生きること、そして個であることの輪郭。ジャックケルアック「オン・ザ・ロード」
これはジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」の読書感想文である。なかなか出てこない。引用がとても多い。ご了承願いたい。
あるアンケートから始まった。
少し前の事。小説の材料にしようとTwitterでこの様な投稿をした。
登場人物が20代後半の小説を書こうとしていた。20代後半から30代の自由と希望がテーマ。
「自由と希望」は「夢」でなく、「愛」でもない。
自由って自分が隷属している何かから抜け出したり、勝ち取ったりするものだと僕は考えている。それを20代後半からの彼ら彼女らはどのような曲に自己を投影しているのか、知りたかった。
たくさん、本当にたくさんの曲を上げて頂いた。ありがとう。リプ、リプツイート、DM。
そのうちいくつかを抜粋したい。
歌詞の行先が何処に向かって行くのか、そこを注視して欲しい。
この時点で、僕が想像した「自由と希望の曲」とは何となく違う気がした。
自分を責めている気がする。「自由と希望」ってこんなだったっけ。自分を責めるのが自由と希望なのだろうか。
40代以上にもTwitterで聞いてみる。
他にも多くの曲が寄せられた。何となくではあるのだが、30代以下は自由と希望を得るために自分の中に石を投げている気がする。
世代間の自由と希望の差
40代以上は外に石を投げてないだろうか。30代以下に比べると外に向かっている気がする。
明らかに違う。この差はどうした事なのだろうか。
ちなみにこのアンケートにはフランス国歌のラ・マルセイユーズもあった。
「進め!進め!敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ!」
石どころの騒ぎではない。
時代なのだろうか。確かに9.11から東日本大震災、コロナ。しんどい時代だ。ただ、30代以下がつけられた世代の名前。
「ゆとり世代」「さとり世代」。
それに対して私の世代。
「ロスト・ジェネレーション」「就職氷河期」。
地獄の様相である。ゆとりなし。さとりとか開いていたら即死。失われて氷河に取り残される。
30代以下だけが厳しい時代ではないようだ。
世代別で比較的分かりやすい2曲を選んでみた。
30代以下の曲には「学校」はあまり出てこない。尾崎豊や同じ世代の他の楽曲には結構な頻度で学校が出て来る。この差はどういうことだ。
80年代90年代の様々な曲は、目の前の学校に対する反骨心。
しかし30代以下は「反抗」の対象としてあまり学校が入っていない。
adoの「うっせえわ」。これは社会人になっての歌だ。
では40代よりさらに上の世代はどうなんだろう。
1960年代、1970年代。推測するにその対象は政治体制ではないだろうか。学校に反発するするどころではない。
社会はまだ成熟していない。あらゆるものが若い。60年安保、70年安保。石を投げる大きな標的があった。
そして自由を阻害するものは東西の政治体制であったり、政府であったり。そんなものに石を投げる。
政治体制が落ち着いた1980年代。石を投げ込む対象は身近であり、まだ成熟とは言えない「学校」という体制に変化したのだろうか。
尾崎豊は歌う。
自由を阻害するのは学校だったり、その学校の延長に薄っすらと見える社会であったり。
40代以上。
意識が外に向いている。様々なシチュエーションはあるにせよ、意識が外に向いている。目の前の政治、学校の体制がそうさせる。
30代以下。
自己に向いている。
・社会が成熟してきている(内容はどうあれ)。
・学校も個に寄り添う姿勢がある(内容はどうあれ)。
・親たちも子に寄り添う姿勢が見える(内容はどうあれ)。
しかしシステムに組み込まれている以上、反抗というものは生まれる。反抗とは自分が自分であり続けるために自由と希望を渇望することだ。
システムが一見成熟し、自分に寄り添う姿勢があることから外に石は投げにくい。どうするか。自分に投げる。
「自由と希望」が複雑化しているのかもしれない。世の中が成熟し多様化したのだから。
30代以下は、他者が自分をしばりつけるシステムからの開放ではなく、自分の何かが自分を縛り付けている。その何か。彼らはそこから紐解かなければならない。紐解く作業は逐一自分を見つめ直す作業。
常に自我を見つめ、その自我からの脱出が自由を意味しているのではないだろうか。それは本当にしんどい事だと思う。
例えば一人で食事をとる。その際にスマートフォン/雑誌/テレビなど一切見ないで食事をする。結構大変だ。自我と向き合うからだ。スマートフォンを見るのは自分と向き合うしんどさから退避させる。
さらに一流の料理店で一人で食事をする事を思い浮かべて欲しい。気合の入った勇気が必要だ。もちろんスマホなし。周りの視線を勝手に感じ、食べることよりも自我が肥大する。ラーメンを食べる事とは比較にならない時間と自我が押し寄せる。自我は厄介だ。
彼らの自由と希望の歌が自我を見つめて己に石を投げてもがく歌なんて。
