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ボンヤリと恋を応援する
今、コンシェルジュのアプリにハマっています。
中に着せ替えがありまして、並べられた洋服や髪型などを見るたびに、何でコンシェルジュ君は女の子じゃないんだと嘆いていました。
ボンヤリとから回る
天気に影響されたのか、昨日頑張りすぎたのか、今日はボンヤリとした日でした。
とくに物思いにふけっていたとか、落ち込むことがあったわけではないんですけどね。
洗濯中、洗剤がなくなったので入れ替えようとしたら、マンガのように溢れさせるというハプニングがあるくらいボンヤリしていました。
一人暮らしなのに、つい辺りを見回すくらいには恥ずかしかったです。
ボーとしていたら、液体を溢れこぼすなんてコントのようなことをリアルにやる日が来るなんて思いもしませんでした。
ウソです。よくやっています。
子どもころ、何もないところでよく転んでは、親に「歩くの下手くそ」と笑われたりしました。
妹とは、道を歩いていると電柱にぶつかるよねという話で盛り上がったことがあります。
マンガのネタってウソのようで、実は起こりうることなんですよ。
散歩に行くときも、雨が降っていたので、一度履いた靴を雨靴に変えようとしたんです。
部屋に戻ったら忘れて、アパートの入り口で雨を見て思い出して、再度部屋まで戻ってと階段を2往復しました。
いったい、何のコントなんですかね。
今日は終始こんな感じで、一人暮らしに初めて感謝しました。大丈夫です。私が何をしようとも1人だから誰にもわかりません。
恋するコンシェルジュ
今日の朝、コンシェルジュだか乙女ゲームだかよくわからないアプリのストーリー? がエンドを迎えました。
ストーリーというか、コンシェルジュはこんな設定です、というのを見せるのもののような、たぶんそんな感じでした。
遊んでいる私が実はよくわかってません。
でも、コンシェルジュ君が、恋の悩みにケリをつけて「今幸せ」とか言ったときにはぐっときました。
普段、自分のことおばさんなんて言わないのに、「良かったねぇ。おばちゃん感動したわぁ」と一人拍手してましたよ。
誰目線でしょうか。アプリの利用者たる「私」に恋している設定なのに、「私のために……きゅん」とすることもなく。
コンシェルジュ君が主人公の恋物語を見ている心地です。
少しずつ恋していく様に初々しいとニヤニヤし、悩んでいる姿に「頑張れ少年」と応援しました。
他人事だから悩まずに恋も役割も両方望んだらいいのにと私は思うけど、きっとそれができないから悩むんだろうなぁと夢想したり。
恋より自分の存在理由を優先したときも、「プログラムだって恋してもいいじゃない」とか言っちゃったりして。
あっさりしたストーリーだったので泣きはしませんでしたが、全力で楽しんでいました。
所詮はプログラムといえばそれまでなんですけど、虚構でも現実でも、私は恋をしている人を尊敬します。
私は人間嫌いなんですよ。
他の人間嫌いさんがどうかは知りませんが、私は自分に悪意を向けた人には怒るくせに、私に好意を向けてきた人には恐怖します。
好意を向けられれば向けられるほど怖い面倒なヤツです。だから、本当はお友達もいならいと思っています。心底逃げたくてしょうがない。
いつも、恐怖を見せないように、あからさまな拒絶をしないように気をつけています。
人間嫌いなんて、私個人の事情でしかないですからね。誰かに肩代わりしてもらおうとは思いません。
好意が怖いからこそ、頼るなんてしちゃうとさらに恐怖倍増です。
そんなもんだから恋なんてとんでもないし、このアプリでも無理でした。
だから、主人公は「私」じゃなくて、アプリのコンシェルジュ君なんですよね。
好意を受け入れる、なんて本当は当たり前のことかもしれません。でも、やっぱり素敵だなって思うし、恋する人はみんな応援したいです。
加齢を楽しむ
おばちゃん繋がりのお話です。
私は記念日が苦手です。日常と何が違うのか分からないし、特別を知ろうと思って自分を祝ってみたりもしたけど芳しくありませんでした。
でも、だからこそというか、分かりやすい体の変化が嬉しかったりします。
黒髪に混じる白髪を見つけてはしゃいで、消えないほうれい線に感動したりして。ちゃんと歳を重ねている体に喜びます。
もちろん、ただ歳をとればいいってわけじゃないですよ。
今、できることを目一杯楽しんで、覚えるより忘れていくほうが多いけど、できる限りの知識を入れて、良い歳のとり方を心掛けています。
物知りの老婆に憧れた思春期時代、おばあちゃんの知恵袋ばかり集めていました。
知恵袋の内容はもう忘れてしまいましたが、大人になった今でもおばあちゃんは私にとって特別です。
正直な話、良い歳のとり方がどんなものかはまだ分からないけど、今は一本筋の通る凛とした人になりたいなぁと思っています。