はじめての政治哲学 「正しさ」をめぐる23の問い 第3章 13 宗教多元主義
下着の着用を禁じられたらどうする?
欧米で議論を巻き起こしている大問題がある。
イスラームの女性が顔や体を覆うブルカという衣服を、公共の場で着用することを禁じようとするヨーロッパでの議論と、同じくイスラームの宗教施設であるモスクを、9・11同時多発テロ事件の跡地付近に建設することをめぐるアメリカでの議論である。
ここでは宗教多元主義という文脈の中で、いったい何が問題なのか考えてみたいと思う。
宗教多元主義とは何か?
キリスト教における宗教多元主義
一般に宗教多元主義には2つの意味があるといえる。
宗教が複数存在するという意味
自分が信仰する宗教以外の宗教にも、独自の真理があることを認めようとする態度のこと
後者の意味での宗教多元主義がが議論されてきたのはキリスト教においてであった。
キリスト教の立場として
自分たちを唯一絶対のものと見ることによって、他の宗教に真理があることを認めようとしない排外主義
そこまでいかなくても、キリスト教を唯一の真理であるとしつつも、他の宗教も存在を認めたうえで内に取り込もうとする包括主義
がある。多元主義とは、これら二つの立場を克服するものとして唱えられてきた。
ジョン・ヒック
宗教多元主義を唱える代表的な理論家ジョン・ヒック(1922〜)によると、ここの宗教が主張する真理は、実は同じものを違った見方でとらえているにすぎないというわけである。
結論
グローバリゼーションの影響で、人、モノ、金、情報の国境を越えた移動が起こり、宗教相互の交流や摩擦を生んできた。それにより、9・11テロ事件のような、宗教を信仰しない人も含め、多くの人を巻き込んだ事件に発展する時代になった。
変わるイスラーム
イラン系アメリカ人の若き宗教学者レザー・アスラン(1972〜)は『変わるイスラーム』(2005)の中で、9・11のテロ事件は、イスラーム社会内部での改革派と反改革派の対立が顕在化したものに過ぎないという。
ウサマ・ビン・ラディン
今は識字率と教育がめざましく向上したことによって、ムスリム(イスラームの信者)たちは新しい考え方や情報源に容易にアクセスできるようになった。
その結果、伝統宗教的機関の権威が低下し、ムスリムたちは自分がベストだと思った新しい権威のファトワー(法的見解)に従うようになってしまった。
そうした新しい権威の一人がテロの首謀者と目されるウサマ・ビン・ラディンだったのである。
No god but God
したがって、いまこそイスラーム社会には、抑圧的な権威主義から解放されて、宗教的多元主義の理想が実現される土壌が整いつつあるわけである。
実はこの本の原題は"No god but God"という。これはイスラームの信仰告白「神(アッラー)のほかに神なし。ムハンマドはその使徒なり」から来ている。
「実在」の存在を説くヒックの宗教多元主義について紹介したが、イスラームに置き換えると、すべてのgodは一つのGod、すなわち一つの真理に収斂していくはずであるという同じ宗教多元主義のメッセージが込められているともいえる。
仮想戦争
Cosmic Warというのは、アメリカの社会学者で宗教学者でもあるマーク・ユルゲンスマイヤー(1940〜)の造語で、人々の目に映る「許しがたい悪」を「サタン」と見立てて、自分の信じる神を味方につけ、サタンを滅ぼすために体を張って闘う宗教行動主義者の形而上学的な戦争のこと。だから「仮想」なのである。
ブルカの禁止とモスク建設
冒頭でも触れたように、ヨーロッパでは公共の場所でのブルカ着用を禁止する動きが高まっている。
理由はさまざまだが、その背後に宗教差別やイスラームへの恐怖心があるのは間違いないだろう。
すでに述べてきた宗教多元主義の視点からすると、相手を認めたときはじめて、恐怖心は消え去る。これまでも私たちは、たとえば「フェミニズム」の議論を通じてそのことを学んできたはずである。