*
石はどこへ
もがいているのは30代以下だけなのだろうか。40代以上はもがいていないのか。自我に捕らわれていないのか。外に石を投げるだけで自由な気持ちになれるのか。
たぶんなれるのだろう。肉体的な衝動を実行するだけで一時的に気分は晴れる。自由と希望を勝ち取った気にはなるのだろう。
でもその石はどこに行くのだろう。
*
先日NHKの映像の世紀「ソ連崩壊 ゴルバチョフとロックシンガー」を見た。
近現代において、画一的な価値観を押し付ける、硬質的で最強のシステムは旧ソビエト連邦だと思う。
番組ではソビエト連邦が崩壊するいくつかの要因の一つに「キノー」というロックバンドの名前があげられた。ソ連においてロックミュージックは「ブルジョワ的」で好ましくない存在と政府にみなされていた。
「キノー」は半地下で秘密警察KGBの監視を受けながら歌う。
NHKの番組ではバンドの中心人物ヴィクトル・ツォイの言葉を紹介している。
巨大で冷酷なシステムに反発し、その旗手となったツォイ。
(彼自身はそれを望んでいなかったが)
ソビエトの若者は政治体制に石を投げ込み、自分の内面を見つめるキノーの歌に自由と希望を見出した
ここまで追いかけて来た「自由と希望の歌」そのものではないだろうか。
石を投げ、自我を変えようともがく。
強固で硬質的なシステムにいた彼らの歌。それは僕たちの「自由と希望の歌」と同じだった。自我を持て余して呆然とする。
そこに世代間の谷など、無い。
システムに縛られたところから抜け出そうとしているのは、どの世代も同じことなのだ。
*
「自由と希望の歌」の系譜
あらゆるものに系譜というものがある。
ワグナーやブラームスがベートーヴェンからの系譜を受け継いだ。
夏目漱石に恋をした芥川龍之介が太宰治に影響を与え、その太宰が俺たちの又吉直樹に。自由と希望の歌にも系譜があるはずだ。
大きなヒントをこのnoteから見つけた。
大麦小麦さんが「エルレガーデン」について熱く語る。
気になる文があった。
エルレガーデンは今回のTwitterアンケートでたくさんの人からその名があげられたミュージシャン。そのエルレガーデンをONE OK ROCKがリスペクトしている。ONE OK ROCKは2022年9月の時点でオリジナルアルバムで最高位を取っている。今のバンドと言っていいだろう。
先の質問でもう一つのバンドの名がたくさん上がった。先の「自由と希望の歌、教えてください」のアンサーに世代を横断しているバンド。どちらの世代にも名が上がる。そしてそのバンドは決してメインストリームではない。メジャーなバンドではない。メジャーなバンドでないところが重要。マイナーなバンドに皆が価値を見出していた。
「pillows(ピロウズ)」
みんなピロウズとエルレガーデンと絡ませてtweetしている。エルレガーデンはピロウズの曲をカバーしていた。
「Funny Bunny」
「Funny Bunny」にはたくさんのコメントが寄せられた。世代を超えて話が盛り上がっており、とても楽しかった。
エルレガーデンからしてみればピロウズは一世代前のバンド。そのバンドの曲を敬意を込めて歌っている。エモーショナルで素敵だ。
これが元のピロウズの「Funny Bunny」。
エルレガーデンよりルーズ。でもこのルーズな感じがピロウズらしくて良い。
この「Funny Bunny」は多くのミュージシャンにカバーされている。「Uru」「佐藤緋美(浅野忠文とCHARAの娘さん)」などなど。
社会への違和感、反骨心。そしてその中でも自分中で消えない何か。世代を超えるのがよくわかる。
ロックンロールでは自分たちの敬愛するミュージシャンをカバーすることはよくある。
ビートルズの「Roll Over Beethoven」はチャックベリーというロック界伝説のカバー。ローリングストーンズのデビューアルバムは12曲中9曲がカバー。アメリカ南部の黒人ブルースばかりだ。ロックンローラーは敬意でもないと他人の曲なんて歌わない。
世代を横断したピロウズが2019年に「アラバキロックフェス」で「Funny Bunny」を演奏した。そこにゲストとして呼ばれたのが佐野元春。
ピロウズのボーカル山中さわおは幼少の頃からの佐野元春のファン。
「俺のロックンロールスターの頂点だ」と言い、佐野元春をステージに呼び込む山中さわお。緊張してる様子が見て取れる。
これが実に素晴らしかった。むちゃくちゃ緊張している山中さわおに寄り添う佐野元春。ネット上から動画が消えてしまったのが実に惜しい。佐野がギターを弾きながら山中の左後ろに下がり、山中を優しく見つめる。叔父さんが甥っ子を見守る様であり、胸が熱くなる。
曲の最後にアドリブなのだろう、佐野元春がサビの「それが出来る」をリフレインしている。ピロウズ目当ての客が沸く。息が止まるかと思った。
「自由と希望の歌」を逆算し、40年以上たどる事が出来た。
そして佐野元春の高校時代のヒーローは「ボブディラン」「jdサリンジャー」そして「ジャックケルアック」。
