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さよなら炒飯!二皿目

ヤン君は言う。そのうち中国か日本で店を持ちたい。少しだけお金を足せば十分満足できる店。
「今中国には成金がたくさんいる。あの人たちは見てられない。株で遊んで儲けている。少しぐらいならいいけどさ」
ヤン君は僕のことを言う。
「朔ちゃんは物覚えもいいし、客との会話もすごく上手。客が楽しそうなのがよくわかる。その辺の判断を上手くすると周りをコントロール出来るよ」

客のコントロールとか判断とかはよくわからない。そもそも客と必要以上の関わりを持つのがしんどい。他者の何かが自分に入り込んでくるのが面倒だ。 前の会社では常に成長を求められた。他者が否応なしに自分の中に入り込む。
「高い目標と強い志を持ち、絶えることのない改良改善を行い、己の進歩・発展をさせることで自分を高みに押し上げること」
これを唱和していた。その時は「なるほど」とか「素晴らしい」なんて思っていたけど、今考えるとそんなこと言われる筋合いはない。

「お客の女の子とID交換したんだよね。ちょっと見せてよ」
ヤン君はいつの間にか僕のスマホを手にしている。僕に向けて顔認証ロックを外した。あり得ないことをされているのにあまりに滑らかな動きでそれが普通に思える。
ヤン君はLINEを見て笑う。
「何これ、三人もやり取りしてるのに、まるで駄目じゃん」
片手で焼売を包みながらスマホを操作する。体は全くぶれない。
「あれ?朔ちゃん、まさかうちに来るお客さんで本命の彼女を作るとか考えてる? 朔ちゃんはいい年した中華料理屋のアルバイトでしょ、あの子たちこの辺の大きな会社に務めてるんだよ。朔ちゃんなんか本命になるわけないじゃない。朔ちゃんの年収いくら?知ってるけど。あの子たち遊びたいだけだよ。アルバイトと一緒になるなんてある訳ないでしょ。向こうもやりたいだけだから。なんていうんだっけ、持ちつ持たれつ?WIN-WIN?あの子たちはね、会社でやるだけの奴を見つけるとか、そんなことリスクが大きすぎてやらないよ。堅い会社でそんな噂が立てば大変な事になるでしょ。出会い系アプリってあるけど、知らない男といきなりやるのも怖いよね。で、朔ちゃんの出番。新宿だとおっかないけど、大手町とか丸の内だと何となく安心しちゃうでしょ。あとはやるだけ」
ヤン君は少し声を潜めて「堅い会社がまともな会社とは限らないけどね」と笑顔で言う。

「朔ちゃんは男前だよ。そのくせっ毛と眼鏡、よく似合う。でもお昼、チラチラ僕の方見ちゃうでしょ、いい大人が。一回決めれば、色々といい事が呼び水となっていい事引き連れてくるよ、勝ち癖つけるんだよ。株ってわかる?あれはいい材料がいつの間にか、もっといい材料持ってきちゃう。もちろん悪い材料は悪い材料を次から次へと呼びこんじゃう。でもこうやってちゃんとお話し聴いてくれる朔ちゃん、僕は好きだよ」
唐突なヤン君の「好きだよ」。その声は上から目線でもなく、セクシュアルなものも感じない。そしてさっきの「堅い会社がまともとは限らない」の時の笑顔。感情が上手く読み取れない。こういうのが大人なのかと年下のヤン君に思う。

子どもの頃、二十七歳とか二十八歳は大人だった。大学生の時でさえもそう見えた。社会的に有意義な仕事をこなす。いろいろなものを抱えながら、愚痴を言いながらも金を稼ぐ大人。ヤン君には「幹」の様なものがある。自分にはそんなものはない。
窓のない厨房の奥で丸椅子に腰掛け、目の前の油でくすんだタイルを見つめる。
バイトが終わったらどうせ負けるパチンコ屋に行き、適当に弁当を買ってアルコール度数だけは高いチューハイを飲む。典型的な先行きのないクズ。無敵の人への階段を順調に降りていくコースだ。大手町の疲れ切ったスーツ姿。それでさえ羨ましい。
社会的にまともな職を考える。しかし前の会社で営業として何か成果を出したわけではない。積み重ねていない。居心地の良い金龍飯館に包まれ始めている。何も選んでいない。運ぶのは誰かが選んだ知らない炒飯。



