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木漏れ日のようにやわらかく、太陽のように燃え上がり、風のように爽やかで、透き通るほど純粋な

もし私が清水寺の僧侶だったら何もかも投げ捨てて白い紙にデカデカと「中島健人」と書いていただろう。
それくらい、2024年は「中島健人の年」だったと思う。

振り返れば約一年前。健人くんはとても大きな決断をした。それは本人の想像すらも超える巨大な渦を巻き起こし、これまでの努力も思い出も、愛も献身も、全てを呑み込んで掻き乱した。その渦の中心にいた彼は間違いなく傷だらけになっただろう。けれど、そんな状況の中でも彼は理想のアイドルとしての生き方を曲げなかった。誰かを悪者にすることも、自分が被害者になることもなく、感傷的な言葉と空気で誤魔化すこともなく、ナイフも花束も全ての言葉と感情を受け止めた。ステージの上ではいつもの笑顔で愛を振り撒き、完璧で究極のアイドルとしての生き方を貫き続けた。いっそ不器用なまでに潔癖で誠実な彼の生き様をこの先も忘れることはないだろう。

そして4月1日。凍てつく冬の空気の中に、健人くんは颯爽と春の陽だまりを連れてきた。
新たに誕生した「I AM:U」という居場所を彼はとても大切にしてくれて、ファンネームを決めるアンケートもFC内で行われた。そうして誕生したU:nityというファンネームを健人くんは事あるごとに呼んでくれる。「Vlog」や「けんとと」といった動画コンテンツの中では、健人くんは素に近い姿を見せてくれる。YouTubeやInstagram、TikTokとオープンなコンテンツが増えていく中で、あえてクローズドな空間を大事にする健人くんの姿勢が好きだなと思う。

6月。突如発表されたGEMNという存在は、夏の訪れと共にジリジリと燃え上がるように。満たされることのない欲求と情熱、野望を秘めたふたつの星が出会い、ぶつかり、巻き起こした爆発は鮮烈な光を放って世間を驚かせた。その光は、ひとつの一番星の輝きだけでは届かなかった場所までをも照らし出した。「ファタール」はパフォーマンスを重ねるごとに色を変えた曲だと思う。発表当初は『推しの子』の登場人物の生い立ちや心境を見事に表現した主題歌として。ロッキンのステージでは、灼熱の太陽の下、熱気の中に爽やかに弾けるソーダの味が香るような思い出の1ページとして。歌番組では、最初こそ緊張感があったものの、回数を重ねるごとに喜びや楽しさがこちらまで伝わってくるような表情豊かなパフォーマンスを見せてくれた。そしてTHE FIRST TAKEでは目を合わせながら、互いの熱量を受け取りながら、そこに余計な言葉は不要で、歌こそが彼らの最上級のコミュニケーションであることが理解できる、そんな最高の「ファタール」を届けてくれた。
GEMNの出会いが、「ファタール」という作品が健人くんのアイドル人生に与えた影響はとてつもなく大きかったと思う。「ファタール」という作品の中では、中島健人というアイドルが仮面の下に秘めた全てを焼き尽くすほどの渇望を、キタニタツヤという才能が掬い上げて自身と照らし合わせ、映し出し、表現してみせた。所謂アイドルソングとは一線を画した楽曲だ。しかし、「ファタール」が発表されてからの世間の反応は中島健人のアイドル性を讃える声が圧倒的に大きかった。「アイドルなのに」が称賛を浴びる世の中で、「さすがアイドル」と言わしめたのは一重に彼が今まで積み上げてきたアイドルとしての実力と生き様があったからだろう。あの時、呑み込まれて傷だらけになったかのように思えた財産は何も失われていなかったのだ。
これから先もずっとGEMNとして活動していくのは難しいと分かっているけれど、ふたりでならもっともっと素晴らしい景色が見られるかもしれない、なんて少し期待してしまう。

