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工学系(特に技術評価)の研究をしている国立大助教。音楽、ゲーム(都市開発、電車運転シミ…

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工学系(特に技術評価)の研究をしている国立大助教。音楽、ゲーム(都市開発、電車運転シミュレータ)、経済系の勉強を暇なときにやっています。

最近の記事

研究者に「その研究に意味あるの?笑」と聞いてくる人

私はまだ学生だが、研究には6年半ほど従事している。 それなりに長い研究生活で、最も意図が分からない質問がある。 「その研究に意味あるの?笑」 である。 まず、(冷笑気味に)こう聞いてくる人は、研究内容を分かる気がほぼない。 それが年下であろうが、同級生であろうが、年下であろうが、できる限り質問者が持っているであろう知識をもとに、研究内容を説明するのである。 説明している裏で、私が彼らに聞きたい事がある。 それは 「あなたの仕事には、どれほど意味があるの?」 である

    • 日本の国立大学が筆記試験を重視すべき理由

      日本、韓国、中国といった東洋では、欧米諸国に比べて大学入試において筆記試験が重視されている。しかしながら、この潮流は、少なくとも日本ではAO入試や推薦入試の増加に伴って、亜流になる可能性を秘めている。 成績が最もいいのはAO入学者 東北大、早稲田大の内部資料で判明|大学入試改革の「本丸」|朝日新聞EduA (asahi.com) この記事は、約1年前に大学教育、受験界隈では有名になった記事だと思う。タイトル通り、AO入学者は概して、一般入試合格者と比較して成績が良い傾向が

      • 世界大学ランキングでみる日本の立ち位置-G7諸国の比較

        日本の研究力が低下していると、ここ数年はよく聞かれる。 文部科学省は「令和4年版科学技術・イノベーション白書 第1章我が国の研究力の現状と課題」の序文で、このように述べている。 近年、我が国の研究力の低下が指摘されています。今世紀における我が国の自然科学系ノーベル賞受賞者数は米国に次ぐ世界第2位ですが、この受賞者数が、必ずしも現在の我が国の研究力を示しているわけではありません。研究力を測る主要な指標である論文指標については、2000年代前半より、国際的な地位の低下が続いて

        • 真の「カーボンニュートラル」とは何かIIーCO2排出削減の道のりー

          前回では「カーボンニュートラル」の概念をざっくばらんに紹介した。 内容を抜粋すると、 「カーボンニュートラル」とは… 社会システムにおける「正味炭素排出ゼロ」を表しており、「ネットゼロ」と「カーボンリサイクル(炭素循環)」の両方を達成する必要がある。 そういった中で、「カーボンニュートラル」達成への順当な道のりは、「CO2排出ゼロ」→「カーボンリサイクル」といえる。 特に最近重要視されている「CO2排出ゼロ」とはどのように達成されなければいけないのか、整理する必要が

        研究者に「その研究に意味あるの?笑」と聞いてくる人

        • 日本の国立大学が筆記試験を重視すべき理由

        • 世界大学ランキングでみる日本の立ち位置-G7諸国の比較

        • 真の「カーボンニュートラル」とは何かIIーCO2排出削減の道のりー

          真の「カーボンニュートラル」とは何かIー「ネットゼロ」と比較してー

          ハイライト ・CO2排出の大部分は、エネルギー(電力、蒸気)生産によるものである。 ・「ネットゼロ」の実現には、エネルギー生産手段の転換とCO2回収・貯留が本質的に重要。 ・「カーボンニュートラル」の実現には、社会で利用される炭素分を循環する「カーボンリサイクル(炭素循環)」が不可欠。 ・「カーボンニュートラル」達成への道のりは、「CO2排出ゼロ」→「カーボンリサイクル」。 地球温暖化、気候変動、マイクロプラスチックの海洋流出、水質汚濁、PM2.5排出などといった環境問題は

          真の「カーボンニュートラル」とは何かIー「ネットゼロ」と比較してー

          製紙業界の未来を考える:電子化の逆風と次世代資源としての期待

          近年の日本では、大手企業を中心に文書の電子化が進める動きが活発になっている。また、デジタル庁の発足を皮切りに、行政文書や公共サービスの電子化も同時に進んでいる。 このようにして、IT技術が日常生活に普及している一方、紙の消費量は年々減少することは感覚的に理解できる。実際に、日本製紙連合会のデータによると、2000年あたりから年々減少傾向にあることが分かる。(日本製紙連合会 | 製紙産業の現状 | 紙・板紙 (jpa.gr.jp)) 紙の種類別に見ると、印刷・情報用紙の消費

          製紙業界の未来を考える:電子化の逆風と次世代資源としての期待

          学部、修士、博士課程で就活をしてみて

          久々に更新します。気づけば博士課程3年生になってしまいました。 ありがたいことに博士課程の在籍期間中は研究支援を頂き、研究に専念できるような環境をいただいています。 しかしながら、悩みの種となっていたことがひとつ…。 それは就職活動です。 実は、学部、修士、博士のいずれにおいても就活を経験しましたが、結局のところ研究者としての道に進む予定です。 学部生時代は、リサーチを行った程度なので、他の方がされているような代物ではなかったと思います。 修士課程のときは実際に何社か

