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白豆腐あり

天竜文芸に投稿した作品をnoteにも投稿します。

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今年も何か投稿しようと思い「ふるさとものがたり天竜」をパラパラとページをめくっていくと75話目に興味深い昔話をみつけた。

白豆腐あり
むかし、むかしのこと。
阿多古の里の街道を、さるお殿様がお通りになった。
殿さまは、馬にゆられてのどかな景色を眺めながら、上きげんであった。
上野村まで来た時、殿さまの目にとまったものがある。
『白豆腐あり』
の小さな看板であった。
 殿さまはそれを見ると馬をとめ、つかつかと店へ入って行った。
 中には人のよさそうなおじいさんが、豆腐を売っていた。
「これ、じい。豆腐は白いにきまっておるが、わざわざ白豆腐とは、これいかに。」
 すると、じいさん胸を張って、
「これはこれは、お殿さま。雪は白いときまっているが、わざわざ富士の白雪とは、これいかに。お先にご返答を……。」
「なあるほど。わっはっは……。おもしろい、じいじゃ。豆腐は白くても黒くてもよいわ。元気で励めよ。」
 そう言うなり、お殿さまはまた馬にゆられて、立ち去って行った。
 下阿多古に伝わるむかし話である。

 以前「かだうじの出会い」という笑い話を題材にしたことがある。「かだうじの出会い」も下阿多古の昔話である。「ふるさとものがたり天竜」には笑い話は少なく、天竜には笑い話はあまり伝承されていないようである。そうした状況を鑑みると「かだうじの出会い」や「白豆腐あり」は天竜において稀有な存在といえる。
 笑いといえば「笑う門には福来る」ということわざがある。いつもにこやかに笑っている人の家には、自然に幸福がやって来るという意味である。笑いには免疫力アップや認知症予防にも効果があるとの研究も存在する。また喜怒哀楽という言葉があるように、人間には感情がある。感情は一時的なものであるが、人格に影響する心の動きの一つでもある。感情の一つである笑いはポジティブな感情であり、笑いがテーマである昔話を取り上げるのは大変意味深いことだと考えている。早速読み進めて行こう。
この昔話は、殿さまが白豆腐という看板に惹かれて店に入ることから始まった。この白豆腐とは一体何だろう?
まずは豆腐。ウィキペディアによると、豆腐とは「煮た大豆の搾り汁(豆乳)を凝固剤(にがり、石膏など)によって固めた加工食品」である。また「豆腐の原料は大豆です。大豆を搾り豆乳を作ります。(この時点で白いです。)これを加熱し、にがりを加えて凝固させたものが、豆腐です。だから白いのです。」という情報も得た。そうか、豆腐とは白色なのか。豆腐は白くて当たり前だから、わざわざ白豆腐と呼ぶ必要はないということになる。
何故敢えて白豆腐というのか、もう少し調べてみると、京都では木綿豆腐のことを「白(しろ)」と呼ぶことがあるということが分かった。豆腐のことをわざわざ白豆腐と命名するこのおじいさんはこんな田舎にはそぐわないようなかなりの博識、もしくは京都に行ったことがある可能性がある。現代はインターネットが普及し、グーグルで「豆腐 京都 白」で検索するとわずか0.48秒で約8,770万件の検索結果を得ることができる。昔の時代に一生をかけないと得ることが出来なかった情報も、現代では一瞬であらゆる情報を得ることができる。良い時代になったものである。話は変わるが、下阿多古老人クラブ連合会発行の「下阿多古の昔話」には「とんち問答 白豆腐-おじいさんの話から-」という「白豆腐あり」と同じ昔話が収録されている。二つの昔話の大筋は同じであるが細部は少し異なっている。「とんち問答 白豆腐-おじいさんの話から-」の主人公は元庄屋の五呂兵衛となっている。そこには「庄屋とは村長のような人」との注釈がついている。「白豆腐あり」のおじいさんは元庄屋だったのだ。村長を務めるほどの技量の持ち主であれば博識であることも頷けるし、実際に京都で“白”の名の木綿豆腐を食べた可能性もある。いずれにしてもこのおじいさん、安易に白豆腐と命名したのではないと推察することが出来る。
また、現代では白くない豆腐が存在する。黒ゴマを使った黒豆腐、抹茶を使った緑の豆腐、紅麴を使った赤い豆腐、ワカメを使った緑の豆腐などがある。豆腐の一番おいしい食べ方は、豆腐とすりおろしたショウガをご飯の上に乗せ麵つゆをかけ混ぜて食すことだ(異論は認める)。豆腐をご飯にかける食べ方においては、豆腐が主役ではない。あくまで豆腐は脇役である。その一方、筆者の嗜好と異なり、豆腐を主役とする料理も多数存在し、浜松市内の料理店では豆腐懐石なる豆腐ファン垂涎の料理なども存在する。おじいさんは白くない豆腐の誕生や、豆腐の無限大の可能性を信じ、豆腐の未来を想い、それを見越して、混ざりものが入っていない純粋な豆腐として、白豆腐と表現していたのかもしれない。
