【番外編11】「ソロナニ」序文を発掘してみる Sax:アドリブ練習の目的別構造化
このシリーズの中でも何回か触れているが、2000年代の初めの頃に「私はソロの時何を考えているか」という雑文を書いていた。ネタがすっかり枯れる今日この頃、それの第一回、いわゆる序文をまだサルベージしていなかったので、改めてNoteに移植してみる。
当時から「CPU」とか「オートマティズム」みたいなキーワードは思いついていたということで、それをどのように身に着けていくか、と言う観点で、練習方法を具体的に考えてみよう、というのが今回の「構造化」の前段にある問題意識だ、というのが分かってもらえるかと思う。
そうでもないか。
B11.1 序文
ジャズをジャズたらしめている要因はまず「即興演奏」であるわけで、それが私がジャズに惹かれる理由でもあるのだが、この即興演奏というモノはやったことの無い人にとっては極めて分かりにくいもののようだ。ジャズの理論書などを見ていると、「このフレーズは○×のレオタードスケールを代理で解釈したモノで」などというソロの分析が書いてあるので、なんかもの凄く難しいことを頭の中でくるくる考えながら理論的にやっているように読める。かと思うと「心に浮かんでくるメロディを唄うだけだよ」などと悟ってしまったようなことを言っている人もいる。私から見れば両方とも多分真実なのだが、きっと初心者から見ると狐につままれたような気分であるに違いない。
というわけで、一応ジャズをそこそこ演奏している私として、自分が何を考えているのかを試しに書いてみたいと急に思い立ったわけです。あまり為になるような気もしないが、とりあえず。
B11.2 前置き
これから書くことは、あくまでも素人の私が考えていることであるので、決してジャズ演奏家が全てそうだと言うわけではないことをご了解頂きたい。でも、きっと似たような感じなんだろうなとは思っている(全然違ったりしたらそれはそれでショックだが)。
もうひとつ、これは単音でしかも伴奏をしないサックス吹きの意見なので、それもご了解のほどを。基本的には人の伴奏をやっている時間の方が自分がソロをやっている時間よりも長いリズム隊のひとたちは随分違うとらえ方をしているような気がする。
B11.3 まずはどうでもいいことから
話を面白くするために、まずは音楽以外のことから書いてみる。
即興演奏をやっているときというのは、周りからはもの凄く演奏に集中しているように見えるかもしれないが、実は(少なくとも私の場合は)そうでもない。まあ、わかりやすく言えば、お客さんの様子を結構気にしているのだ。品のない話で恐縮だが、「お、いいオンナがひとりで店に入ってきた」とか、「あそこの客全然演奏聞いて無くて五月蠅いなあ」とか、「こっちの客、妙に真剣に聞いてるけど、何が面白いんだろう」とかww、結構そんなくだらないことも頭に浮かんでいる。もっといえば、全然別のこと-例えば演奏終了後に何を喰うかとか-を考えている場合もあるかもしれない。さすがに会社の仕事のことを考えたりはしないが。
特に、演奏している場所が狭い喫茶店みたいなところだと、お客さんの反応は結構演奏をインスパイアするものだと思うので、逆に言えばその反応を気にしながら演奏している。「真剣に聞いている客」が「いいオンナ」だったりした場合、当然こちらもそれなりの考えを持って演奏に取り組んだりするわけで、具体的には、不必要に身をよじってみたり、そのお客さんの方に向かって吹いてみたり、じっと顔を見つめてみたり・・・って全然演奏と関係ないな。その女性客のところに知り合いらしきイイ男が遅れてやってきて、すっかり演奏と関係ない状況になったりしたら、やはりこちらとしても不機嫌になって、演奏も投げやりなモノにならざるを得ないのだ。
と書いていて思ったのだが、その晩の一曲目というのは「お客さんの見極め」というのに神経を費やしているような気がする。なんというか、ソロを取りつつ観客の様子をそれとなく眺めて「やっていいことと悪いこと」、あるいは「ウケそうなことと嫌われそうなこと」を見極めていく作業といえばいいのか。ジャズのセッションバンドみたいな場合、一曲目から難曲をやることは珍しくて、まずは小手調べみたいな感じで入ることが多いのは、もしかするとそこら辺の事情があるのかもしれない。逆にパーマネントなバンドだと、一曲目から「どうだ、参ったか!」みたいな曲を持ってきて客をこちらのペースに乗せるという作戦もありそうだ。
さて、頭の中では実はくだらないことを考えていたりするわけだが、その間にも実はソロは続いていたりする。つまり、なんか適当なフレーズを吹きつつ上のようなことも同時に考えていたりするわけだ。これは例えば、スキーでも水泳でもマラソンでもいいが、スポーツをやっている最中に関係ないことを考えるのと似ている。例えばスキーで言えば、こぶだらけの難斜面を滑るときはそれに集中するが、緩斜面を滑るときはぼーっとしていても身体が動いているというのは誰でも経験することだろう。
ぼーっとしながら、あるいは違うことを考えながらソロを取るというのは難しいことのようであるが、慣れれば以外と出来るものだと思う。なんかノリとしては上で書いたようにスポーツと似ているかもしれない。サッカー日本代表のトルシエ監督が言うところの「オートマティズム」みたいなものか。あ、これは結構使える言葉だぞ。
違うことを考えながら適当なソロを取ることができるということは、パソコンで言うとCPUの50%だけ使ってソロをやって(楽器の演奏のために費やす)残りの50%で別のプログラムを動かしているようなものだ。あるいは、演奏は周辺機器に任せてCPUは別のことをやっているとか。善し悪しは別にして、多分それが出来るようにならないと、即興演奏家としては発展しないのではないかと思える。つまり、楽器の演奏に常に100%CPUを使わなければならないとすると、ジャズの真骨頂であるところの「コールアンドレスポンス」とか「思いつきからのソロの発展」とかが出来ないからだ。逆に言えば、クラシックの演奏家というのは100%楽器のコントロール(と周りにそれを合わせること)にCPUを使えば良いともいえる。とはいえ、クラシックの演奏家も結構いろんなこと(客席の女性のこととか)を考えながら演奏してると思うけどね。
「オートマティズム」とか「CPU」だとかは今後のキーワードになりそうだ。
(2002/3/4 初出)
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