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Steve Grossman研究-70-80年代のスタイル変遷を検証する―その3 日本を襲ったハイブリッドテナー グロスマン初来日(多分)75年

 と、安いジャズ入門誌の様なタイトルをつけてみたが如何だろうか(笑)。

グロスマン初来日(多分)!

 1975年というのはオフィシャルグロスマン史では目立った動きが見られない時期である。前回書いたエルビンディスコグラフィーによれば、New Breedという大編成レコーディングが一応1975年となっているが、同年の夏の欧州ツアーにはパットラバーベラを連れていった様だし(ユーゴスラビア でのライブ盤がある)、NYのスタジオワークだけ付き合ったってところかな。

 しかし、われわれ日本人のグロスマンフリークにとっては実に重要な年になった。グロスマン初来日(多分)がこの年であったのだ。どれもこれも人から聞いた話なので、幾分かうそが混じっているかとも思うが、一応経緯を書いてみる。

(1) 当時、既にNYに移住していた菊池雅章が、日野皓正と双頭バンド東風(コチ)を結成し、来日。
(2) 来日公演の前か後に、グロスマン単独でひと月ぐらい日本に在住し、日野元彦バンドでツアー?を行う。メンバーは日野元彦(ds) 渡辺香津美(d) 岡田勉(b) にグロスマン。これツアーじゃなくて、東京近辺での数回の公演ってだけかもしれないが。

ちなみに、東風来日時のライブの模様がこちら。

日野元彦バンドの隠し録り音源

 というわけで、私の手元にはジャズ研の先輩の先輩の先輩…あたりから受け継がれた当時のライブ隠し録りテープがあるのだ。元のテープから書き写し たライブデートは1975/11/29、場所は新宿のピットイン。トコさん(日野元彦)のMCによると、結構長いツアーを行った後のラス前ライブで、あと は翌日のタロー(歌舞伎町にあった小さなジャズクラブ)を残すのみ、という状況であったらしい。

 で、演奏している曲だが、これが強力なスタンダードオンパレード。今ではその音源すべてがYou Tube上に上がっているので、リンクを張っておきます。音質は曲がりなりにも良いとは言えないが、ガチで歴史的な価値がある録音だと思う。

Groovin’ High

Recorda Me

Giant Steps

Three Cards Molly

New York Bossa

Soultrane

Taurus People

Some Other Blues

 ね、凄いでしょ?しかもどれもこれも10分超え、下手すると20分超えの長尺テイクばかり。

 私、これを大学生の頃初めて聴いたのだが、とにかく一曲目のGroovin’ Highには衝撃を受けた。私のグロスマン信者化を決定づけた音源といっても過言ではない。60年代コルトレーン直系サックス吹きだと思っていたあのグロスマンが、誰もが知る典型的バップチューンをバリバリに吹いて、しかも50年代ロリンズ系のバップの匂いもプンプンさせてる。フレーズは、30%バップ、 70%それ以降ぐらいのブレンドかな。コルトレーンのペンタトニック、アウトフレーズをロリンズのバップ感・グルーブ感漂う八分音符でガンガンいってる。 Recorda meなんかもそんな感じだな。

グロスマンの魅力とは:テナーの巨人のハイブリッド

 改めて、グロスマンの魅力ってその「ハイブリッド」感だと思うわけですよ。凄くあからさまに言うと「コルトレーンとロリンズのハイブリッド」。 当然ですが、ジャズテナー奏者にとってコルトレーンとロリンズといえば王と長島みたいなもんで(例えが古いな(笑))、もう揺るぎない二大巨頭。その二人 の凄味を一人で軽々と表現しちゃうというのがテナー吹き的には全く信じられない。まあ、世の中には「表面だけなぞってる」とか「八分音符垂れ流し」とか、「自らのスタイルが感じられない」とかグツグツ文句を言う人がいるとは思いますが、悔しかったら王と長島になってみろってんだ。

 というわけで、この演奏を生で見た人は本当に幸せ者だな。誰か当時を知る人はいませんかねえ。このバンドをタロー(30人ぐらい入ったらいっぱい の狭いハコだった。最前列の人はホーンまで50cmとか(笑))で見たら、本当に死んでしまうかもしれない。当然ながら、当時の若手サックス吹きには極めて大きなインパクトを与えたに違いないし、その影響(伝説)が私が学生だった80年代前半まで残っていたということなんだろう。86年には本人が再び来日 しちゃうから、伝説じゃなくなっちゃうんだけどね。

当時の周辺情報

 さて、この来日時の音源がもう一つ存在していた。渡辺貞夫さんがFMでやっていた番組(多分「ナベサダとジャズ」の頃だと思う)のエアチェック で、やはりピットインのセッションだったと思うが、ナベサダバンドにグロスマンが飛び入りして”I’ll Remember April”やってるってやつ。確かドラムが村上寛さんで、ギターに増尾さんが入ってたのかな?初めは地味に始まるのだが、グロスマンのソロで強烈に熱く なる。曲が曲だし、当然ロリンズ臭もプンプンする「ハイブリッド」なソロだったと思います。ナベサダとの4バース交換みたいなのもあったなあ。テープどっ かいっちゃったんだけど、勿体ないことをしたものだ。

 あと、あくまでも噂話だが、当時日本に在住してたグロスマン、結構我儘邦題していたらしい(笑)。昼からピットインでうろうろしていて、当然イッちゃっていて(笑)、突然若手のバンドに乱入したかと思うと、いきなりその若手に出入り禁止宣言しちゃうとか。出入り禁止はあんただっちゅうの(笑)。上記ピットインでのライブテープのMCとかも結構イッちゃってるし。そこら辺のエピソードも含めやはり魅力を感じざるを得ない(笑)。私のロールモデルでは あります。

 というわけで、結論ですが、現在のバッパーグロスマンのスタイルというのはすでに当時確立されていたということでいいのではないかと。全く身も蓋もないが、要は何でもできるわけですよ。あとは、周りのメンツと選曲による。以上。みたいな。

 と書くとシリーズ終了になってしまうが、もうちょっと続きを書くつもりです。

追記:この歴史的テープの行方について

 さて、上記したように、ある意味私のジャズサックス人生を変えたともいえるこの歴史的録音なのだが、上の記事を書いて10年ぐらい経って、私がマレーシアに赴任した時に、なんと、録音した当人に会ってしまったのだ。
 マレーシアに行ったばかりの時期、人の伝手を頼って、現地でジャズの演奏をしている日本人Wさんを見つけ、一緒に飯を食べているときの話。

Wさん「八木さんはどんなプレイヤーが好きなんですか?」
私「マイケルブレッカーとかクリスポッターとかですかねえ。でもやっぱり一番影響受けているのはスティーブグロスマンですねえ。学生時代に先輩からピットインの隠し録りテープを聴かせてもらって完全にはまりました」
Wさん「あれ録音したの私なんですよ」
私「えええええええええええええええええええええ!!!???」

 というわけで、この歴史的テープを録音した方としばらくは何にも知らずにバンドやっていたのだ。Wさんとは、その後もKLあたりでバンドを長く続けたのだが、Wさんが任期を終えて帰国する際に、その貴重なカセットテープ(原版)を私に譲ってくれたのだった。というわけで、このテープはなんと私の手元にありますw 上のリンクも、Wさんご自身が原版テープをデジタル化してアップロードしたものです。テナーサックスを吹く皆さんは、ぜひじっくり聴いてみてください。


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