おじいさんは殿さまからの問いかけに「富士の白雪」という言葉を返す。富士の白雪、これは雪の白さを強調しているわけだが、このような言葉を瞬時に出すところに知能の高さを感じる。このおじいさん、かなりのやり手のようである。
雪の富士として有名なものとして、小倉百人一首における山部赤人の「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」という句がある。筆者でさえ知っている有名な句である。冬のある日、田子の浦へ出てみた。するとはるかに望む富士の 霊峰が、まるで真っ白な布のように雪をかぶった姿で雄大にそびえている。さらにその頂上には今も雪が降り続いているのだ。すごい表現だ。文学が苦手な筆者でも情景が目に浮かぶ。
山部赤人の句には白雪という表現はないが、同じ百人一首には坂上是則の「朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪」という句がある。「夜がほのかに明るくなってきた明け方頃、あたかも有明の月かと思うほどに、吉野の里には白雪が降り積もっているではないか。」、このような意味であり、とても風流である。白雪という言葉には風流という言葉がとても良く似合う。
百人一首以外では、源実朝の「見わたせば 雲居はるかに 雪白し 富士の高嶺の あけぼのの空」という句がある。「見渡すと、雲の向こうに雪が白く見える。富士山の頂上が見える、曙の空だなあ。」という意味である。ウィキペディアによると、「源実朝(みなもとのさねとも)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治ははじめ執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。官位の昇進も早く、武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。」ということである。源といえば静香か頼朝しか思いつかないし、源からは戦しか連想できないが、このような文化的なことをやっていたとは全く知らなかった。歴史の授業で教わったかなあ?
勅撰和歌集という言葉が出てきたので調べてみると、勅撰和歌集の内、最も古い古今和歌集には多くの白雪が掲載されている。
白雪の 所も分かず 降りしけば いはほにも咲く 花とこそ見れ
白雪の 降りてつもれる 山里は 住む人さへや 思ひ消ゆらむ
白雪の 降りしく時は みよしのの 山下風に 花ぞ散りける
白雪の 八重降りしける かへる山 かへるがへるも 老いにけるかな
白雪の ともにわが身は ふりぬれど 心は消えぬ ものにぞありける
春たてば 花とや見らむ 白雪の かかれる枝に うぐひすの鳴く
冬草の上に降り敷く白雪の積り積りてあらたまの年を数多に過ぐしつるかな(長歌の後半部分)
 古今和歌集を見ただけでも多くの句が掲載されており、調べてはいないが、以降の勅撰和歌集においても同様であると推測できる。古今和歌集は西暦905年に成立しており、その頃には「白雪」という表現は当時の上流階級において一般的であったことが分かる。お、おじいさん!あなたはいったい何者ですか?
 時代はずっと下り、現代において富士の白雪で思い起こされるのが、静岡県民にはお馴染み土井製菓の「富士の白雪カスタード」である。グーグルで「富士の白雪」を検索すると約153万件(0.35秒)がヒットし、最も上位にランクされた。現代における富士の白雪№1である。「富士の白雪カスタード」は第26回全国菓子博覧会で名誉総裁賞を受賞し、富士山の上にそっと積もったふわふわの白い雪のようなやさしい食感が売りのお菓子である。この他にも現代の富士の白雪として、静岡県産のヤマアジサイ「富士の白雪」や青森県産のりんご「白雪富士」などもある。御殿場には特別養護老人ホーム白雪があり、多肉植物にも富士の白雪がある。昔も今も富士の白雪という言葉は幅広く使われおり認知度も高い。
 ここまでは「白豆腐あり」に出てくる単語を中心に見てきたが、類似する昔話が存在するかどうか気になる。そこで日本の昔話をまとめた日本昔話大成を調べたが類似する昔話は見つからなかった。しかし筆者の記憶の中に「白豆腐あり」に似た昔話が存在した。読者も一度は聞いたことがある昔話であると思う。

