ウェイン・ショーター私論【その2】: Weather Reportとその周辺(1970年代)
惜しくも先日亡くなったジャズサックス奏者/作編曲家のウェイン・ショーター(Wayne Shorter)について、私の思うところを書き連ねておこうと思います。今回は第二回。主に70年代です。
4. ウェザーリポートの結成:ソロ/非ソロ
マイルスバンドを脱退したショーターは、ジョーザヴィヌルとの双頭バンド(当初はミロスラフヴィトウスとの三頭体制だった)を結成する。
初期のウェザーリポートの音源、特に、ライブ音源を聴くと、前の章で書いた「テーマとアドリブが混然一体とした感じで続く曲」が多いのに気付く。
当時、ウェザーリポートのファースト・アルバムのライナーノートにザヴィヌル自らが記したという "We always solo, and we never solo"というフレーズが、「ソロ/非ソロ」という和訳で有名になった。私はなんとなく、明確なソリストと伴奏者という関係ではなく、メンバー全員が同時並行的にソロをやっているバンド、という意味でとらえていたが、よく考えると、フリージャズなんてのはみんなそんな感じだ。
今回改めて考えたのだが、もしかするとこの発言は、曲の全体の中でテーマとソロ(アドリブ)の構造を無くす、あるいは曖昧にする、ということを言いたかったのかもしれない。「俺らは演奏中全員でずっと作曲しているんだ!」みたいな感じかな。さらに考えてみると、2000年代のレギュラーカルテットはまさにそれを実現しているように思えるが、それはまた後で。
ついでに、ジョーザヴィヌルの評伝の中で見つけたウェザーリポート結成に関するショーターとザヴィヌルのコメントも紹介しておく。ショーターのコメントは相変わらず謎だが、ザヴィヌルのコメントは上記の考えを裏付けるものかもしれない。のちにザヴィヌルハーモニー(コード)で有名になるご当人が、ハーモニーは重要じゃない、って言ってるのが面白い。
5. ウェザーリポートの進化:希薄化するショーターの役割
70年代から80年代にかけて、ウェザーリポートは、何回かのメンバー変更を経て、バンドの音楽性が徐々に変わっていく。当初は自然発生的な音を指向していたのが、徐々に構造的になってきたというか。これは、いわゆるファンクビート(ファンクグルーブ)導入も関係するだろうし、同時期に発生していたクロスオーバームーヴメントのなかで、他のバンド、Return to Foreverとか、ハンコックバンドあたりのサウンドに影響された部分もあるんだろう。とにかく、ウェザーリポートはザヴィヌルが書いた曲をザヴィヌルが統制するリズムセクションが演奏して、ショーターがメロディとソロを吹く、みたいなバンドになっていく。
これは、やはりリーダー二人の性格によるところが大きいのかもしれない。ザヴィヌル攻撃的な性格で仕切りたがり、ショーターは控えめな性格であまり自分の意見は言わず、周りの様子をうかがってから行動する。双頭バンドとは言え、実態としてはザヴィヌルがリーダーになっていったんだろうし、だから10何年もバンドが維持できたとも考えられる。
※評伝によれば、当初、構造的な曲をもっていったのはショーターの方だったらしい。一方、ザヴィヌルは4小節とか8小節の短いモチーフを曲にしてしまっていた時期であって、その後、立場が逆転していったように見える。評伝にこんな記述がある。
さて、ウェザーリポート時代のショーターのプレイだが、それ以前と比べて本質的に異なることはないと思う。ただし、バンドでのポジショニングが、構造的なフュージョン曲でのメロディー係とフューチャリングソロイストということで、ソロは相変わらず天邪鬼な感じであるが、朗々とメロディを唄う、ということもやっている。Heavy Weatherに入っているRemark You Madeなんかそうですね。あとBirdlandなんかもそんな感じ。
一方、作曲面での貢献に関しては、ジャコパストリアスの加入などもあり、徐々に比重が減っていったように思われる。60年代あれだけガンガン自作曲を書いてた人が、下手すると年に2-3曲アルバムに入ってる、ぐらいなペースになってしまっている。バンドの力関係の問題もあるが、下に書くような私的な問題もあってモチベーションが上がらなかったという原因もあるようだ。
【補論】ウェザーリポートのリーダー二人について
