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病床に伏す大好きな父の話

 前立腺にがんが見つかったと聞かされたのが今から4年前。前立腺から脳に転移することは珍しいそうなのだが、あろうことか脳へ転移したと聞かされたのは3か月前のこと。

 父は、緩和ケア病棟で最期を迎えようとしている。


 その前から何度か入退院を繰り返していたものの、家族には辛さひとつ見せずに今年の春まで過ごしてきた。  
 6月、病院帰りに突然膝から崩れ落ち、歩けなくなった。緊急入院になり、それから一度も家に帰ってこれていない。

 8月末。母が焦燥しきった声で電話をしてきた。

「父の癌は抗がん剤が効かないところまできていて、あと二か月の余命宣告を受けた。一旦緩和ケア病棟に移ることが決定した。最期をどうするか家族で相談してと病院から言われている、貴女はどうしたい?」

 父は本当に運がいい人だ。持病で病院にいった筈が、月に一度だけ非常勤で来ていた先生が「いろいろ思うところがあるので大きな病院で検査を受けてほしい」と言いだして素直に従ったところ、癌を発見してくれたのだ。

 投薬治療が始まってから父は私の知らないところで気落ちしていたかもしれないが、子供の私にはそんな素振りも見せず、仕事に打ち込み、お酒や旅行を楽しみ、母を慈しみ、孫であるうちの子供たちや、主人のことも気にかけて愛してくれていた。

  ……と、2021年7月頃に書いたこの下書きを見つけた。結論から言うともう父はこの世にはいない。危篤の知らせを受けたのは子供たちを公園で遊ばせていたときに生まれて初めてぎっくり腰になった直後だった。虫の知らせにしては手荒すぎる。痛む身体に鞭を打って病院へ駆けつけた。父は私と母の到着を待った1時間後、旅立っていった。

 亡くなってもうすぐ2年経とうという頃だが、いまだに実家や街などいたるところで父の面影を探してしまうことがある。そして時々、自分の何気ない言葉に父の血を感じることもある。でも、父はいない。もう悲しくはないが、さみしくなる時がある。

 もう癌を患っていた時の重くて痛い身体はないから、どうか、軽やかになった身でたくさん旅をしてほしい。そして私がそちらに行ったときは酒でも飲みかわしながらその話をたくさん聞かせてほしい。

 父、ありがとう。今でも大好きです。

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