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PIERROTとわたし
久しぶりにライブへ行って「やっぱり好きだ」と思ったので、彼らとの出会いから今の気持ちを正直に書き記しておきます。
あれは2000年だったか2001年だったか、正確な年号は思い出せない。中学生だった私は、友人から教えてもらいPIERROTに出会った。
PIERROTは自分でも驚くほどすぐ馴染んでいった。思春期真っ盛り。当然のように中二病疾患済み。鬱屈とした生活を送っているなかで、世相に抗えず負けそうになりながらも人間の可能性を信じていることを歌う彼らを好きになるのにそう時間はかからなかった。後々気づいたことだが、私がPIERROTを知る前から友人は私の前で脳内モルヒネのサビを何度も歌っていたし、大切にしてたJAバンクのキャラクター「ちょちくちょきんぎょ」にモルヒネと名付けていた。友人が少しずつ撒いた種が、音源を聴かせてもらったことで私の心で一気に芽吹いた形となった。
お小遣いが潤沢にあったわけではない中でなんとかやりくりして買った音楽雑誌は生活を豊かにした。雑誌を切り抜いて自作したアイテムは、人に見せられるようなクオリティではなかったが宝物だった。とりわけメジャー3枚目のアルバム『HEAVEN』を買った時のことは鮮明に思い出せる。それまでTSUTAYAでレンタルしたCDで音源を確保していたが、お小遣いを握りしめて発売日に近所の電気屋へ買いに行った時の光景、匂い、袋の重さまで。生きてきて欲しかったものを手にした経験のなかで、これに勝るものは無い。
2003年。高校に進学し、バイトを始めたのでお金に少し余裕が出てきたので友人のお姉さんにお願いしてライブに連れて行ってもらった。
PIERROT TOUR 2003 "THE FINAL DESPAIR"
夢にまでみた彼らの有志を焼きつけようと意気込みはしたものの、1曲目のネオグロテスクの記憶はほぼ無い。彼らの眩しさに心も身体もすべて焼き尽くされたかのように呆然としていた。2曲目のa pillで正気を取り戻したかったが無理だった。気付けば泣いていた。それから怒涛の振り付け祭りに必死で、MCで狂えとかキ〇ガイと言われた記憶以外あまり覚えていない。とにかく楽しかったからまた来ようと誓った。
「また」は意外とすぐに訪れた。同年12月。
ATTACK [to] THE FREEDOM
MCでキリトさんに「こんな日(クリスマス)に来るなんて暇人かキ〇ガイだなあ!!!」って煽られたことをはっきりと覚えている。確かに暇人だったし狂っていた。振り付けは夏と同じく先輩ピエラーをガン見した。
それから予定が合わなかったことや、彼氏との共通の趣味を優先したがために音源は追っていたがライブには行かなくなった。気付けばPIERROTは活動休止していた。PIERROTが好きという気持ちが強すぎて各人のソロプロジェクトは追えなかった。そしてそのまま、2006年に解散してしまった。
もう少し通えばよかっただろうか、とか思わなくもないが自分で選んだ道だし仕方ないと今でも思っている。
2014年4月、PIERROT復活発表。彼らが今まで元気でいてくれたこと、再始動を決意してくれたこと、全てが嬉しかった、が、すぐライブへ行こうとは思えなかった。10年経てば自分を取り巻く生活環境は嫌でも変わる。私の腕には生後一か月の赤ん坊が居た。ライブは12月とはいえ、あまりにもガラリと変わった生活環境にすぐ前向きになれずに居た。
「行かなくていいの?」
そう言ったのは旦那だった。先ほど出てきた彼氏が運のいいことにそのまま旦那になってくれた。彼は小学校からの同級生で、PIERROTを教えてくれた友人と共に熱心に推していたことを知っていた。あまり他人の感情に干渉しない人なので、行かなくていいの?という一言には驚いた。
その一言に背中を押され、友人に連絡を取ってチケットを取り、意を決して埼玉スーパーアリーナへと向かった。暗転し、ライブが始まった。ステージに彼らが揃って立っているだけで泣けてきた。
どんなに生活がかわっても、心にはいつもPIERROTが居たんだと気づかされた。振り付けは相変わらず先輩ピエラーをガン見した。
そして今年。ANDROGYNOSに行ってきた。またあの友人に声を掛けたら快く一緒に来てくれた。ありがたい話だ。
そしてもうひとつ、前回から今回のライブのあいだに始めた別の趣味で知り合った人にピエラーが数名居たことが判明し、会場外でお会いした。新旧の趣味が交差するなんとも不思議な感覚を味わわせてもらった。
10年ぶりの彼らは相変わらず輝いていた。5月にTAKEOさんがご病気されたと聞いていたので元気な姿にホッとした。マントを翻しステージを闊歩するキリトの姿に自然と笑みがこぼれた。振り付けは相変わらず先輩ピエラーをガン見した、けど、意外と覚えてるところもあったことにびっくりした。
今も最前線を走り続けるDIR EN GREYのみなさん、PIERROTをここまで連れてきてくれてありがとうございました。
2025年、ワンマン開催決定おめでとうございます。
PIERROTをきっかけに考えるようになった人間の可能性を考えながら次回のライブまで生きていこうと思います。その時には先輩ガン見せず、もう少し振り付けできるように頑張りたいです。
PIERROTが好きでほんとうによかった。