発達障害を持った弟を持つ姉がおいたちを振り返ってみた
今から30年以上前、発達障害がまだ親から遺伝すると揶揄されていた頃。2つ下の弟に「自閉症」という診断が下された。脳のキャパシティが非常に狭く、こだわりは強く、パニックを起こすとところ構わず暴れた。
弟が迷惑をかけるたびに各方面へ謝る両親の姿が脳裏に媚びりついて離れないし、今もフラッシュバックする。そんな両親を極力見たくないし辛い思いをさせたくなくて、自分自身を「聞き分けのいい子である」と言い聞かせ、強く律した。その結果、大人になった今でも大なり小なり何か失敗をすると自分を叱責する癖が今も治らなくて困っている。
親戚からもあれこれ言われた。母の実家は割とおおらかだったから特に気になったことはないが、父方の親戚が酷かった。祖父母は弟だけ自分の孫だと認めないし、母方から発達障害が遺伝してると文句を言っていたし、叔母は弟の事を名前で決して呼ばなかった。発覚したのは正月の集まりで、いとこが弟を指さして「あの子」と呼んだからだった。父が叔母を叱ったのでそれはなくなったが「あれはショックだったな……」とこぼしたあと、ビールを煽った母の姿が忘れられない。今、それをしでかした叔母くらいの歳に自分もなってみて「やっぱ無いわ……」と思っているし、他にもいろいろやらかしてくれたので今でも叔母を許してはいない。
近所の知らない大人からあれこれ言われた。突然「お前の家の弟、頭おかしいんだってな」と言われたこともあった。今も誰だか知らないし、その人の顔も思い出せないが、そんな経験が積み重なり、誰にでも噛みつくようになった。投げかけられた言葉が嫌味なのか、慰められてるのかも区別がつかなくなっていった。
小学校に上がる際、弟は障害者学級に入ることができなかった。IQが高すぎたのだ。学校側からの配慮で介助の先生をつけていただいて普通教室で生活していたが、彼は集団生活にとことん向いていなかった。少しの事でパニックを起こし、暴れまわり、その矛先は、姉である私に向いた。
「〇〇(弟)くん、今日も暴れてたよ」
そんな報告を色んな人から聞いた。受け流すことができず、傷ついて、周りを敵認定して疑心暗鬼になった。親にそれを愚痴として言うことはできなかった。どうしても悲しい顔をさせたくなかった。どう考えても小学生には抱え込みすぎなのだが、だからと言ってあの頃の私に別の答えが出せたかというと、「迷惑をかけない」と決めた私では無理だったと思う。精いっぱいのことをした自分を褒めてやりたい。
そんな私に転機が訪れた。小学校高学年にあがったときに、ある男の子と女の子と仲良くなった。きっかけは確かゲームだったと思う。少なくとも女の子はそうだった。当時周りの女の子でRPG(ファイナルファンタジー7)をやる人が珍しくて気になったと後に彼女は言った、が、私は忘れていた。ごめん。
2人は常々思っていたそうだ、どうしてそんなに自分を叱責し、虐めるのだろうかと。先述の通り、私は誰でも噛みついていたのでハラハラしていたとのこと。こんな私にも優しくしてくれて本当にありがたかったと同時に、2人の価値観が一致していたことが私の悩みの種にもなった。この頃になると私は自分に自信を無くしていた。もう何が正しいかわからなくなっていたからだ。考え方が2対1のようになってしまい、2人が言うなら私の考え方が間違っているのかもしれないと、うまく自分を肯定できずにいた。
なんとか自分とも周りの環境とも戦いつつ、ありがたいことに縁があって結婚した。旦那になったのは、小学校高学年で知り合った男の子である。人生なにがあるか分かったもんじゃない。
そして娘を2人授かった。子供は可能性のかたまりだよね、というのは母の口癖だった。本当にその通りで、子供たちが何かできるようになるたびに自然と口角が上がった。
子育ての醍醐味は「追体験である」とどこかで読んだことがある。
子供を育てているうちに似たような経験をした自分を思い出し、過去の自分を肯定したり否定したりすることだと私は認識している。いつものように子供たちに思いを馳せていた時、ふと気づいたのだ。
小学生ってこんなにのびのびしてていいんだと。
別に誰が悪かったわけでもない、弟を生んだ親も、弟も、私が姉として生まれたのも、どれもこれも悪くなかった。ただ、私はこんなにのびのびとした小学校生活を知らなかった。それをできる娘たちが羨ましくはあったが、ここにきてやっと過去の出来事に「お疲れ様」と、声をかけることができた自分に気が付いた。これはずっと戦い、傷ついてきた自分としては大きな進歩だった。
ようやく、最近の目標を「もう少しゆるく生きていこう」に定めることができた。漠然としているのでどこからどう手をつけたらいいかわからないので、まずは何か失敗してもよほどのことがなければ死にはしないからもう少し気楽にいこう、とかそういう意識づけから始めたいと思う。
今まで、お疲れ。私。まだまだ人生は続くからもっと明るくゆるく生きていこうな。