無農薬茶は“百姓”の心意気
杵塚敏明・かづ江夫妻 3回目
未来につなげる
「父から無農薬栽培を始めた頃の大変な苦労の話はたくさん聞いていて、今17年やってきて、父が経験したような当時の感じではなくなってきています。周りの認識というか、農家さんたちの認識もどんどん変わっています。それこそ自分が始めた17年前と比べても変わっていて、逆にその刻一刻と変わっていく状況に有機農家自身も遅れないようにどんどん合わせていかなきゃいけないとすごく感じています。
この仕事を続けられているっていうのは自分だけのためじゃなくて、地域、お客さん、あとは家族とか自然環境もそうですし、その未来につなげていくっていうのが有機農業だと思うんですね。
本当にそれこそ自分だけのことを考えていたら、続けられないぐらいなかなか大変な仕事だと思うんですよ。特に自分は子どもが3人いるんで、そのうちの誰かが継いでくれるならいいなと思って今頑張っているんですけどね。やっぱりその先のことを考えられるから続けられるんじゃないですかね」と長男の一起さん。
時代の波、変化の波
藤枝市は2023年5月に施行された「みどりの食料システム法」のオーガニックビレッジ宣言自治体となった。それに伴い藤枝市役所と生産者、企業、消費者で有機農業推進協議会が設立された。行政、生産者、市民の三位一体で藤枝市の有機農業の生産から加工、流通、消費の充実と拡大を推進するエンジンとなる。
一起さんが感じていた“刻一刻と変わっていく状況”の象徴的なひとつの現象だ。そして、民子さんがその代表になった。
2030年までには農水省の目標では200市町村がオーガニックビレッジ宣言をし、それぞれの自治体が独自のオーガニックの普及を進めるのである。
敏明さんの時代からすれば、有機農業には見向きもしなかった行政が真逆の状態になっている。
そして、この流れはこの3~4年で一気に全国に広がりはじめている。言い換えれば、20年、30年先のゴールを見据えて宣言することは、自治体に後継者となる、あるいはすでになっている若い世代の人たちが存在していることになる。
これまで有機農家は点としてどこどこに○○さんがいる、その点と点をつないでグループができたり、解散したり。あるいは点ではあるが、カリスマ的な人物として存在感を放ち、そこに人が集まったりしていた。そんな状況から現在は自治体という「面(エリア)でその存在と状況を俯瞰して知ることができるようになった。これは画期的なことだ。
情報の質と量がガラリと変化したといえる。このことだけでも「みどりの食料システム法」のオーガニックビレッジ宣言計画は新しい価値を生んだといえる。そして、今後、個々のオーガニックビレッジの成果が顕在化するにしたがい、2030年200市町村の目標も、現在すでに91市町村が宣言しているので、クリアすることは大いに期待できそうである。その波はその後の増加にも相乗効果で加速し続けるのではという勢いだ。数字的にはスタートダッシュに成功している。
若者たちの存在感
海外へ目を向けてみよう。コロナ禍以前から世界中で日本食ブームであり、加えて日本酒、日本茶、特に抹茶が人気で輸出も伸びていた。その状況はアフターコロナの現在も続いている。そこで注目されているのがオーガニックの日本酒、日本茶である。
お茶産地の藤枝市は必然的に海外を視野に入れることになる。すでに推進協議会の会議でもドイツ・ニュルンベルグの“ビオファ”、アメリカ・アナハイムの“ナチュラルプロダクツEXPO”、イタリア・ボローニャの“サナ”と海外のオーガニック展示会の名称が飛び交っていた。
実は海外留学した杵塚ファミリーに言葉の壁はない。家に帰ればいつも各国からの研修生もいる。だから海外進出の会話も遠いという距離感を感じさせない。
オーガニックを広げるという意識レベルのステージが変わったように映る。
その推進力は“自分のことだけを考えていたら続けられないなかなか大変な仕事だ”という一起さんの思いだ。これは現代の若い有機農家たちが抱いているスピリッツ、価値観ではないだろうか。強烈に自己主張することなく、ごく自然に表現しているクールな態でという気がする。
* * *
彼ら後継者たちは時代と社会の変化を実感する日々と未来のビジョンをつなぎ合わせながら、杵塚さんが宝といった客観的に見る自分をもっと俯瞰で、もっとダイナミックに見ながら世界を描いている印象だ。
改めて足元を見ると、杵塚さんの“百姓として真っ当な姿勢”が流れをつくり、後継者たちはその流れに乗り、さらに進化させるステージに進んでいる。
それは地域から一気に地球規模の共感や共時性をもつ、分かち合いや利他のビジョンである。
“百姓の心意気”は正しいその流れをつくった。これはレガシー(遺産)である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?