はじめての政治哲学 「正しさ」をめぐる23の問い 第4章 16 国家
日本人とは何か?
結局日本人とは何かを問うことは国家とは何かを問うことにつながっていく。
国家とは何か?
一般に国家とは、ある一定の領域内に住む人々に対して、持続的に統制権を行使する組織をいう。とりわけ近代においては、
領域
主権
国民
が、国家を規定する三要素であるといわれる。
どうして国家が求められるのか?
これには三つの考え方がある。
自然的共同体として国家が求められるとする考え方
権力国家観
契約による国家
自然的共同体
アリストテレス(前384〜前322)が「人間は本性的にポリス的動物である」といったように、人間にはより善く生きるために、共同体を組織する性質がある。
権力国家観
この立場は、人間を利己的な存在であるととらえており、そんな人間を秩序のもとで生活させるためには、ある種の物理的な強制力が必要になると考える。
契約による国家
社会契約論と呼ばれるこの立場は、人間は目的を達成するために、契約によって人工的な組織としての国家をつくると考える。
国家の類型化
国家肯定論
国家否定論
に分類できる。
ネーションとは何か?
国家を論じる上で、鍵となるのがネーションという概念。
大きく分けてネーションには二つの意味がある
何らかの属性を共有する同質的な人間の集団
国家が管轄する人々の範囲
国民国家
仮に国家が管轄する人々が同質性を有する場合、そこには国民国家(ネーション・ステート)が成立する。こうした国民国家を形成しようとする思想や運動こそ、後で述べるナショナリズムにほかならない。
ナショナリズム
ネーションは、同質性を要求することから、封建社会や社会的不平等の解消に貢献することになる。また、税の再配分をはじめとした負担の分かち合いにも寄与する。しかしその反面、歴史観や言語など人々の間の差異は強制的に標準化されていった。
それは別のネーションとの関係でいうと排他的な関係となって現れ、両者の対立を生み出すことになる。まさにこれがナショナリズムの立ち現れる場面である。
ナショナリズムの起源
ナショナリズムの起源については、代表的な三つの考え方がある。
近代の産業化社会を起源とする考え方
出版資本主義の進展と世俗語の普及に着目
民族的な起源
アーネスト・ゲルナー
一つ目はイギリスの歴史学者アーネスト・ゲルナー(1925〜1995)の考え方である。
ゲルナーは、近代の産業化社会がナショナリズムを生み出したという。
つまり、それまでの農耕社会においては、土地の耕作といったモノに対して働きかける労働が主だったため、文字文化は一部の特権階級を除き必要とされていなかった。
ところが産業社会では、一転、言語を介したコミュニケーションが重要になってくる。
なぜなら、工場で働くにしても、サービスを提供するにしても、他者との意思疎通だけではなく、設備のマニュアルを読んだり、規則を理解したりといった事柄が求められるようになるからである。
したがって、国家は標準語の整備と教育基盤の整備を余儀なくされる。
かくして産業化がきっかけとなって、人々は同じ言語を話し、同じ歴史観を植え付けられることで、ナショナリズムが生まれたとするのがゲルナーの主張である。
ベネディクト・アンダーソン
二つ目は、非核政治学者のベネディクト・アンダーソン(1936〜)の考え方である。
アンダーソンは、出版資本主義の進展と世俗語の普及に着目する。
翻訳や印刷技術の向上による、世俗語で書かれた新聞や小説といった印刷媒体のおかげで、国家という想像の共同体が、心の中にイメージされるに至る。
アンダーソンは、これがナショナリズムを生み出すきっかけとなったと主張。
A・D・スミス
彼らの主張に共通するのは、近代になって無からネーションに対する意識が人々の間に生じ、ナショナリズムが生み出されたと考える点である。
これに対して異議を唱えるのが、三つ目のイギリスの社会学者A・D・スミス(1933〜)の考え方である。
スミスは、近代のさまざまな革命によって、人間の生活様式や社会に大きな変化が生じたこと自体は認める。
この自らの立場を、スミスは「エスノ・シンボリックアプローチ」と呼んでいる。
このアプローチによると、ネーションの創出は常に繰り返される。
ナショナリズムの二つの類型
「シヴィック・ナショナリズム」
国家の構成員が、共通の政治原理のもとに所属したいと望む点を重視するもの。「エスニック・ナショナリズム」
言語や文化などの民族的な一帯性に基づく人々の紐帯を重視するもの。
ただ、スミスにいわせると、こうした類型の特徴は、いずれのナショナリズムにも見受けられると主張。
たしかに、人間には、共通の政治原理への所属を希求する要素と、民族的な一体性を感じる要素の両方が備わっているように思われる。
リベラル・ナショナリズム
1990年代に登場した比較的新しい理論で、ミラーやキムリッカらが主張しているものである。
彼らの主眼はリベラル・デモクラシーにあり、それを実現するためには、安定したネーションが必要になるという。
そこで、言語政策や文化政策にナショナルなものを反映するための政治の関与を容認しようとする。