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節目

まだずっと先のことだと思っていたのに、、、
あっという間にその日は来て、そしてあっという間に過ぎ去ってしまいました。

6月15日、珈琲ふう での最後のライブ。


犬山 珈琲ふう にて

犬山の美しい城下町の一画にある 珈琲ふう は、私が「やぎたこ」として唄うことの第一歩を踏み出した頃にはもう既に、
やなぎさんにとって大切な居場所のひとつでした。
いろいろな意味で信頼できて、美味しく煙草を吸い、珈琲を飲める、かけがえのない空間だったのだろうと思います。

毎年6月、彼の誕生日の前後に行われていたソロライブに、私もリスナーとして何度足を運んだか、もうよく覚えていません。
生音で、みんなが耳を澄まして聴くここでのライブは、何度体験しても、他所とはひと味違う、特別なものでした。

彼亡き後、廃盤のまま販売していなかった彼の若い頃の音源のうち可能なものを、配信で聴けるよう手続きを取った時の、配信アルバムのジャケットをこの、「ふう」でのライブ時の写真にしたのも、そんな気持ちがあったからです。

彼が唄うはずだった2022年6月19日、その翌年の2023年6月17日に続いて、私が唄わせてもらうのは今年で3度目。
来春の閉店が決まっているこの場所へ、足を運ぶことはまだ数回あるとしても、唄う側に立つのはこれが最後です。

どうなることかと思いつつ(たぶん皆さんにもそう思わせながら)始めた私のソロでの活動もまる2年が経ったところ。
今回のライブの客席には、やなぎソロだけでなくやぎたこも、そしてソロになってからの私のこともずーっと、
見守り、応援し続けてくれている方に加えて、ソロしか知らない、という方もちらほら。
どちらも本当に有難いことです。

「ふう」ではやなぎソロ、県は違えどご近所の「Music Room 6-21」ではやぎたこのライブ。
「似合う」ことを基準にそんな棲み分けをしていたことに思いを馳せつつ、今回のふうでのライブ本編は、オリジナルだけの選曲にしようと、前からぼんやり、そう思っていました。


第一部

前半はギターだけ。
後半はオートハープだけ。

ライブ中に持ち替えをせず、客席とずっと正対していられるというのが新鮮でした。


第二部

マイクを立てない、生音ならではの自由さと不自由さは、奥深くて面白くて、そして難しくて、私にはまだまだ挑戦の連続。

CDに収録した歌ですら、完成とはいかずに途中経過の報告のような気持ちのものばかりだけれど、
それでも唄い続けるうちに少しずつ、唄い心地が変わってきて、違う風景が見えることがある、かも、、、
というあたりにいる「今のわたし」を、他でもないこの場所でやってみることができて幸せでした。

アンコールを頂いて、ここからは「オリジナル」縛りもナシに、「今」のチャレンジを披露すべく、最近になって唄い始めたディランの曲、やなぎさんが日本語にしたものを。

へたくそ!!
という声が聞こえてきたような・・・


毎年会っているツバメ

実は、フラットピックでギターを弾く、第一歩を踏み出したところなのです。

何事も「初めて」は付き物だし、やらなきゃ上手くはならないし、、、
心の中で言い訳を並べつつのチャレンジです。

歌い継ぐなんて大げさなことではなく、唄いたくなったから、という単純な理由を盾に、さらにもう1曲。
こちらは私がやなぎさんと出会った頃に、界隈でいろいろな人が唄っていたやなぎさんのオリジナル曲。

自分のものとして唄うのにはまだまだほど遠い状態なのだけれど、歌詞やギターの節回しは自然に身体に入っていて、
知らないうちに覚えていたことに自分でも驚きました。

そういう曲がある、という発見は、なんだか道しるべを見つけたみたいで不思議な心強さでした。

改まってこれまでのありがとうを言うにはまだ、少し早いのだけれど、
今回のライブも、お世話になりました。

ここで唄えてよかった。
小川さん、ありがとうございました。

これからも、どうぞよろしく!
という気持ちを込めて、記念の一枚。


3ショット!

ちょうどこの日に63歳になるはずだったやなぎさんに皆が献杯してくれて、静かだけど賑やかな、たからもののような夜。

何がどう変わるというわけではないのだけれど、ひとつの節目を迎えたような気分でした。
寂しいような、ホッとしたような。

さあ、私もまた唄っていこう。

今週末は、関東です。





どちらも違うこと(も)やります(笑)。

お時間合う方、ぜひぜひ。


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