所謂「放置子」に出会った。
放置子は、ネット上で主に使われている言葉で、明確な定義はありません。 「子どもがどこで何をしているのか、親が関心を持たず、ほったらかされている状態の児童」などを指すようです。
(読売新聞記事より)
公園で子供を遊ばせていたら、そこにやってきた三兄弟。
共に遊んでいたお友達のお母さん曰く、離婚して母親不在、父親は昼間から飲んだくれていて子供を放置、よくここの公園に遊びに来ている、ということらしい。子供と共にその子たちを注視してみた。
とてもいい子で、遊びにきた子供の面倒をみてくれようとしたりしている。ただ、絶望的に人との距離が近い。例えば私が鞄からハンカチを取り出そうとすると、ほんの3センチくらいのところでのぞき込みにくる。子供よりも、親のほうが「この子たちはおかしい」と引いてしまうのだ。分かる、この距離感で来られたら流石に引く。幸い、ネットなどでよく目にする「人のものを強奪しようとする」とかはなかったが、よその人が持ってきた遊具を「貸して」と言えないとか、端々で気になるところはまあ、色々合った。
どうしてこう、引かれてしまうような行動に至ってしまっているのか。
おそらく、この子たちは本来、他人と接することで知るはずの距離感が養われていない。そしてそれを教えてくれるのは身近な大人であることがほとんどだが、今までそういった機会に恵まれてこなかったのだろう。
しかし、たかが公園で一緒になるだけの子供に懇切丁寧に教えてあげるほうが稀だろう。そして噂されるのだ、「あの子たちは、放置されていて、かわいそうだ」と。
ふと、ある考えが浮かんだ。私は幼少期から発達障害や、のっぴきならない事情を抱えた子と接する機会が多かった。その中で、障害の大小に関係なく、「あれ、この子はおかしい」と思う子は大体、自他の境界線がない子だったことを思い出した。空気が読めないとかそういうレベルではなく、自分と他人は同じものだと思っているのだ。
3兄弟には、あまりにも許容できないことは注意したが、それが3人にちゃんと届いているかどうかはわからない。なにせこの短時間では「大人からの注意をしっかり咀嚼できる能力があるか」見極めるのは難しい。
どうか、あの三兄弟には、人と接するために最低限必要とする距離感を教えてくれる適切な人と出会ってほしいと願う。私も私で教えてもらった189についてしっかり勉強しておこうと思った。