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ウェイン・ショーター私論【その1】: デビューからマイルスバンドまで(1960年代) 

 惜しくも先日亡くなったジャズサックス奏者/作編曲家のウェイン・ショーター(Wayne Shorter)の演奏スタイルについて、私の思うところを書き始めたら妙に長くなったので、何回かに分けてみたいと思います。文章はまだ最後まで至ってないのだが、オチはどうなることやら。

 ウェイン・ショーターは、ジャズ史に残る偉人であり、ジョーヘン同様「スタイリスト」すなわち、非常にユニークな自分のスタイルを確立している人、というポジションなはずなのだが、サックスの演奏スタイルという意味でいうと、なんというか、どうも捉えどころがない。年代順に演奏を適当に聴きつつ、思いつくところをだらだら書きつつ、考察してみたい。

1. デビューからマイルスバンド加入まで
  :ショータースタイルの確立

 ショーターのキャリアの初期の音源といえば、やはり1959年に加入したArt Blakey & The Jazz Messengersの諸作ということになる。自身の初期のリーダー作も含めて何作か聴いてみたが、サックスの演奏スタイルの特徴としては、こんなところだろうか。なにやらいきなり結論を書いちゃっているような気もするが。

  • あまり抜けない、詰まったような感じのスモーキーな音色。オーバーブロー気味な音も含めて、若干ダーティーな音も敢えて使う。

  • フラジオはたまに使うが、どちらかというと効果音的な使い方。まあ、当時フラジオで流麗なフレーズを吹く人はほぼいなかったが。

  • ビブラートはあまり掛けない。けれど、ロングトーンを吹いているときにたまに微妙に掛けることもあり。相当意識してコントロールしていると思われる。

  • 基本八分音符はイーブン。テーマでアンサンブルしているとき以外はほとんど跳ねない。

  • アーティキュレーション的には、あまりはっきりせず、何となくもごもごしている。もう少し細かくいうと、タンギングはしたりしなかったりで、八分音符全部を(たまに16分音符も)過剰なほどタンギングしている場合もあるが、全然タンギングしていないフレーズも。表現として意識的にやってるんだろう。

  • タイムはほぼジャストな感じ。レイドバックみたいな演奏はあまりない。

  • フレーズは、極力バップ色を避けているように聴こえる(たまにワザとらしく典型的なバップフレーズ使ったりするが)。コルトレーンの影響もちょっと感じるが、やはり、ソレっぽくならないように苦心している感じもある。

  • フレーズについてさらに言うと、同じ音や同じフレーズの反復による盛り上げとか、とにかく16分フレーズ吹き散らかすとか、いろんなアプローチを試している。っていうか、極力その場の思い付きで吹くことを心掛けている感じ。

  • まとめていうと「絶対に他人と同じ様には吹かないぞ」あるいは「パターン化された凡庸なことはやらんぞ」という決意のようなものを感じる。要は天邪鬼、ということなんじゃないかww

 こうやって書いてみると、ここら辺の特徴は晩年まであまり変わらないなあ。メッセンジャーズ時代は、音楽監督として徐々に自身の曲を演奏するようになっていくが、上記の特徴はモーニンとかブルースマーチあたりの、ショーター加入以前のメッセンジャーズのファンキーなヒット曲でも感じられる。というか、それらの曲の方が、極端なアプローチをしているかもしれない。例えばこの音源とか。ソロが全然ファンキーじゃないw

 評伝や評論を読んでみると、ウェイン・ショーターという人は、いわゆる「50-60年代の黒人ジャズマン」で思い浮かぶステレオタイプの真逆みたいな人、要は変人。基本的には寡黙で、あまり他人との接触も好まない人だったらしい。自分のやりたいことがある程度見えていて、人のことはあまり気にしないでやりたいことやってたということなんだろうか。
 さて、上で、思い付きと書いたが、テナー奏者の佐藤達哉さんが、以前ショーターのアドリブを「ハナウタみたい」と称していて、言いえて妙。これはキーワードなのかもしれない。

