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なぜ、「顔色が変わる」が人を惹きつけるのか

パーソナルカラーは、多くの人に認知されています。私の肌感ですと、20年前の10倍以上です。

パーソナルカラー診断は、様々な色を首元に当てて

「顔色の変化」

を見ていくものです。
「健康そう」「顔色悪くて病気っぽい」「黄みがかった、青白っぽくなった」
と。
私が見てきた20年間、カラーリストやお客様は変われど、ずっと
「顔色が変わった(^^)/」
とやっています。

「なんで、そんなに顔色の変化が面白いのか?人を惹きつけるのか?」

それは、遺伝子に組み込まれた、非常に重要なこで、それに則ったパーソナルカラー診断は、必然的に流行ったのだと思います。

【以下長いので要約】

  • 集団で生きなければいけないので、集団内で力を持つ人に逆らえない。逆らうと追い出されて、生存に関わるから避けたい。顔色を伺う。

  • 集団内の他のホモサピエンスが、何を考えているかわからない。喧嘩になるとやばいので、常に探りを入れて関係性と距離をはからなければいけない。顔色を伺う。

  • →顔色の変化に敏感なDNAが残りやすかったので、私達は顔色の変化への関心がすごい。無意識で察する。

  • 特に島国の日本は、ほとんど同じ肌色の個体ばかりなので、微妙な色の変化に敏感に。アメリカなどのすごく幅広い肌色の個体がいる場所では、人間の「顔色の変化を察知できる能力」の進化が追いついていないので、顔色どころではない。だからパーソナルカラーが流行っているのは、日本・中国・韓国・台湾なのではないか?


社会的動物であるホモサピエンスにとって、重要なこと

私達は二足歩行の恩恵で声道が広がり、様々な発声で言葉を操り、自由になった上半身の身振り手振りでコミュニケーションを取ることができるようになりました。そして、概念というフィクションを共有することで集団になれ、他の動物を駆逐しています。
また、環境に合わせて何万年もかけて進化するのではなくて、自分たちの仕様に環境を合わせてきました。例えば家を作ったり、電気を使って様々な快適装備を作ったり。身体は原始時代からあまり変わっていないのに、周りの環境は急激に変わっていて、進化が追いついていない状況です。

「集団で生きる」

がデフォルトのため、常に集団内の他のホモサピエンスに気を使わなければいけません。集団を追い出され、村八分にされたら生きていけない。
何かのコミュニティに依存しなければいけない。

リアルな場、近所付き合いや職場はもちろん、バーチャル空間のSNSなどでも、誰かに何かを依存して、役割分担して生きています。特にここ数百年でOSになった資本主義で、何でも交換しています。

つまり、生きるためには集団に所属して役割をみつけ、何かを交換しなければいけません。

交換にお金は便利ですが、やっぱりそれだけでは満たされないDNAなんだと思います。

他人が何を考えているかはわからない。だから怖い。

集団の中で生きるには、他人の顔色を伺わなければいけません。
集団内で力をつけた人には特に。

私は、SNSで豪華な暮らしを画面の端でこっそり自慢したり、多くの人が慕っているということを匂わせるような投稿を見ると
「いけ好かないな」と思います。

それは私が陽キャではなくて陰キャで、そのような人の気持ちや考えがわからないからです。わからないのは怖いことで、「リア充アピールして、イヤダイヤダ。そんなことする人の気がしれない」と下に見ることで自分を上げて、なんとか自己肯定して生きています。
そもそも、そんな投稿見なければハッピーなのですが、目に飛び込んでくるから、瞬時にそのような処理をしていまいます。

人気で人を引き付ける人は、集団内で権力を持って他人を操ることができますので、その人に嫌われたら、集団を追い出されて「死」が近づいてしまいます。

それを本能的に避けるため、顔色を伺って、本音を隠して陰口でうさをはらす。

それは、上記の私の行為と同等で、そうしないと生きにくいのだと思います。人はずっと、そんなうわさ話や悪口、陰口を行っていて、最終的に争い・戦争となります。

顔色の変化がわからない

パーソナルカラーが流行っているのは、日本・中国・韓国・台湾というアジア圏です。
それは、同じような肌色の個体が集まっている場所だからだと思います。

同じような肌色なので、顔色の微妙な変化に敏感なDNAが残る。だから、
「顔色が変わった」
に、否応なしに反応してしまう。面白い。ずっと見てられる。飽きない。だって、それが生き残るために重要だと、DNAに書いてあるので。

パーソナルカラーの理論はアメリカで生まれたとされていますが、その本場ではあまり広まっていません。

おそらく、肌色のレンジがすごく広いので、自分と結構違う肌色の微妙な変化は、なかなか感じ取れないからだと思います。
だから、声質や身振り手振り、表情などの他の要素から、感情を感じ取ろうとして、はっきり自分の意見を言ったり、大げさでわかりやすいジェスチャーを行なう。

そんな違いが文化を生んでいるのだと思います。

言わなくてもわかる。以心伝心。
それは、「顔色の微妙な変化を感じ取れること」が前提だと思います。
そんな日本で、無表情で顔色も変わらない仮面をつけた「能」が文化になったのも面白いなと感じます。

人は、自分の心を他人に写しがちです。
変わらないはずの同じ能面でも、投影する感情が違うと、違って見える。違った印象を受け取り見える世界も変わってくる。それが面白い。

顔色の変化は、自分の変化

自分がパーソナルカラー診断をされるのと、他人のカラー診断の様子を見るのとでは、圧倒的に後者が面白いです。

カラーリストが延々と「あのお客様はソフトオータムかな?」とか談義してるのを見ていると、たぶん多くの人は、他人の顔色が変わる方に興味があると感じます。

他人に自分の感情を投影してしまう

プロなら、客観性を持たなければいけないと言われます。
でも、投影したほうが面白い。

お客様が変化して嬉しそうだと、自分も嬉しい。無表情で無関心でお客様と接するより、感情移入したほうが、カラー診断のライブセッションが楽しくなる。

それは、自分が変化したのとイコールだからなのかもしれません。

別に、他人の顔色が変わっても変わらなくても、どうでもいいことです。
でも、正解がなくて「どうでもいい」の概念社会を生きる私達にとって、

「どうでもよくない」

という、想いを持つことは、人生を豊かにすると思います。

色を使って、顔色の変化を通じ、お客様に「どうでもよくないこと」を伝える仕事がカラーリストなのであれば、何をどう伝えるかが、そのカラーリストの生き様となります。

それを差別化とか特徴とか、マーケティング的に語られますが、そんなんじゃなくて「魂の叫び」と捉えたほうが、よっぽど素直になれると感じます。

今の私なら、
「グラデーションドレープがとにかく楽しいから、一回使ってみて!」
と。この楽しさは、どうでもよくないのです。

「どうでもよくないこと」
は、どんどん変わっていきます。

カラーの仕事は、何をしたって良い、自由な仕事です。可能性や展開は無限にあります。一つだめだったら、他の方法を試せば良いだけです。

だから、何かに縛られることなく、自分のやりたいことを、他人の顔色なんて伺わずに、どんどんチャレンジしてもらいたいです。

応援しています!!