落合博満の理屈からぼくが勝手に学ぶこと
落合博満の『バッティングの理屈』(ダイヤモンド社)を少し読んだ。まだ途中。今日のnoteは、そこで気づいたこと、考えたことを書いていく。
-自分の仕事を定義する
この本を読んでまず驚くのは、落合が何度も「バッティングとは」と、バッティングの定義をしなおしていることだ。
・打者の仕事は(略)飛んでくるボールを、いかに正確にとらえるかである(p.36)
・バッティングとは、長い腕で長いバットを持ってボールを打つ動作である(p.47)
というように。
-定義すると、そこに必要な技術がわかる
そうやって自分の仕事を定義すると、ではそのためにどうしたら良いか?の具体策を考えはじめることができる。
「もっと打てるようになりたいなあ」となんとなく思っているだけでは、うまくなる道のりは偶然に任せるしかない。うまくなりたいと思った先に、どうやってうまくなるのかを考える必要がある。そこをサボると、「みんなが良いと言ってる」とか、「お父さんが教える打ち方」に従ってしまう。もしかしたら周りのみんなやお父さんの言うことがたまたま的を射ている可能性はある。しかしどうやって「合っているか」がわかるのか?
頼れるのは、自らが考え抜いた「理屈」なのだと、落合は教えてくれている。
自分なりに仕事の定義をしてはじめて、自分が具体的に何を鍛えたら良いかが見えてくる。それで鍛えてみてダメなら、どこかで鍛え方が間違っている。もしくは定義が間違っている可能性があるので、遡って考え直す。理屈の抜けを探すのだ。しかしそこに理屈がなければ、遡ることはできない。
-自分に引きつけて考える
さて、落合がバッティングを考えているからといって、ぼくも打てるようになりたいという気持ちでこの本を読んでいるわけではない(ゼロではないが)。自分の仕事に応用できないか?を考えるほうがメインの目的だ。読んで学びながら、「じゃあイラストレーションを描く」はどんな仕事なのか?を考えるようになっている。
バッティングと同じく、定義を考えなくても、絵が好きな人は絵を描き続けてうまい絵が描けるようになるし、それを気ままにアップしていくだけで仕事が来るかもしれない。でもコンスタントに仕事の結果を出すことにつながる筋道がそこにはない。自分がコンスタントに結果を出すためにはどうしたら良いか?いつも疑っている。
-イラストレーターとしての仕事の定義(自分なりの)
ぼくがいま考えているイラストレーターとしての仕事の定義は「依頼主の要望を的確に汲み取って、要望以上(要望どおりも含む)の絵を描く」だ。
書籍の仕事が多いので書籍の話になるが、この定義をもとに「その書籍の意義・内容を理解する技術」と「理解したことを絵に落とし込む技術」が必要だと考えている。
上の定義とは別の定義もある。「本を手にとってもらう、買って読もうと思ってもらう絵を描く」という定義。だから、「知ってもらう」ためにはどうしたら良いかとか、「買いたくなる」ための絵を描くにはどうしたら良いかを考えている。
逆に「買ってみよう」と思わない絵は描かないようにしたい。「目を引くが、買いたくはない」ということは消費者として生きていると多々ある。自分の絵が誰かにとってなるべくそういう感情を引き起こさないように気をつけている。
-上の定義で漏れてしまうイラストレーション領域
定義してみたものの、では絵のタッチについてはどう考えたらいいのか?が良くわからないところではある。絵のタッチは仕事につながる・つながらないに大きく関わってくる。絵のタッチはイラストレーターのアイデンティティに関わるもので、容易に変えることはできないと思うけど、絵のタッチは上の技術があるから活きてくるものだ。
また、ときには依頼主が「ピザを食べている人の絵を描いてください」と、具体的に指示を出してくれることもある。そういうときはそういう絵を描けば良い。その要望に応えるのも仕事だ。それは野球でいうなら送りバントをするような仕事だが、簡単なようで難しい。
言葉では簡単に表現できる「すっきりと片付いた部屋を描いてください」などは「すっきりと」の解釈が難しく、「ドイツ国旗とスペイン国旗をモノクロで描いてください」みたいに、色を使えれば簡単でも、モノクロだと難しいケースもある。
ただ、具体的な指示があるからと言って、実はそれが要望の全てではない。自分の気持ちのすべてを「的確に言語化すること」は、難易度が非常に高く、それはクライアントにとっても同じだ。言語化された以上の要望まで汲むことで、こちらから出せるアイデアは増えていく。
-その仕事の「基本」は何か?
定義以外にも落合から学ぶことは多々ある。
落合は、バッティングの基本はセンター返しだという。
「自分の仕事の基本」を考えておくことで、たくさんの仕事をしていくときに、成果にぶれが出ない方法を見つけることができる。いつもコンスタントに結果を出すことができる。「なぜセンター返しが基本といえるのか?」ここには書かないが、落合の考えは筋が通っている。
落合博満は、バッティングの定義を考えなおし、基本をふまえた上で、具体的にどういう練習方法をすべきかを教えてくれている。練習で理想のバッティングができなければ、本番でうまく打つことはできない。
この考えは自分の仕事にも応用可能で、そのことはまた別の機会に書くかもしれない。
最後に
イラストレーターの仕事にはいろいろな定義があり、付随していろいろな技術があると思うので、何か思っていることがあったら呟いたりしてみてもらえると嬉しいです。
(それにしても、自分の仕事の進め方について書くと、自分の仕事の質が改めて問われるような気がして、身がキュッと引き締まってしまうなあ。)