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ウェイン・ショーター私論【その5】: まとめ:改めてショーターの演奏スタイルについて

 惜しくも先日亡くなったジャズサックス奏者/作編曲家のウェイン・ショーター(Wayne Shorter)について、私の思うところを書き連ねておこうと思います。今回は第五回。前回までの考察から、ショーターの奏法について改めてまとめてみたいと思います。

15.改めてサックス演奏上の特徴を考える

 さて、もともと本論は、単純にショーターのバイオグラフィを辿りつつ、ジャズサックスのスタイリストとしての「奏法」「アドリブ方法論」などを考察するのが目的であった。ここで、「その1」で提示した、初期の演奏の特徴についてそのまま以下に再掲してみる。

  • あまり抜けない、詰まったような感じのスモーキーな音色。オーバーブロー気味な音も含めて、若干ダーティーな音も敢えて使う。

  • フラジオはたまに使うが、どちらかというと効果音的な使い方。まあ、当時フラジオで流麗なフレーズを吹く人はほぼいなかったが。

  • ビブラートはあまり掛けない。けれど、ロングトーンを吹いているときにたまに微妙に掛けることもあり。相当意識してコントロールしていると思われる。

  • 基本八分音符はイーブン。テーマでアンサンブルしているとき以外はほとんど跳ねない。

  • アーティキュレーション的には、あまりはっきりせず、何となくもごもごしている。もう少し細かくいうと、タンギングはしたりしなかったりで、八分音符全部を(たまに16分音符も)過剰なほどタンギングしている場合もあるが、全然タンギングしていないフレーズも。表現として意識的にやってるんだろう。

  • タイムはほぼジャストな感じ。レイドバックみたいな演奏はあまりない。

  • フレーズは、極力バップ色を避けているように聴こえる(たまにワザとらしく典型的なバップフレーズ使ったりするが)。コルトレーンの影響もちょっと感じるが、やはり、ソレっぽくならないように苦心している感じもある。

  • フレーズについてさらに言うと、同じ音や同じフレーズの反復による盛り上げとか、とにかく16分フレーズ吹き散らかすとか、いろんなアプローチを試している。っていうか、極力その場の思い付きで吹くことを心掛けている感じ。

  • まとめていうと「絶対に他人と同じ様には吹かないぞ」あるいは「パターン化された凡庸なことはやらんぞ」という決意のようなものを感じる。要は天邪鬼、ということなんじゃないかww

 改めて読んでいただくと分かるが、「その1」でも書いた通り、この奏法上の特徴は基本的に晩年まで変わっていない。まあ、当然肉体的なこともあり、例えばテナーの音色は妙に生々しくなったりしているが。

16. 改めてアドリブ方法論を考える

 さて、上記は「サックス奏法」の観点がほとんどだが、前回までの考察から「アドリブ方法論」的な記述も含めて抜き出してみよう。

  • フレーズの吹き出しや切れ目、アーティキュレーション等々、如何に周りの期待を裏切るか、に命を懸けてるようなイメージで、さらに天邪鬼度が増している(その1)

  • Super Novaあたりのショーターは、テーマとアドリブが混然一体となってきている。どこがソロでどこがアドリブか分からないというか。同時に、ソロ(あるいはフレーズ)そのものが以前に増して断片化、あるいは抽象化してきたとも感じられる(その1)。

  • ショーターの頭の中では、テーマの概念はあれど、そのテーマを演奏することも含めて、曲中ずっと作曲している、という感覚なんだろうなと改めて思う(その1)。

  • "Beauty and the Beast"のメロディの唄わせ方とか、何回聴いても気持ちよいし、その後のソロは理論がどうしたとかまったく関係ない(ように聴こえる)「ハナウタ」そのもの(その2)。

  • ビバップ的な常套句が出て来るし、クロマティック的音階に対する一定の見方みたいなものがある、とね。そこでウェインは、自分はそうならないよう意識していた(その2)。

  • たまに出て来る「ソロ」的なパートは、理論がどうしたとか、タイムがどうしたとか関係なく、まさに作曲の一部のような佇まいで自らの多重録音したアンサンブルと一体化している(その3)

  • アドリブ論的に言うと、アヴェイラブルスケールがどうしたとか、裏コードがどうしたとか、なんとかフレーズがどうしたとか、いわゆる典型的なジャズ理論的アプローチが全く感じられないのが凄い。曲の全体構成としては、一応テーマ→アドリブパート→テーマで終わるのだが、テーマのころからアドリブは始まっているような感じだし、ソロになると、いわゆるジャズのアドリブというよりは、毎回、テーマに対する新しいカウンターメロディーを作曲して演奏しているような印象を受ける(その3補足)。