(佐野元春は1994年の冬にケルアックが生まれ育ったマサチューセッツ州ローウェルを訪れ、一冊の本にまとめている)
1957年 ジャック・ケルアック 「オン・ザ・ロード」
*
そこにあったのは「オン・ザ・ロード」
僕が最初に「オン・ザ・ロード」を手にしたのは高校生の時、地元の図書館だった。その時の題名は「路上」。分厚くとっつきにくい。
当時僕はジョンレノンやジムモリソン、ブルーススプリングスティーンといったミュージシャンに惚れこんでいた。彼らについて語るテキストに頻繁にケルアックの「路上」が出て来た。
(当時、「オン・ザ・ロード」は「路上 オン・ザ・ロード 福田実訳」)
さらに村上春樹。村上春樹の「スプートニクの恋人」の主人公「すみれ」は「路上」が愛読書という設定。手に取るしかない。
「全編、詩じゃねぇか」
疾走感は分かる。車でどこかへ行くのも分かる。でも奔放な文体について行けずに置いて行かれる。よくわからない。
とりあえず寝かせた。その間、図書館からの度重なる返却の催促は無視した。めんどくさかったから。そしてすっかり「路上」を忘れた。
ある日、たぶん試験期間中だったと思う。暇を持て余した僕は自分の部屋のスピーカーの横に落ちていた「路上 オンザロード」を見つけた。試験期間中は大抵暇である。最初に手に取ってから3か月は過ぎていたと思う。何となく適当にページをめくる。これが運の尽きだった。
そこにあったのは豊かな言葉、疾走する言葉。
春の終わりだった。桜の花びらが路面に僅かに残り、昨夜の雨に濡れていた。公団住宅4階、畳の4畳半。学ランを着たまま、春の夕日に染まりながらベランダに腰かけ「路上」を読みふけった。父のセブンスターをくすね、灰皿も用意せずにその辺にタバコの灰をまき散らした。
夜になり、夕食だけは食べ(男子高校生は絶望的に腹が減る)、部屋に隠してあった父のシーバスリーガルを舐めながらベランダ、春の生温い、そして時折肌寒い風の中、オン・ザ・ロードに入り込んだ。
スピーカーからは確かビートルズのラバーソウル、そしてブルーススプリングスティーンの「Born To Run: 明日なき暴走」を流していた。
今考えると、スプリングスティーンの「Born To Run: 明日なき暴走」を流していたのは完璧と言うしかない。このアルバム、全編「オン・ザ・ロード」だ。
誰からの支配も受けずに生きる。
社会がいかに絶望的で不条理でもそれに抗う。結局それが手に入らず、どんな結末があろうとも。
ここでない、何処かへ(内に向かおうが外に向かおうが)。
それが「自由と希望の歌」だ。
形は違えど受け継がれてる。
その世代によって抱えている痛みは違うし辛さも違う。
それを補うのが「自由と希望の歌」なのだろう。
その根源の一つが「オン・ザ・ロード」にある。
自分たちの純粋さと、社会の退屈さと邪悪さへの反発。
近現代、封建社会から自我を取り戻したはずなのにいつの間にかシステムに組み込まれている。誰も君のbluesを歌ってくれない。
現代社会で「個」が「個」であり続けることの困難。その中で生きることのくっきりとした輪郭を焼きつけること。それが「オン・ザ・ロード」。
しかし、本当に自分たちは「純粋なのだろうか」。
この「オン・ザ・ロード」、あとがきにも今回の河出書房新社のnoteにも恐ろしい事が書かれている。
(よく考えると、僕は完璧な「オン・ザ・ロード」の読み方をしている)「オン・ザ・ロード」は話の筋を丁寧に追う物語ではない。テキトーにめくってどっかに行くのだ。是非、手に取って欲しい。
そしてお願いだ。もし、第4章と第5章がめくられたらすぐに閉じて欲しい。何となく、あらかた読んだなと思ったら第4章辺りから進んで欲しい。
ジャック・ケルアックがビートジェネレーションの旗手だとか、アル中になって結構若い時に死んだとか、「オン・ザ・ロード」を3週間で書き上げたとか、あらかじめそんな情報を得る必要はない。素のままで読んで欲しい。
最初は何だこりゃと思うだろう。そこで読むのをやめてしまってもいい。でも、何日か、何週間か、何か月か。もしかしたら何年かしたらジャック・ケルアックが貴方を静かに呼ぶはずだ。その時まで本棚に置いてあげて欲しい。
*
自由と希望の歌からここまでようやく辿り着いた。
クソ長い話になってしまった。
そしてこのアンケートの前後から僕は突如小説を書き始めた。2年間で20編ほど。そして今短編2編、長編1篇を進めている。その根底には「自由と希望」がある気がする。わからんが。もしよければ読んで欲しい。
このテキストのきっかけとなったアンケートに答えて頂いたみんなに本当に感謝している。各々にいつの日か、汗だくのハグを日の出から日の入りまでお見舞いするので待ってて欲しい。
ロケンロー。
Thunder Road (Live at the Hammersmith Odeon, London '75)
Bruce Springsteen
涙のサンダーロード ブルーススプリングスティーン
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