7月、ドラマ『しょせん他人事ですから』がスタート。SNS社会の現実を忠実に映し出したドラマはファン以外にも反響を呼び、俳優中島健人の代表作の一つになったといっても過言ではないだろう。
またドラマの放送と同時に始動した音楽プロジェクト「HITOGOTO」についても触れないわけにはいかない。ドラマの内容ごとに歌詞やアレンジが変わっていく様子は毎回ワクワクさせられた。この「HITOGOTO」という楽曲の中でも、健人くんは世間一般のアイドル像らしからぬ姿を見せた。オリジナルの「HITOGOTO」の歌詞は世の中を現実的でシビアな視点で捉え、嘆き、それでも一筋の希望を見出そうとするーー現代社会を生きる人への応援歌であり、ラブソングのように思えた。そこには健人くんらしい前向きでひたむきな愛と、健人くんらしからぬ皮肉と風刺が込められていた。物語が展開していく中で、最も反響を呼んだのは「forヌーヌー」バージョン「アイドルはきっと悲しみのフィクション?」、この一節だった。「反転のペンライト」「笑に隠す感情」、今までの健人くんの口からは絶対に聞くことのなかった言葉に最初は圧倒され、動揺もした。けれど、ライナーノーツやインタビューを読む中で、段々と理解した。これがソロアイドル中島健人の戦い方なのだと。世間の好奇の目に晒された経験、マイナスの感情や言葉をぶつけられた経験、ファンだったはずの人がアンチになり執着にも似た敵意を向けられた経験。思い出すのも苦しくなるような記憶と長い夜と消えることのない傷を、作品として昇華した。作品として世界に発信することが、あの頃の彼自身を救う唯一の方法だった。傷を抱えたままステージに立ち続けるという覚悟が「それでも愛したくて 手を伸ばしてまた歌っていく」というフレーズに集約されているのではないか。勝手な想像でしかないし、これもまた「悲しみのフィクション」が生み出す偶像に過ぎないのかもしれないけれど、ついそんなふうに考えてしまう。経験を作品に昇華する、健人くんの戦い方は後に発表されるソロデビュー曲「ピカレスク」にも繋がっていく。

10月。中島健人のソロデビューアルバム「N/bias」の発売が発表された。リード曲「ピカレスク」のMVと先行配信がスタート。挑戦的な歌詞と完成された世界観、まるで一本の映画のように物語が展開されていくMVは、中島健人の新たな一面を見事に照らし出した。キラキラな王子様とは全く違うーーけれど全くの別人というわけではなくーー物語の中で彼はどこか無機質に、しかし仮面の下では怒り、嘆き、破壊し、暴走し、嘲笑し、傷つき、苦しみ、訴え、最後にはまた素顔を隠してしまう。仮面の下の表情は誰にも知り得ない。このあくまで作品はフィクションだ。ある人は彼を「ヒーロー」と呼び、またある人は彼を「悪」と呼ぶだろう。彼はそんな人物を完璧に「演じている」。けれど、健人くんにはリアルとフィクションの境界線を曖昧にする力がある。「嘘かわかるでしょ」「嘘をわかってよ」という問いかけに、「埋められていくあの日の感情」というフレーズに、私たちは現実に通ずる意味を感じずにはいられない。「ピカレスク」もまた、中島健人が感じてきた痛みや苦しみ、悲しみ、怒りを背負った作品の一つなのだと。健人くんは一番辛かったであろう時にはなるべくマイナスの感情をファンには見せないようにしていたと思う。もしあの時、健人くんが抱えている感情をそのままファンに開示していたとしたら、ファンは彼を守ろうと正義感のまま暴走していただろう。怒り、悲しみ、憎み、精神を擦り減らして、そうやって築いた居場所は絶対に優しいものにはなり得ない。けれどあの時間が少しだけ過去になった今であれば、作品という形であれば、私たちは少し距離を置いて受け止めることができる。「ピカレスク」に込められた悲しいメッセージだけじゃなくて、「愛が朽ち果てても相でありたい」「叶わないことはわかっていた 一生足掻いてもがいて孤独を照らすの」というフレーズから希望を見出すことができる。
健人くんはファンを憎しみの連鎖の中に巻き込もうとしない。自身の作品とパフォーマンスで正々堂々と勝負する。アイドルとして誠実で真っ直ぐな戦い方を選べる人なのだ。