  • ご当人はアドリブだと思ってやっていない、要は、曲を演奏していると、次から次から新しいメロディが頭の中に自然に湧き上がってそれをそのまま吹いているような印象もあり、やっぱり大作曲家の「ハナウタ」ということなのかもしれない(その3補足)。

  • ショーターのややこしい曲をモチーフとして、誰かがステージ上でいきなり聞いたことも無いようなことを始めて、バンド全体でその場で(即興で)新しい音楽として作曲していく(その4)。

  • モチーフとしての自らの曲と全員での即興演奏により、特定の構造にとらわれることなく音楽を創っていくという、ショーターが理想としていた音楽様式を実現するために最適なメンバーが揃った(その4)。

 同じような表現が何回も出て来るが、キーワードとしては「天邪鬼」
「ハナウタ」「曲とアドリブの一体化」「ソロの断片化、抽象化」「非ジャズ理論的アプローチ」「テーマとアドリブが混然一体(アドリブはテーマの一部であるかのような佇まい)」「バンド全体としての作曲≒即興演奏」
あたりだろうか。
 結果として、特に晩年のカルテットにおいてのスタイルは、断片化、抽象化の進行も含めて「気紛れ爺さん(但し大作曲家)のハナウタ」と言っちゃってもいいような気がしてきたw。

17 結論:後継者不在にみるショーター独自のスタイル

 さて、今回の私の考察の結論部に移ろう。
 よく、ジャス評論の中で「ショーターには明確な後継者がいない」みたいな論がある。確かに、音やフレーズが似ている人はいるが、サックスを用いてあの独自の音楽を持続的に創造している人はいない。今回、考察を進める中で、後継者不在は、そもそも、ショーターのアドリブソロに対する方法論、アプローチが他の大多数のプレイヤーと違うことが要因ではないか、と考えるに至った。
 私も含む多くのジャズ奏者が、ソロを、いわゆるコード理論やらビバップの語法やらから構築していくのだが、ショーターはもう少し大きなフレームでソロを考え、違うアプローチで吹いているような気がする。例えば一般には曲をソロの材料として考えるが、ショーターは、曲のメロディそのもの、全体構造、なんなら他のプレイヤーの演奏も自らの即興(あるいは自らが創造する作品)の一部と捉え、自らのソロを、その構成要素として「その場で作曲」していく、とでも言ったらよいだろうか。相当突飛な考えであるが、ショーター自らが頭から湯水が流れるように作曲ができる「大作曲家」であることを考えると、あながち出鱈目とも言い切れない。メロディとアドリブソロが曖昧で混然一体、というのも、そもそも両方とも見通したうえでの演奏と考えると理解可能だ。当然、理論もビバップ語法もすべて理解し、実践できる能力があってさらに先に進んだ、ということではあると思うが。
 面白いのは、ショーターの場合、キャリアの早い時期から、ソロが技巧のショーケースにならず、作品全体を考えたアプローチに聴こえることである。変人ショーター、もしかすると、ジャズを始めた当初から特に意識せず、自然にそうなっていて、生涯かけてそれを推し進めていった、ということかもしれない。
 で、それが結果として「気まぐれ爺さん(但し大作曲家)のハナウタ」に感じちゃう、というのがジャズの面白いところだw。なかなか深遠な話ではありますな。

 というわけで、当初予定よりも随分長くなったが、一旦これで私のショーター論を終了したいと思います。お読みいただいた皆様ありがとうございました。
 改めて、稀代のジャズサックススタイリスト、ウェイン・ショーターの残してくれた音楽に感謝し、ご冥福をお祈りしたいと思います。

おまけ

 絵にかいたような蛇足なのは百も承知だが、折角なので、先日私がやったショーターバンドの猿真似ビデオを貼り付けておこう。ショーター論を書いている途中だったので、私としてはいろんなことを意識してはいた。意識しているからすぐにそうなれるかは別の話ではあるが。
 バンドの猿真似ということで、5曲連続演奏をしているが、やっぱり移行がスムースすぎるな。もうちょっとワケありなフリーパートとかあると、それっぽくなったのにな。次回やるときはそういうのも仕込んでおこうw


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