一休さん 屏風のトラ
むかしむかし、一休さん(いっきゅうさん)と言う、とんちで評判の小僧さんがいました。
とんち小僧の一休さんのうわさを聞いた将軍さまがお屋敷に一休さんを招きました。将軍さまは一休さんのとんちを試したくなりました。
家来に連れられて将軍さまの前に出た一休さんに、早速、将軍さまがとんちの問答を仕掛けます。
「洛中でも評判のとんち小僧にどうしても頼みたいことがある。」と言って、将軍さまの御前の間においてあった屏風を指し示しました。その屏風にはとらの絵が描かれていました。
有名な絵描きさんが描いたのか、そのとらは牙をむいて今にも襲いかかってくる感じでした。
「そこにいる屏風のとらを縛り上げてくれ。夜になるとその屏風を飛び出して暴れ回って悪いことばかりするので困っている。」
一休さんは、その屏風のとらを見つめて、少し考えてから将軍さまに言いました。
「わかりました。あのとらを縛り上げて見せます。縛り上げる縄をご用意下さい。」
「やってくれるか。縄を用意しろ。」
将軍さまに言われて家来が一休さんのところに縄を持ってきました。家来から縄を受け取った一休さんは腕まくりしてとらの絵の前で身構えました。
「ご家来衆、このとらを屏風から追い出して下さい。すぐに縛り上げます。」
一休さんに声をかけられた家来たちは困ってしまいました。
それを見た将軍さまが思わず一休さんに
「何を申すか。絵に描かれたとらを屏風から追い出せる訳がないだろう。」
一休さんはにっこり笑って将軍さまに言いました。「夜になると悪さをするとらですが、屏風から出てこないのですから縛り上げられません。」
将軍さまは返す言葉もありませんでした。そして一休さんのとんちにすっかり感心して一休さんにたくさんのほうびを与えました。

