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【グラレポ】008.「生き様」というのを2人の新撰組の生涯でちょっと考えてみた[2019.7.24]

頭の思考整理・・・。
きっかけは①「mission・vision・valueを和訳すると「生き様」らしい」というのがfacebookのタイムラインで見たこと。②新撰組の二人の生涯の話を知ったこと。③自分の転職とか新しい会社とか退職とか考えた時が重なったため。どちらかというと思考の整理なので、結論もないまま駄文が続くと思う。

近藤勇も沖田総司も新撰組の中では主役級のキャラクターだ。近藤勇は新撰組を発足させ局長、沖田総司は一番組組長。二人とも剣の腕前は達者で、当時めちゃくちゃ強かった。

ただ、二人の中で新撰組の目的はといえば、明確に違う。近藤勇は、徳川幕府への忠誠。沖田総司はどちらかというと、近藤勇に付いていった。本当かどうかはわからないが、近藤勇への尊敬が強いが、新撰組としての目的はないようなものが目立つ。エピソードの中には「なぜ人を斬るのか?」という質問に対し、沖田総司は「近藤勇が斬れというから斬る」という解答があるというくらい。

そして二人が最期を迎えるのは、同じ1868年。近藤勇は戊辰戦争に敗れた後、捕縛され処刑され、晒し首にされる。戦犯としての一大悪党である。沖田総司は肺結核を患い、近藤勇のことを思いながら、近藤勇の死を知らず2ヶ月後に亡くなる。

今では司馬遼太郎の「燃えよ剣」や三谷幸喜の「新撰組!」などで評価は一変とするが、時代なんてそんなものだろう。

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何を考えたかというと・・・ビジョンとかミッションとか、その人のキャリアとか考えるときに明確な人と曖昧な人はいて、その代表例になりそうなのが、新撰組の二人だと思ったわけです。

同じ時代に生きて、同じ志を持って新撰組で活躍し、最期は処刑と肺結核というある種の悲劇と共通点はあるんですが、明確な目的のあった近藤勇と、近藤勇がいる以外の明確な目的が見えにくい沖田総司に生き様で大きな違いはあったのかなぁと。

何が言いたいかというと、組織に明確なビジョンはあっても人にはビジョンなんて案外どっちでも良いのかなぁって。ビジョンがあることで、心が楽になる人もいれば、重荷になる人もいるんじゃないかと。それで、多くの社長や社長に社長に近い上司達は間違いなく「近藤勇」タイプで、ビジョンの持てない人を糾弾するんだけど、考えられない人にはやはり難しい話で、それを求めるのはやっぱり酷だと思うんです。じゃあビジョンがない人が仕事できないかと言ったら実はそうでもないはず。。

ただ二人とも歴史の中の偉人で悲しい結末を迎えているので、この二人に焦点を当てたこと自体が正しいのかどうかはわからないのですが。。。

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色々この話を話してみて、もらった答えとしては・・・

このあたり、死ぬまで、終わりなき議論になりますね。

いつも、行き着くところは、
人に迷惑をかけないという前提のもと、

1.今を一所懸命に生きる
2.自分のしたいと思うことをする
3.自分の可能性を信じる

でしかないです。

会社との整合性は、理屈で合わせたとしても、本質のところで合っているか合っていないかは、自分自身を鑑みて、感じ取れるもの。

それで良しとするか、異なることとして結論付けるか?、はたまた結論付けないか?
それもそれで、意味のある人生だと思ってます。
未来志向が強い人はビジョンで生きてるね。あとは信念とか、自己確信とかも。
ミッションを達成したいと考える人もいるけど、こっちだけに偏ってると、ビジョンがどっか行きがち。
私は歴史にそれほど興味がないから、印象でしかないんだけど、沖田総司は「今」に生きた結果、恩返ししてただけなんじゃないのかな。
鳥の刷り込みや成長しない子どもみたいな。

モヤモヤは終わりませんが。この辺で。

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