パイオニアたち 忘れえぬ人々
無農薬茶は“百姓”の心意気
杵塚敏明・かづ江夫妻 2回目
幻の紅茶
その昔、セイロンがまだイギリスの統治下にあった時代。紅茶づくりの名匠といわれたイギリス人ルイ・アームストロングがこの地から送り出した〝セイロンティー〟は、ロンドンのオークションでは〝最高級の代名詞〟と評されたという。しかし、いくつもの時代を経て、茶畑の環境、製法もすっかり変わり、伝説となったセイロンティーの味わいもいつしか幻となった。
その〝幻の紅茶〟がほんの数年間だけ、現代によみがえったことがあった。
それは紅茶の名産地ヌワラエリアをさらに登った、標高1800メートルの高地、ルックウッドでイギリス統治下時代と同じ製法でつくられた。
その紅茶はアーシル氏による作品だった。それは漫画「美味しんぼ」でも“究極の紅茶”として紹介され、熱烈なファンもいた。
その紅茶を日本でも作りたいと杵塚さんは切望した。アーシル氏に会いにスリランカに通い、日本にも招き学んだ。そしてスリランカ製の木製揉捻機を輸入し、二番茶で紅茶の製造をはじめた。最近、和紅茶が注目されているけれど、その走りである。その和紅茶も「美味しんぼ」第101巻に登場した。
グリーンハンドをもつ人
アーシル氏との親交が深まるなか、技術指導を受けた。
「アーシルは本当においしいお茶をつくろうと思ったら、前に作ったお茶の葉が一枚でも混ざることがないように掃除が一番だと言ったんだ」
「それを聞いてびっくりしたね」
「もうちょっと厚みのある表現というか、なにか技術的なものがあるじゃないかと思ったからね」と、杵塚さんは笑いながら教えてくれた。
製茶工程では工程前後の状態の違う茶葉が混じらぬよういつも全神経を集中させる。それは植物の側に立ち、植物に寄り添う感性から出てくるセリフなのだろう。だからおのずと掃除まで行き届くことになる。畑にいるときも同じ感覚なのではと思う。というのは、アーシル氏はスリランカでグリーンハンドを持つ人と言われている。グリーンハンドとはその人が畑に行くと、「今日は水がほしいね」とか、「ひさしぶり。みんな元気だよ」などと、植物のささやきかける声が聞こえる、植物と会話ができる人、いわゆる名人のことだ。
杵塚さんもそうである。
「わからないことがあって聞くと、もう何もかも知っているんですよ。経験レベルが違うからですけど、でも経験だけでは補えない自分の言葉にしちゃっているというくらいの・・・・お茶のことがわかっている」と、次女の民子さん。
畑に入るとずっと語りかけるように喋り続ける杵塚さんの佇まいは、畑と同化しているように見える。錯覚なのだろうけれど、その感じは決して大袈裟ではない。
後継者作りの名人
茶畑が広がる藤枝市も廃業するお茶農家が毎年後を絶たない。だから耕作放棄地も増えている。その耕作放棄地になる一歩手前で、
「うちの畑の管理の仕方とかよく見ていて、辞めるときにできるなら先祖代々の畑を廃れさせたくないと思うのでしょう。お前のところで引き継いで管理してくれないか」と地元の茶農家からの依頼が毎年ある。
その傾向は実は全国に見られる。なぜなら有機農家には後継者が育っているからだ。そして移住してくる若い新規就農者も有機栽培を志してくるので、実は有機農家は後継者不足、高齢化、耕作放棄地問題を解決する最前線にいるのだ。
全体から見れば耕地面積が1%に満たない規模だけれど、有機農法の存在価値はこの点において、もっと評価、認知、周知されるべきである。そして消費者からの理解とサポートの必要性を声高に伝えたい。
杵塚家では20年前以上前から国内外から研修でショートステイ、ロングステイ、リピーターとすでに数百人が訪れている。汗をかきながら学び、楽しみ、お茶農家や野菜・米農家になったり、お茶関係の仕事に従事したりと、いろんな人たちが育っている。そしていつも数人の研修生が滞在している。杵塚夫妻は後継者育ての達人でもある。
それはお茶作りと子育てをシンクロさせた成果といえる。杵塚家の子育ての信条は「文字は教えず、習いごとはさせず、けんかは大いに奨励し、野山を駆けめぐって遊びたいだけ遊んで六年間、あっぱれな、かしこい、わんぱくとおてんばが巣立つのを待つ」(『「待ち」の子育て』山田桂子著から引用)です。
そして、「農業と子育てには共通点があると思っています。ひよわな苗は害虫や天候不純に耐えられず、収穫もままなりません。だから“苗半作”という言葉が生まれたのだと思います。鶏もヒナのうちが大切です。子どもも小さいときから心身ともに丈夫で、たくましく育てることが大切なのだと痛感しています」と著書「無農薬茶は百姓の心意気」に記している。
そして、母親のかづ江さんの料理がすべてをつなげている。玄米で育った子どもたちは中高校生になると周りのカラフルな弁当に刺激され、自分で作ったり、ジャンクフードにはまったり。でも全員が海外留学し、「自炊するときに作り方を電話で母親に聞き、その味のおいしさに安心しました」と民子さん。
みんな“最後に戻ってくる味がここにある”と認識することになる。
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