パイオニアたちの遺伝子
第2回 自然農法家 須賀一男・サカ江夫妻(ともに故人)
つぎの50年がスタートしている
11月中旬の小春日。須賀利治さんを訪ねた。
この地域特有の遅い米の収穫を終え、一息つくのも束の間、冬野菜の収穫が始まっていた。これから年末まで、朝7時から毎日が戦いである。利治さんは夜明け前から動き出し、点在する畑を軽トラでぐるっとひと回りして収穫予定の作物の様子をチェックする。
約束の7時10分前に到着したら、ちょうどひと回りした帰りのタイミングだった。7時になると他のメンバー(家族とパートさん)も集まり、おのおのがその日担当の畑に向かい、作業を始める。
利治さんは、まず4キロ先のカブ畑に向かった。到着すると収穫予定の畝に入り、抜いては置き、抜いては置いて二箱分を軽トラに積む。カブを抜くのも無駄のない動きで、置いてあるのを取り上げているだけの動作にしか見えない。
そして、カブの根っこを指差しながら、「根はここから1メートルぐらい土の中には伸びています。でも、抜くときに力はいりません」と。20年物のふかふかの土だ。朝陽で朝露に濡れたカブの葉の緑が輝いて見える。ストレスのないカブなのだろう。
ハウス、ニンジン、ダイコン、長ネギ畑と回って帰宅。即、小分け作業が始まる。11時までに発送作業を終わらせる。
だれの手も口も休むことなく動く。にぎやかに。長女の真理子さんの声が響く。みんなに指示が飛び交う。
段取り違いのポカをする利治さんに「とうちゃん!」とゲキが飛ぶ。
「怒られちゃった」と、とうちゃんはつぶやく。
野菜たちは明るい笑いのエネルギーにつつまれ、お色直しをして、生気あふれるエネルギッシュな姿を見せる。そして各家庭の食卓に届けられる。
「普通、農家が接するのは農協や市場あたりまでという場合が多いから、直接食べる人の声を聞く機会があまりない。でも、自分たちの野菜は直接食べる人のもとに届いて、その反応も直接返ってくる。会って、交流する機会もある。だから、この野菜を食べて元気になった、健康になったという声を聞くことができるんです。それが何よりも励みになる」
それがみんなの思いだ。
* * *
「土はそもそも力を持っています。種を蒔かなくても、耕さなくても、放っておけば、雑草が茂って、あっという間にジャングルになってしまうじゃないですか。土が自然に持っている力を最大限に引き出してやればいいんです」
「土の状態をよく観察し、一つ一つの作物の性質を考えながら、何をすき込むのか、あるいは何もすき込まないのかを決めていきます」
以前、ある農業大学の研究チームが須賀さんの畑の土の成分を分析したことがあった。分析結果は、畑の土は栄養が貧弱で、あと5年もすれば作物は何も取れなくなると言われたそうだ。しかし、そんな科学的分析結果をよそに、作物は毎年すくすくと育ち続けている。科学技術が発達した現代にあっても、自然の力、自然の不思議さは人知を超えているようだ。
科学的な数値だけに頼るのではなく、自然をよくよく観察することが大切だとわかる。
「自然は人間に恵みを与えようとしてくれてるんですよ。人間の気持ちが自然の方へ向いてさえいれば、自然が教えてくれるんです」と利治さんは教えてくれた。
自然農法をはじめて数年後、勉強会で一男さんがタマネギの苗作りと増収法を質問したところ、講師の露木裕喜先生が「タマネギのことは、タマネギに聞きなさい」と答えられた。「なるほど」と思い、以来、そうしている。
* * *
先代から受け継いだ自然を尊重し自然を観察し、習うという謙虚な気持ちで農業をしている。
利治さんのセリフは自然栽培、有機栽培を実践する人たちにとっては、深く頷き、自分の思いと経験と同じであることに安堵し、勇気づけられる言葉が散りばめられている。そして「間違っていなかった」と確信する。
「複合汚染」を読み、自然栽培、有機栽培を志した人は多い。その流れは50年過ぎたいまも広がり続けている。
須賀家の当たり前が日本の農業、世界の農業の当たり前になるのがひとつの理想だ。
* * *
長男の勇弥さんは30歳。「農業なんかやらない」と思っていたのが、社会に出て、この世の中に、社会に何か役立つことをやりたいと思ったときに農業を通してやりたい、やれるのかなと考え、はじめた。実家に戻り8年が経った。つぎの50年がスタートしている。
エピローグ
暖かさに誘われて一男翁が散歩姿で現れた。すでに引退しているけれどたまに畑を見に散歩する。今朝は玄関先の長椅子に腰掛け、庭の樹々を眺めながら日向ぼっこを楽しんでいる。
今世、夫婦でひと仕事終えた一男翁が「おはようございます」と挨拶した初対面の私に「ここに座りませんか」と声をかけてくれた。
誘われるがまま、座った。
「だれが種を蒔いたのか、最初は多分亡くなった妻が蒔いたのでしょうね。その後はいつの間にか色々な草木が勝手に生い茂ってくれましてね」
「亡くなった妻は花が好きでね」
いつしかこんもりとしたナチュラルガーデンができていた。
取材から半年後、一男翁の訃報が届いた。
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