公平な優しい世界でない時もある
「被害者にも落ち度はある」「貴方にもいじめられる原因はある」これらに近しい言葉を投げられて絶望したり死にかけてしまった人はいっぱい居るだろう、無論耐えきれなくなって嘆いたり復讐する人に対して「自分だけ特別だと思うな」なんて言う心無い言葉を投げるつもりは毛頭ない。
これにおいては高校生だった私がたまたま学校の図書館で見かけた「公正世界仮説」と言うお話が妙にスっと収まったのだ、簡単に言うと「人の行いに対して公正な結果が返ってくる」と言う思い込みの話である。
つまり「何にもしていないのに酷い目に遭った」と言う事実が存在すると自分達の(意識的か無意識かは問わないが)信じていた【公平性】が覆ってしまうので「被害者かに原因があるのではないか」と勘ぐってしまうのである。
性犯罪の被害者へのセカンドレイプやハラスメントの告発を理不尽に却下された上に嫌がらせをされた事有る人間にはこの話は恐らく異常に生々しく感じられるかもしれない、そもそもで被害にあった殆どの人間は「少なくとも悪い事をしているとは思ってないししようとも思ってない」普通に暮らしている人なのだ。
残念な事にこの思い込みは誰にでも起こりうるのが厄介なもので、最後の希望だと信じて相談した公的機関または専門家がこの思い込みに取り付かれて邪険に扱われると言う悲し過ぎるケースも存在している。
そうなると誰も私など助けないと絶望して「ならばいっそ私が全て壊してやろう」と言う破滅的な復讐心を持ってしまい最悪普通の人が本当に悪い事をする人になってしまうかもしれない。
かなり遠回りをしたが、実は関係ない第三者が悪人を生み出してしまうという誰も幸せにならない道を歩んでいるかもしれないと思うといたたまれなくなっていく