11月、ようやく爽やかな風が秋の空気を少しずつ運んできた頃、初の全国ラジオツアーが始まった。このラジオツアーは大規模なアリーナツアーとは違い、ショッピングモールや道の駅等、各地域の日常空間の中で開催された。ファンとの距離が近いだけでなく、会場によってはファン以外のオーディエンスも大勢いる、ある意味異質な空間だったらしい。まさに正しい意味での地方巡業だ。デビューしたばかりのアイドルならまだしも、芸歴を重ねた立場の健人くんが、誤解を恐れず言うならば「泥臭い」活動をしていることを意外に思う人も多かっただろう。ソロになってから地方営業なんかしなきゃいけなくなったの?なんて揶揄するようなポストも実際に見かけたりした。
でも、健人くん自身は「地方巡業なんか」等、少しも考えていなかったように思う。
YouTubeでの企画「ラジオツアー密着」で、私たちはラジオツアーの裏側を少しだけ覗くことができた。そこでは、地方の美味しいものを食べて、美しい景色を見て、思い出を写真に収めて、「直接ファンに会えて嬉しい、ファンの声が聴けて嬉しい」「このツアーがあったおかげで完成した曲がある」、喜びと興奮を滲ませてそう語る健人くんの姿は充実感で溢れているように見えた。過密なスケジュールの中でも常にご機嫌で丁寧に仕事をし、新たに出会った仕事相手に最後は「ありがとう、好きになってくれて」なんて言えてしまう。健人くんはチャンスと出会いを大切にする人だ。そして、ファンと周囲の人を愛することができる人だ。だからこそ、健人くんが訪れた場所ではふわりと優しい風が吹くように、みんなが笑顔になれる。小さな秋を見つけた時のように幸せな気持ちになれる。私自身はラジオツアーに参加できなかったけれど、画面越しから幸せな空気が感じられて優しい気持ちになれる、そんな時間だった。

また、11月には初の海外ドラマ出演作品「Concordia」の配信がスタートした。健人くんは母国語ではなく自国でもない、スタッフ・共演者は言語も文化も違う人ばかり、そんな極限なまでのストイックな環境下で健人くんはA.J.オオバという役を演じ切った。この経験が健人くんの人生に大きな影響を与えたことは間違い無いだろう。如何に大変な環境だったかを語る健人くんの表情はいつもキラキラと輝いていた。本人にもこの作品を通して自分の殻を破ったという自覚があるのだろう。
さらに役を演じるだけでなく、「THE CODE」という楽曲を自ら制作し、ドラマの制作陣に贈った。一度楽曲提供を断られている状況下にも関わらずだ。断られてしまった時点で、アイデアが浮かんでいたとしてもそれを表に出せなくなる人の方が多数派のはずだ。しかし相手にどう思われるかだけを気にするのではなく、目の前のチャンスを掴みにいく、諦め悪くやれることは全部やる健人くんだからこそ、この楽曲は世に出ることとなったのだ。これこそ斎藤工さんが称賛していた健人くんの素晴らしい積極性が最大限に発揮されたエピソードと言えるだろう。

そして、12月25日。大好きなクリスマスに中島健人はソロアイドルとしてデビューした。
「N/bias」のテーマは「王子、城を抜け出す」ーー新たな環境で再スタートを切った彼にこれほど相応しいテーマはないだろう。「城」とは彼が今まで身を置いてきた環境とも、あるいは彼自身が身につけていた鎧とも受け取ることができる。城を守ることが役割であるはずの王子が城を抜け出した結果、民衆から悪者と呼ばれることになったとしても、ならず者と後ろ指を指されることになったとしても。その先にある景色を見るために、王子は歩みを止めない。それに城を抜け出したとて、王子という身分も矜持も捨てたわけではない。過去をまるごと全て抱えて、新しい夢を見るために、王子はこれからも突き進んでいくのだ。「N/bias」は中島健人のソロアイドルとしての覚悟と、未来への希望と、そして彼を愛している人、愛してくれた人への感謝が詰まった作品なのだと思う。

2024年は残念ながら一度も直接健人くんに会える機会はなかったけれど、それでも今までで一番健人くんを近くに感じられた年だった。音楽を通して健人くんの考えや想いを受け取り、健人くんが届けてくれる驚きや感動を素直に喜ぶことができた。ファンとして辛い時間もあったけれど、だからこそ健人くんが与えてくれる幸せをひとつひとつ大切にすることができた。そして、アイドルとは何かファンとは何かを考えて、考え続けて、自分のファンとしての在り方を見つめ直すことができた一年だったと思う。
城を抜け出した王子はどんな素敵な景色を見せてくれるのだろう。どんな人に、どんな音楽に、どんな作品に出会わせてくれるのだろう。これから先、様々な変化が訪れたとしても、どうか健人くんの透き通るほど純粋なーー冬の朝にきらりと光る薄く張った氷のようなーー“美しい”ところが守られることを願っている。

2025年が健人くんにとってさらに素晴らしい一年になりますように。

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