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さきやまそうし

崎山蒼志をご存知だろうか。
この数年、私が好んでその楽曲を聴いているシンガーソングライターである。

(彼の事をこれから褒めるが、楽曲の中には以下に述べることが全然当てはまらない曲もあることを先に断っておく。その作風の多彩さも彼の魅力のひとつである。)

世の中には彼の作品が苦手な人もまま存在するようで、その気持ちは、実はわからないでもない。
彼の恐ろしくクセの強い歌声を忌避する声はそこここで散見される。

彼は歌が上手いのか、下手なのか。
上手い下手を論ずる場合、様々な切り口があるのだろうが、ごく一般的な評価基準に照らし合わせてみると、下手の部類に入れられてしまうかもしれない。

耳ざわりは悪い。(一般的にはたぶん)
音程は外す(たぶん外れてるんではなかろうか)
声はちゃんと出ていない。(最近は出てるか?)

だが、しかし、聴かずにはいられない。

テレビのカラオケバトルの番組で、非常に歌の上手い人が幾人も登場する。

すばらしい耳ざわり。
音程は完璧。
すみずみまでよく通る澄んだ声。

だが、しかし、積極的に聴く気にはならない。

こうしてみると、歌手に対する評価というのは、必ずしも歌う技術の巧拙で決まるわけではないと言える。シンガーソングライターとなれば、尚更である。評価の物差しは様々であろう。
マンガなどにも同じことが言えるだろう。絵が下手でも癖があっても面白い漫画は数多く存在する。

この人の作る曲は、聞いたことのないものばかりである。どこかで聞いたような曲、というようなものはひとつもない。(コラボ曲は例外として。)

にも関わらず、どこかで聞いた気がするのは何なのだろうか。実際には聞いたことのないものばかりなのに。

彼の曲からは、ある既知の感情を強く呼び覚まされる、と言った方がいいかもしれない。懐かしいと言ったらいいのか。昼下がりに遠くに聴くヘリコプターの音や、ふと香る沈丁花の香りと同じように、過去に感じとった何かを思い出させるのである。

それがなんだったのかは、思い出せないが、確実に知っている、感じたことのある感情、感覚、あるいは視覚的なものではない情景。デジャブほど、はっきりした知覚ではないが、しかし、もっと確かな何かを。

その何かに陥るのではない。思い出すのだ。そしてそれを懐かしいと思う。

彼がその感覚を知っていて表現しているというのか。いや、そんな意図はあるはずもない。意図して表現できるほどはっきりしたものではない。
こちらが勝手にそう受け取っているだけなのか。

「表現」は「表に現す」。
英語では「expression」。
内側にあるものを外に押し出すイメージ。

彼と私の内面には、イコールではないにしても、なにか共通する感情や感覚があるのではないか。それが、彼の紡ぐ音と詞に内包され、彼が自在に鳴らす楽器の音と彼独特の歌声で表現される。押し出される。その内包された感覚が、仄かであればあるほど、心の琴線をより一層鳴らすような気がする。

心の琴線を「鳴らす」?
本来は「琴線に触れる」か?
まあ、触れれば鳴るのだから良しとしよう。
いずれにせよ、音楽によって私の心が奏されるとは、なかなか面白い。

音楽というものにそれほど強い関心は無く、専門的な知識も持ち合わせてはいないが、この年若いアーティストに、音楽というものの持つ力の一端を教えてもらったような気がするのである。

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