ウェザーリポートといえば、上にも書いた通りウェイン・ショーターとジョー・ザヴィヌルの双頭バンドだった。この二人、結成当時は同じような音楽を目指していたように見えるが、時間がたつうちに、音楽についての本質的考え方の違いが見えてきて、解散に至ったんじゃないかと思っている。
以下は、以前、私が2004年にショーターのカルテットを観たときの感想からの引用である。
まあ、書いてある通りであるが、やっぱりショーターはメロディ重視の即興が命。ウェザーリポート結成時はザヴィヌルも同じことを目指していたはずが、途中から何やら変わってしまった感がある。っていうか、ザヴィヌルはもともとそういう人(リズムグルーブ盛り上げ好き)なんだろう。ただしザヴィヌルが求める音楽にショーターは不可欠で、ショーターが入ることでザヴィヌルの音楽が過度に単調になることを防いでいたのかもしれない。いずれにせよ、今となって観れば、よく15年も持ったなあというのが冷静な感想だ。
ちなみに、結成当初は、音楽的志向のみならず、バンドの在り方としても「タバコの煙の中、週に6日何時間も毎晩同じクラブで演奏するような状況から脱却し、大きなホールでの演奏中心にして経済的に成功を収める」ようなことを二人して目指していたらしい。改めて考えると、1970年当時、ジャズバンドが大きなホールで演奏するなどというのは外タレを招くときの日本ぐらい(あとはヨーロッパの一部?)だったとも思われ、その後ジャコの参加を得たこともあり、表面上はその目的を達成する。とはいえ、シンセの導入で機材が増えたり、PA機材を専用のエンジニアごと持ちこんだり、プロジェクターを使って舞台後ろに映像を映してみたり、と、ザヴィヌルが金の掛かることをガンガンやった結果、あまり経済的には成功しなかったというのが結論らしい。
ついでに言うと、ショーター自身はバンドでの存在感が希薄になっていた上に、過度な飲酒等私的な問題も抱えており、ウェザーリポート最盛期はあまり幸せな状態ではなかったというのが現在の共通理解のようである。
6. 他ジャンル音楽との邂逅:ハナウタソロの開花
さて、ショーターの70年代はほぼウェザーリポートの活動に終始したわけだが、いくつか例外がある。その一つがブラジルの天才歌手ミルトンナシメントを招いて制作したショーター名義の名盤「ネイティブ・ダンサー(1975)」ですね。
ウェザーリポート結成前から、ブラジルをはじめとした、民族音楽系のリズムを使っていたショーターだが、このアルバムでは、リズムだけではなく、メロディや人間の声、言語(ポルトガル語)の持っている雰囲気もうまく取り入れて、実に美しく、爽やかな音楽を創り出している。
サックスの奏法的にはやはりあまり変わらない。が、録音のせいもあるのか、ソプラノの音がまろやかで、ブルーノート時代の暗い音楽に比べるとはるかに伸び伸びと吹いてる感じ。"Beauty and the Beast"のメロディの唄わせ方とか、何回聴いても気持ちよいし、その後のソロは理論がどうしたとかまったく関係ない(ように聴こえる)「ハナウタ」そのもの。この手のアプローチはデビュー当時から変わってないのだが、自ら作曲とプロデュースをして、曲とソロを同化させて音楽を創るという意味で、大成功していると思うわけです。
ハナウタソロという意味で忘れてならないのは、やはりSteely Danの"Aja"への客演だろうか。録音は1976年なんですかね。
ショーターの評伝によると、ショーターはバックトラックがほぼできた状態で呼ばれて、2テイクだけで完成させた、となっている。一方、Steely Danの評伝をみるとこんなことも。
ついでに、ショーターの評伝からウォルター・ベッカーの証言も。
というわけで、この曲のソロ、ショーターにしてはそれなりに考えて演奏したようで、ハナウタと言っては失礼かw とはいえ、天性の天邪鬼の性質を発揮して、人とは違うアプローチで、よくよく考えながらその場で思いついたようなーハナウタみたいなーソロを創り出したという意味では、やっぱり大作曲家のハナウタなんだろう。ちなみに、スティーブガッドのドラムソロはワンテイクだたそうです。
というわけで、今回はここまでかな。次回は80年代から90年代くらいになると思います。続きはこちら↓。
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