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川を飛び越えたかったぼく

15本目です。

子どもの頃
小さい用水路を飛び越えた時
ぼくはどんな川でも飛び越えられると信じていました。

近所のお兄ちゃんたちが
幅の広い川を飛び越えたのを見て
ぼくもできると思った。
お兄ちゃんたちは
笑いながら
届くはずないと言っていた。

そんな言葉を信じるわけもなく
ぼくは
全力で走って
思いっきり加速して
力いっぱい飛んだ。

お兄ちゃんたちが言ったことが
正解だった。
川に派手に落ちた。
ぼくは
悔しくて泣いた。
お兄ちゃんたちは
笑いながら
やっぱりって言っていた。

ぼくはただただ
飛び越えられなかったことが
悔しかった。

それから
何日もその川を飛び越えようとして
何回も川に落ちた。

母さんに何回も怒られて
何回目かしたら
乾くまで家に入れないと叱られた。

飽きたのか
他に夢中になることができたのか
気づいたらやめていた。

ぼくが近所のお兄ちゃんたちと
同い年くらいになった時
その川を普通に飛び越えられるようになっていた。

大きくなってから飛び越えた時
悔しいような笑えるような
何とも言えない感情になった。

その時じゃないと
わいてこない興奮や感動がある。

あの頃のぼくは
なんで川を飛び越えたかったのか
大人になって考えてみる。

はっきりとはしない記憶だけど
自分のことだから答えを決められる。

ぼくは飛び越えた先から
川と元いたところを見るのが好きだった。
違う視点から見ること
わかりやすく成長を感じること
そんなことが好きなんだと思う。

今の僕が何かに夢中になるためには
同じ視点からだけじゃなく多角的に見て取り組むこと
自分の成長をしっかりと実感できること
こういうのが必要だと思う。

夢中になって
ケガをしたりもしたけど
あの時間は
ぼくには必要だったと思う。
今の僕にも必要だと思う。

あの時の川は飛び越えられなかったけど
あの時のぼくが教えてくれる
なにかに夢中になって挑戦する気持ちを。

今の僕,これからの僕が
何かを飛び越えた時
あの頃のぼくに言ってやりたい
お前も飛べるぞって。


挑戦したいことや
夢中になるようなことって
その時にしておかないと
やらなかったり
別のことで穴埋めして
満足した気になってしまうことが
沢山あります。

そういう時に
川を飛んでいた時のことを
思い出します。

大人になると
川を飛んだりはしないけど
達成したい何かは色々あると思います。

あの頃のぼくに
がっかりされないように
飛び越せるかわからないけど
やり切ってやろうと
自分の気持ちを高めます。

なるべく自分が憧れる自分になれるように
努力していこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。
またよろしくお願いします。





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