屛風のトラも白豆腐同様とんち問答の末に、社会的上位者が負け、素直に負けを求めている点で類似点が多い。
一休さんは、一休咄として江戸時代に刊行されたもので、一休さんが物語に出てくる相手とする問答でとんちを効かし、相手にぐうの音も言わせない様子が江戸庶民の間で博し、一休さんの人気を絶大なものとしました。一休咄よりも有名なのがテレビアニメである。1975年10月15日から1982年6月28日まで、NETテレビ(日本教育テレビ、本作本放送中の1977年からテレビ朝日)系列で全296話が放送された。P〇Aから嫌われるテレビアニメがある中、アニメ一休さんは中央児童福祉審議会推薦番組であり、箔がついたテレビアニメであった。「屏風のトラ」もテレビアニメで放映され、筆者も見た覚えがある。将軍さまにぐうの音も言わせない一休さんの姿が痛快であった。一方で将軍さまの寛大さも非常に印象に残っている。普通なら「この無礼者!切り捨てい!」と言われ、一休さんは殺されても不思議ではない。アニメ一休さんも一休咄も史実とはかけ離れているとの評価ではあるが、登場人物の為人(ひととなり)を推測するのに役立つ。白豆腐ありの殿さまとアニメ一休さんの将軍さまは、話中における立場や役割に類似点が多い。アニメ一休さんには考察研究が多いため、それらを通じて白豆腐ありの殿さま像を推測していく。
考察研究では、アニメ一休さんから見る将軍さま像として、①「南朝方の母を持つ一休さんの行動を警戒している」、②「市井(しせい)では冷酷非情な暴君と噂されているが根はおおらか」、③「優しい将軍さまと慕われている反面、わがままで子供っぽい将軍さまと呆れられている面もある」、④「一休さんのとんちに負かされても素直に負けを認めるなど度量が大きい」、⑤「気まぐれかつ短気でわがままで、戦も頻繁に行い、民の生活を顧みないことが多いが、正義感から仁政を行うこともある。ただしこれも、一休さんのとんちに負けた結果に影響を受けている」、が挙げられている。
②根がおおらかとは、細かいことは気にせず広い心を持っているさまである。これは一時性の感情というよりも性格的な特性である。将軍さまは表面的には冷酷非情だが、内面は優しい。白豆腐ありの殿さまも、冷酷非情とは言わないまでも、殿さまとして領地を治めるためにシビアに決断し、物事を判断していかなければならない。その一方で殿さまの地位を保つには配下の者に慕われ信頼される必要がある。要するに二面性を持っているのだ。「殿さまは、馬にゆられてのどかな景色を眺めながら、上きげんであった。」との描写があるため、性格的なおおらかさに加えて一時的な感情として上機嫌であったことが、おじいさんへの対応描写として如実に描かれている。
④度量の大きさという観点からも、白豆腐ありの殿さま像もアニメ一休さんの将軍さまと同様であると推測できる。将軍さまが一休さんのとんちに負けを認めるのと同様に、殿さまは、ぐうの音も出ないおじいさんの返答に対して、素直に負けを認め度量の大きさを見せている。根のおおらかさ故のことだろう。細かいことを気にしすぎていては、人の上に立つことはできない。ただし、殿さまの相手がおじいさんではなく、同じ地位の別の殿さまがだったらこうはいかなかっただろう。別の殿さまに「富士の白雪とは、これいかに。」と言われた瞬間に負の感情が芽生えたと思われる。殿さまの相手のおじいさんは、人生の先輩であり社会的には殿さまよりも弱い存在である。殿さまから見たら守るべき存在であるだろう。それ故殿さまは寛大な態度を示したと思われる。また、殿さまは自分の領地におじいさんのような頭の良い人間がいたことをうれしく思ったのかも知れない。これも殿さまの立場からすれば当然の感情と思われる。
⑤「気まぐれかつ短気でわがままで、戦も頻繁に行い、民の生活を顧みないことが多いが、正義感から仁政を行うこともある。ただしこれも、一休さんのとんちに負けた結果に影響を受けている。」という先行研究から、一休さんの存在の立ち位置はユング心理学でいうところのトリックスターではないかと推測できる。トリックスターとは、神話や昔話の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者である。「将軍さまの常識を、とんちで壊す」みたいな感じである。行き詰まった会議中に、誰かが冗談を言うことで会議が進展することはままある。これもトリックスターといってよい。神話や昔話だけでなく、現代にもトリックスターは存在するのだ。トリックスターを調べて行くと吉(きっ)四六(ちょむ)さんの昔話に行きつく。吉四六さんもとんちで有名である。といっても吉四六さんはとんちというより悪知恵といった方が適切かもしれない。「どじょう鍋」で豆腐を使ってどじょうをせしめたり、「ねずみの名作」において、鰹節を使って庄屋が持っていた鼠の彫り物を取り上げたりしており、痛快さという点では一休さんには及ばない。しかし一休さんも吉四六さんもとんちで常識を壊すという点では変わりはなく、トリックスターといって良いだろう。話を戻すと、将軍さまは民である一休さんと触れ合い、民のことを理解するうちに、自身の常識を壊され、本来気まぐれかつ短気でわがままであるにもかかわらず、仁政を行うに至ったと思われる。白豆腐ありでは、殿さまは白豆腐という看板に惹かれて入った店で、豆腐屋のおじいさんが「雪は白いときまっているが、わざわざ富士の白雪とは、これいかに。」と答えたことから物語は始まった。殿さまは、自分が知っていることを基準に物事を判断しようとした。おじいさんの視点に立てば、殿さまは自分が知っていることを基準に物事を判断しようとしていることに気づき、新しい見方を提示したことになる。殿さまは、おじいさんの答えによって、自分が知らなかったことを知ることができた。このことから人間は自分の知識や経験に基づいて物事を判断することがある一方で、新しい知識や経験によって自分の見方を変えることができることを示している。また、殿さまはおじいさんの答えに対して、「豆腐は白くても黒くてもよいわ。」と答えた。これは、殿さまが自分の見方を変えることができたことを示している。人間は、自分の見方を変えることができれば、新しい知識や経験を取り入れることができる。白豆腐ありの殿さまもおじいさんのような民と触れ合うことで、自分の考えを変えることが出来たのだろう。今風の言葉を使うと多様性ということになるのだろう。殿さまが価値観の多様性を受け入れ、自分自身の考え方を柔軟に変えたということになる。白豆腐ありには、この後の展開は記載されてはいないが、戦のことが伝承されていないという理由から、殿さまは良い政治を行ったのではないだろうか。
笑い話という理由で「白豆腐あり」を選んだにもかかわらず、全然違う視点から考察してしまった。本稿の制限文字数に達しそうなので、最後に笑い話的な視点からこの昔話を考察し、まとめとさせていただく。
この「白豆腐あり」は、豆腐屋のおじいさんが、殿さまの問いに対して、機知に富んだ返答をするところに笑いがある。殿さまは、白豆腐という看板に興味を持ち、豆腐は白いのが当たり前だと言っておじいさんをからかうが、おじいさんは、雪は白いのが当たり前だと言って逆に殿さまをからかい返した。この二人のやりとりは、言葉遊びや皮肉の効果で、聞く者を楽しませている。また、殿さまがおじいさんの機転に感心して笑って立ち去るところも、和やかな雰囲気を作り出している。この話は、身分の違う者同士が、言葉の力で対等にやりあうというところに笑いの神髄を見ることが出来る。
単に笑い話ということで白豆腐ありを選択し論を進めてきたが、短い昔話の中にも奥深さがあった。

文献
ふるさとものがたり天竜 上阿多古草ぶえ会
下阿多古の昔話 下阿多古老人クラブ連合会
ウェブフリー百科事典ウィキペディア
各種ウェブページ

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