2. マイルスバンド/ブルーノート時代
 :進化する天邪鬼サックス

 ショーターは1964年にメッセンジャーズを卒業。マイルスデイビスバンドに加入して、いわゆる「黄金のクインテット」の一員となり、作曲面でもプレイ面でも第一次のピークを迎える。また、その前からブルーノートレーベルでの録音も行い、そこでも自作曲を大量にリリースしており、名曲も多い。
 とはいえ、サックスの演奏スタイルでいうと、前項で書いた特徴はほとんど変わっていないような気がする。敢えて言えば、自作曲に合わせるために、上記の特徴をより先鋭化させていったという感じだろうか。スタンダードやバップ調の曲の演奏機会は減っていくので、もともと少なかったバップフレーズみたいなものはほぼ消えて、よりクロマチックなうねうねしたアプローチが増えていく印象がある。さらにいえば、フレーズの吹き出しや切れ目、アーティキュレーション等々、如何に周りの期待を裏切るか、に命を懸けてるようなイメージで、さらに天邪鬼度が増している。例のプラグドニッケルのライブなんてのはその典型だろうか。
 そんななか、今回改めて聴いていて凄いなと思ったのがこれ。

 高音のサブトーン、とでもいうのかな。スモーキーな音色、正確な音程で、ほぼストレートに吹いてるロングトーンが実に美しい。マイルスバンドのNefertitiや、自作のInfant Eyesなんかもそんな感じですね。ジャズテナーでこの手の演奏できる人って実はあまりいないんじゃないかな。

3. ソプラノの導入:ソロとアドリブの混在

 今となっては、ウェイン・ショーターといえばソプラノ、みたいな印象もあるが、1960年ごろから使い始めたコルトレーンに比べると、ショーターがこの楽器を手にしたのは随分後になる。評伝によれば、1969/2に録音されたマイルスの"In a Silent Way"が初御披露目のようだ。
 やはり評伝によれば、ショーター自身はこのソプラノ導入を、マイルスバンドの電化に対応するためと語っており「電化の波が押し寄せてきてからは、テナーサックスは巨大なエレクトリック・サウンドの下に完全に埋もれてしまった」などという発言も残っている。
 いずれにせよ、ショーターとしてはテナーに継ぐ、第二の声を手に入れたと言えるわけで、マイルスのアルバムだけではなく自身の"Super Nova" 、”Odyssey of Iska”、 後に発掘された"Moto Grosso Feio"などでは、ほぼほぼソプラノで吹いている。よっぽど気に入ったんだろう。
 さて、この時期の演奏を聴いているとアドリブのスタイル、というか、曲全体の演奏スタイルが変化しているに気付く。当時まだ在籍していたマイルスバンドはバンド全体として高度なインタープレイをやっていたものの、相変わらず、テーマ→各自のソロ→テーマという伝統的な構造を守っていたが(ネフェルティティとか特殊な曲は除く)、Super Novaあたりのショーターは、テーマとアドリブが混然一体となってきている。どこがソロでどこがアドリブか分からないというか。同時に、ソロ(あるいはフレーズ)そのものが以前に増して断片化、あるいは抽象化してきたとも感じられる。例えばこれとかですね。

 ここで、サックスアドリブ講座連載の「その1」でも書いた、例のショーターの発言「書き譜は即興のように、即興は書き譜のように演奏する」が思い起こされるわけですね。
 今回改めて評伝を読んでみたところ、ショーター自身のもう少し分かりやすい発言が載っていた。 

即興演奏のスピードを落としたものが作曲。作曲のスピードを上げれば即興演奏になるんだ。

フットプリンツ 評伝ウェイン・ショーター P220

 多分、ショーターの頭の中では、テーマの概念はあれど、そのテーマを演奏することも含めて、曲中ずっと作曲している、という感覚なんだろうなと改めて思うわけです。ソロ(フレーズ)の断片化とか抽象化とかもその流れの中で発生した事象だったのかもしれない。

 今回は一旦ここまでで、続きはこちら↓。

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