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noteを書くことさえままならない日々

noteを毎日更新しはじめて、1800日以上が経つ。もはやなんでこんなに書き続けているのか自分でもよくわからないのだが、せっかくここまでやったのだから、しばらくは続けていきたいな、と思っている。

なんというか、自分の性格だと、毎日投稿だったらなんとかできると思うのだけれど、たとえば週に5日とか、週に1日、といったスパンのほうが更新が途切れてしまう気がするからである。「毎日」のほうがどんな習慣でも続けやすい気がする。

いったん習慣が途切れてしまうと、それこそ年単位で更新しなくなってしまうような気がするのである。

常に記事のストックを用意し、だいたい7〜8本ぐらいを常備していたのだが、最近の仕事の忙しさに加え、ビジネススクールに通っている課題を週末はやらなければならないので、時間がどんどん削られている。そして、ついにストックがゼロになってしまった。ストックが全くない、というのはかなり久々である。

この記事が投稿されるのは10月21日の朝だと思うのだが、ストックがないため、これを20日の夜9時半に書いている。こんなにギリギリなのははじめてだ。今週はビジネススクールの課題というか、役員向けのピッチ(短めのプレゼン)があるので、土日はほぼすべてそれに投入していた。

おかげで、9時過ぎに一応資料は完成したのだが、そのほかのことが全然手についていない状態である。

一応会社の金で通っているスクールなのだが、課題などをこなすのはプライベートの時間だ。なので、これのおかげでプライベートの時間が溶けていっている、ともいえる。会社の同僚からはなんでそんな大変なことを、といわれることも多い。

でも、自分からしたら、そもそもこれまでも小説を書いたり音楽を作ったりしてきたので、その延長のようなものだな、と捉えている。実際、土日を完全に潰してこの作業に当てていたのだけれど、なんか面白かったな、と。

事業を考えること自体はアイデア勝負かもしれないが、それを実際のピッチに組み立てていく作業はかなりクリエイティブで、調査をしたり、論理的思考も求められるし、小説を書いたりする作業にもちょっと近い。まあ、いまのところはクリエイティブな創作行為としてこれをやっている、ということになるだろうか。

客観的にみれば、こうしてnoteを無償で毎日更新し続けるということも同じぐらい酔狂なことだろう。まあ楽しいからやっていることだし、それを求める人がいるからやっている、というまでのことである。

どんなことでも、やっている渦中は大変なもの。でも、いったんそれが形になると、それまでの努力が報われるわけで。

成功するとか失敗するとか、そういうことは実はそれほど重要ではない。いままで、成功したり失敗したことを思い返してみても、自分以外の要因で決まったりすることが多い。個人にできることは「頑張って形にする」ことで、それが大事なのだと思う。

いったん、大変な週末を乗り越えたので、ゆっくり(?)平日の仕事をしたいと思います。ちょっとまたストックを作る必要があるかも。

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やひろ
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