          学部、修士、博士課程で就活をしてみて

          半年間経済学を趣味にしてみた。

          博士課程に進学してから近くにいる同期の数が大分減り、人と過ごす時間がそれとともに減った。研究する時間は勿論増えたが、それ以上に人と過ごした時間の減少分のほうが大きく、暇な時間が修士の時より増えた(と思う)。 そして、何か趣味を増やそうと思った。 私は学際的な研究をしており、応用可能性を考えた結果、元々興味のあった経済学を学習してみることにした。 最近、現代経済学の直観的方法を立ち読みしたが、「うーん」と思ったため、一度やめたnoteを通じて書いていこうと思う。 以下の

          半年間経済学を趣味にしてみた。

          差別や疑似科学は自由なのか

          つい最近、特殊な性嗜好に関する表現に関しての議論が活発だった。 そのトレンドはもう何もなかったかのように、世界は勢い良く回る。 リアリティーショーと化した現代において、派生的な議論はなかなかされないし、そういう議論自体が大衆の興味から大分離れたものになってしまったかのようだ。 下らない前置きはこの辺にして、本題に入る。 差別的な発言や疑似科学を基にした行動は、思想・信条または表現の自由としてカウントして良いのかという話だ。 この問いに対して、正解となるものは存在しえ

          差別や疑似科学は自由なのか

          住む世界が変わる瞬間

          住む世界が変わった経験があるだろうか。 私は少なくとも2回ある。 それは、 1.物理的に住環境が変わった 2.身の回りにいる人が変わった である。 私は、田舎育ちである。 ある人によってはクソが付くほどの田舎で、そうでない人にとってはまあまあな田舎である。 田舎の住環境は一定だ。いつ帰省しても、そこには田んぼがあり、畑があり、森があり、竹藪がある。 何世代にもわたって受け継がれきた土地で生活している。 中学校までは地元の学校に通っていた。 住宅地の近くにあったが、

          住む世界が変わる瞬間

          なる、である、する

          20歳を過ぎてまあまあ経つ。 私は大人になっただろうか 大人であるか 大人をしているか とふと考えることがある。 大人というカテゴリーに分野において、「なる、である、する」どの段階が先なのかは正直分からないが、何事においても2つくらい出来ていれば立派なものだと思う。 ここ数日、電脳コイルという13年前に放送されたアニメを見た。 今見ると陳腐な印象が拭い去れないが、これがまさか十数年前の公共放送で放送されたものなのかと信じるに難い。 現代より進んだ通信技術・イン

          なる、である、する

          帰省

          毎日同じことをし続けることは難しい。 特に最近はいろいろなことを休みがちだった。 体は問題なかったが心の不調を感じていたため、気分転換に実家に帰った。 自分にとって実家は休息の場所だし、先日実家で飼っていた犬が亡ったためその墓参りも兼ねていた。 久しぶりに新幹線を利用しての帰省。 駅構内にあるサッポロクラシックを買って車内で飲みながら、移り行く景色を見ていた。 幼稚園時代から付き合いのある友人が、帰省先の駅に迎えに来てくれた。 彼はお酒の場が嫌いではないが、飲むのは

          常にないものを欲しがる

          私は常に自分にない、あるいは持っていないものを欲しがる。 人間は欲を持つのだから当たり前なのかもしれない。 しかし、ないものを得るには結構時間が必要とされるため、余裕を持たないと今あるものの維持がおろそかになってしまう。 特に衝動的な性格をしているため、余裕があるかに関わらず新しいことを始めては自分の能力の限界を知り、続けることがおろそかになってしまう。 そういえば、このnoteは今続けていることを記録するために始めたんだったね。忘れそうだった。 またぼちぼち更新し

          常にないものを欲しがる

          レジ袋有料化で使わないのなら、レジ袋は無駄だと言える。

          今年の7月から日本でプラスチック袋の有料化が開始された。 賛否両論のある政策だと思う。 インターネット上に限れば、この政策に反対している人が多い。 反対している人の意見は大体予想がつくし、その予想通りのことを言っていた。 「日本の焼却炉は優秀だから環境問題で問題にならない」 「かえって焼却炉の温度が下がって、燃料の投入が必要になる」 「企業との癒着・利権が絡んでいる」 「公共衛生の観点から新品の袋を利用すべきである」 最後を除いて完全に的外れ(最後は事後検証で明らかとな

          レジ袋有料化で使わないのなら、レジ袋は無駄だと言える。

          同じ時間軸に十人十色の時間の使い方がある。

          暫く投稿が止まってしまった。 書くようなことがここ最近なかったというのが理由である。 現在23歳で、特に有事がなければ今年中に24歳を迎える。 ここ数日間は同世代の人間と話す機会が多かった。 話を聞くと、同じ時間軸を共有しているのにかかわらず、これほどまで時間の使い方が異なるのかと驚愕したのである。 どのような時間の使い方が最適なのかは、人生を終えた時にしかわからない。更にはどの要素を優先するかによって最適解は異なるため、不毛な議論だと思う。 昨日は、同期と酒を交え

          同じ時間軸に十人十色の時間の使い方がある。

          母国語を一番難しいと感じたい

          自分のしゃべっている言葉が世界で一番難しかったら、なんて甘ったれんな。この世にある言語はすべて死ぬほど難しいんだよ。

          母国語を一番難しいと感じたい