういう効果を狙っているのかもしれない。
そして、今に至る。葬儀中のことは、あまり覚えていない。式場で、かつての大学の友人たちと再会した。みんな突然の友人の死をどう受け止めればいいのかわからない様子で、顔を合わせても、おう、とか、久しぶり、とかいった曖昧な挨拶を互いに交わすだけで、そこが普段みんながたむろしていた研究室ではなく、着ている服も当時のものではなく、当然だが全体的に黒っぽい服装で、それが場にあっているにも関わらずなぜか場違いに感じて、急にみんながコスプレをしているような、そんな妙な感覚にとらわれて、まさかみんなが先輩の葬式に参列するためだけに集まっただなんて、とてもじゃないが信じられなかったし、おそらくみんなも似たような気持ちのはずで、お互いに顔を合わせているときだけはそれを忘れることができて、なんとなく、心に温かいものが感じられた。
(つづく)
追記:
大幅に加筆・修正したkindle版公開しました。
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