大手町という土地柄なのか、客とのトラブルはほとんどない。僕が見たのは二回だけ。
金龍飯館は予約を取らない。席が少ないし、回転数が勝負のランチで予約を取るメリットがない。でもある日二十代の男性がやってきて言った。
「大物が来るんです。その方炒飯好きなんです。このお店にすごく興味持って。でもベジタリアンでハムとか入っちゃダメなんです。予約お願いできませんか?五人で」
ヤン君は優しく断る。でもその二十代の男の子は青い顔で何度も頭を下げる。ヤン君は慈愛に満ちた柔らかい声で予約を受けた。ヤン君の声は時として聴くもの全てを包み込む優しさがある。
「十二時。五人でハムなしね。うちはハムじゃなくてチャーシューなんだけどね」
予約の当日、十二時に来なかった。二十分過ぎても来ない。電話もない。十二時半を過ぎ、五人はやって来た。予約した男の子はやはり青い顔で頭を下げる。汗だくだ。
「予約、十二時ですよね」僕が言う。
「三十分ぐらいいいだろ、入るぞ。なんだお前、そんな顔するなら二度目はないぞ」
髪を後ろに束ねた、五十代の男性が店に響くでかい声で言う。彼が大物ゲストなのだろう。ランチをメインにする小さな店で五席を三十分間空かせるのは致命的だ。そんな話をしようとしたがヤン君に止められた。
「あの男の子、大変そうだからね」

彼らはチャーシューなしの炒飯にハムの味がすると難癖をつけ、リーさんはチャーシューなし炒飯を作り直した。結局二時半までいたが、最初に難癖をつけたチャーシューなし炒飯も食べて帰った。
彼らが帰ったすぐ後、ヤン君が店の外に出て行き、しばらくしてシュークリームを手にして帰って来た。十分ほどして救急車のサイレンが鳴り響く。店に来た二人の客が言う。
「人って倒れる時、膝から崩れ落ちるんだね。あの人大丈夫かな」
「髪の毛後ろにした人な」
「何か病気かな、いきなりだもんね」
ヤン君を見る。ヤン君は肩をすくめて僕にシュークリームを渡し、厨房に入って行った。

もう一つ。五十代半ばの仕立ての良いスーツを着た男性が店でいきなり土下座した。
「お願いします、これ以上無理です、もう駄目なんです。これが知られたらもう駄目なんです」
泣きながらヤン君にすがりついた。ヤン君は表情を変えず、滑らかに外に連れ出していた。



午後一時を過ぎると潮が引くようにランチの客がいなくなる。代わりにコーヒーを飲みに来る。中華料理屋でコーヒー。あまり聞いたことがない。
先日ヤン君が業務用のコーヒーミルとビアレッティのエスプレッソメーカーを買ってきた。
僕は学生時代にカフェでバイトをしていた。一杯ごとにハンドドリップするところだ。なのでドリップはできる。世間話としてそんな話をした。するとリーさんが言った。
「店でコーヒー出しましょう。朔ちゃん、お願いね。メニューも豆もカップも全てお任せするよ。ヤンに指示を出せばいい。仕入れてくる。時給はたくさんね」
リーさんは「峰」という煙草を吸いながら、初めて耳にする少し大きな声で言う。
「そうだね、今の倍、いや、もっと出してもいいかな」
裏がありそうな時給を提示された。時給とリーさんが醸し出した圧に負けた。リーさんは言う。
「お客さんにゆっくりしてもらいましょう。一人の客よりも何人かの客がいいね。この時間お一人様はなしがいいな。カウンターもなしにしましょうか」
カフェはお一人様も重要な客だ。でもヤン君も頷く。正直よくわからない。

「wifiは設置しないんですか? カフェなら当たり前にありますけど」
「そんな事しないよ。みんなスマホばっかりみて、ちっとも楽しくなさそうだよ。お話してないじゃない。あ、ヤンと朔ちゃんだけのwifiは作ろうかね」
稼ぐ気があるのか、よくわからない。

ヤン君は僕が何か言う前に全て揃えてきた。ドリップコーヒー、カフェモカ、カフェラテ。少し大ぶりのカップで出す。これもリーさんの指示だ。
「大きなカップでゆっくりして、たくさんお話してのんびりできるようにね」
ヤン君はお茶請けに「和」を選んだ。京都かわみち屋そば饅頭と弥彦温泉中村屋温泉饅頭。中村屋なんて取り寄せなんかできないと思っていたが、ヤン君が何とかしていた。
当然評判になり、客が入るようになった。オフィス街の午後に結構な人が入り、コーヒーを飲む。こいつら仕事しているんだろうか。俺がセールスプロモーションやってた頃は終電過ぎても仕事してたぞ? 
僕は大手町に毒づく。



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