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「いじめ」はなぜ起きるのか?

先日、奥さんと話していてふと気がついたのだが、自分はあまり「いじめ」というものに縁がないな、と思った。いじめられた経験はほぼないし、もちろん誰かをいじめた経験もない(いじめられたと感じる人がいる可能性は捨てきれないが)。

いじめられないほど体が屈強だったとか、いじめられないメンタリティを持っていたとか、多分そういうことではないと思う。いじめられるような環境に身を置かないというか、本能的にそういう場所から回避するような仕組みが自分の中に働いているようなのである。

その話のきっかけになったのは、そもそも部活動をしたことがない、ということを奥さんと話していたからだった。僕の中学・高校は部活動にあまり力を入れていないというのもあったのだが、部活動というものにほぼ魅力を感じなかったため、どこにも所属していなかった。一応美術部や陸上部に籍だけ置いていたものの、ほぼ全く顔を出していなかった。

いわゆる帰宅部と呼ばれる存在で、気の合った友人と帰り道にショッピングセンターに寄ったり、ゲーセンに行ったりして遊んでいた。

当時僕はゲームが好きだったので、よくゲームボーイアドバンスで遊んでいた。そのときに「RPGツクール」という、自分でRPGのゲームを設計できるゲームがあり、それを使って自分のオリジナルのゲームを作っていた。

パソコン版でゲームを作ると、音楽やグラフィックなどの素材を自分で差し替えできる機能があり、自分で自分のゲームの音楽を作ろうと思い立ったのがきっかけで作曲をやり始めた。なので、部活などせずともそれなりに充実した中高生時代だったと思う。

大学生になってもそれは変わらず、サークル等に所属した経験がない。なんというか、「集団で何かをする」ということにあまり魅力を感じない性格なのだと思う。

いじめの実態を見ていると、人間関係が閉鎖的な集団において、いじめが起こる傾向にあるようだ。いじめの本質とは何か。いじめの本質とは、集団の規律をより強固にするため、特定の人をスケープゴートにし、みせしめにリンチにすることによって結束を強める、そういうことではないだろうか。

僕は前述の通り、何かの特定のグループに属すると言うことを本能的に嫌ってきたため、当然ながら規律をより強固にするための制裁を食らうこともなかった。いじめというのは大げさに言えば、中国共産党における権力闘争のようなものなのである。

何かグループで結束し、大きな物事を成すのが重要だというのは理解しているが、組織としての自己防衛本能というか、誰かを犠牲にしてより結束を強めるみたいな考え方が性に合わないのだと思う。中高生の頃からそういう性格なので、大人になった今でもそういった「グループ」に所属していない。

友人はいるが、友人付き合いは「1対1」が基本であり、複数のグループで集まることは皆無である。1対1の人間関係で揉め事が生じた場合、ただ単にその人と縁が切れるだけなので、いじめには発展しない。

いじめについて真剣に悩んでる人もいると思うので軽はずみな事は言えないが、閉鎖的な集団には近寄らないのが基本になるだろう。たとえば学校のクラスがそのような集団だった場合は回避が難しいが、学校の外に居場所を見つけるなどして、なるべく避ける、ということである。

いずれにせよ、「結束」と「いじめ」はセットだと思っている。不思議なことに、僕は会社組織には問題なく馴染めているのだが、これは会社としてある程度の流動性があり、やるべきことが明確化しているからだろうか。もし、これがお役所みたいな閉鎖された環境だったら、やはりいじめというのは起きるのだろう。

なるべく群れない、目的のハッキリしない集団には属さない、ということである。父親もわりとそういうタイプなので、これは親譲りの性格だと認識しているが。

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やひろ
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