図書館とチャック・フィンリー

大谷翔平の活躍で今や日本中に知られるようになったロサンゼルス・エンゼルズ。スペイン語と英語の「天使」が連続してなんだか頭が混乱するチーム名だが、昔はカリフォルニア・エンジェルズだったりアナハイム・エンジェルズやロサンゼルス・エンジェルズ・オブ・カリフォルニアだった時期もあるので、いっそ新しい記号でも作って The baseball team formerly known as Las Angeles Angels of Anaheim, California とでも読ませればいいと思う。

何を隠そう、筆者が初めて観戦したMLBの試合はこのエンジェルズの本拠地アナハイムでのオークランド・アスレティックス戦だった。ウォーリー・ジョイナーがいきなり先制ホームランを放つ派手な試合だったが、何より筆者の目を釘付けにしたのは対戦相手のアスレティックスの選手たちで、右中間フェンスから軽々とセカンドベースまで返球してしまうホセ・カンセコや150kmh後半は出ていそうな速球を軽々と打ち返すマーク・マグワイアの打撃に驚き呆れるばかり、ファンが左翼スタンドの最上段に掲げたキューバの国旗の色で描かれ「ホセの的」とキャプションが添えられた手製のバナーまで今でも鮮明に覚えている。

さて、その年のエンジェルズだが、前年まで在籍し3年連続で二桁勝利を記録した42歳のドン・サットンを放出して(翌年で引退)メジャー3年目の左投手を先発ローテーションに抜擢している。後にMLB生活17年で通算ちょうど200勝を挙げたチャック・フィンリーである。この年は9勝を記録し、以降エンジェルズでは10回、現役通算で12回の二桁勝利を挙げた押しも押されぬフランチャイズのエースだが、彼の名前は野球以外に二つの印象的な事件にも関連して記憶されている。

野球選手によるDV(ドメスティック・バイオレンス)事件というのは残念ながら日米を問わず耳にすることが多い話題で、特にMLBでは選手によるDV事件があれば課せられる出場停止処分の内容などを明確に規約に定めている。このルール適用後の初の処分者はWBCで日本の松坂大輔と投げ合い現在ヤンキーズのクローザーであるアロルディス・チャップマン、その次は日本の松井稼頭央がメッツと契約した際にショートからセカンドにコンバートされ物議を醸したホセ・レイエスと続いている。最新にして最も重い処分となったのが2022年4月にトレヴァー・バウアーに下された324試合の出場停止で、実質的に2年間の試合出場が禁じられ、その間の給与支払いも停止されている。

正直な話、プロの野球選手がみんなお利口さんな訳がなくて、体力だけは有り余っている上に日常的にものすごい量の誘惑に晒されている生活を送っており、モラルの崩壊した人も少なくはないことが容易に予想される。数年前に頭部にライナーの直撃を受けて開頭手術を受けたブランドン・マッカーシー投手は退院して最初に声をかけられたのが3Pのお誘いだったとtweetしていたが、金も体力もある若い男性への誘惑はそれだけ多いのだろう。それにジョニー・デーモン外野手のように妻が36時間かけて出産している最中にその病院で9人の看護師たちと事に及んだとインタビューで語っている人もいるので、そのうち野球中継にもモザイク処理が必須になるのかもしれない。

もちろんDV加害が誘惑してくる女性たちのせいというわけでは全くない。加害者となった選手たちは処分されて当然だ。しかし、若く無知なまま誘惑の中に投げ込まれ女性蔑視の感情を育んでしまいがちな環境の方もなんとかした方がいいと思う。

さて、チャック・フィンリーの関わる事件だが、一つはDV関連のものだ。とはいえ、彼が配偶者に暴力をふるったのではなく、配偶者の方が彼に暴力をふるっているところを通報された。80年代のロック音楽好きなら知っているかもしれないが、当時ヒットしていたホワイトスネイクというバンドのプロモーションビデオに出演し、後にシンガーと結婚・離婚してた Tawny Kitaen は夫であるフィンリーを車の運転中にハイヒールで殴るなどしているところを目撃されたのだ。フィンリーは妻をDVで起訴し、その三日後には離婚も申請している。当時は珍しく野球選手の方がDV被害者になったとして揶揄するような論調も多く、シカゴ・ホワイトソックスの音楽担当がシカゴでのエンジェルズ戦のフィンリーの登板試合にわざわざホワイトスネイクのビデオを流し、フィンリーは動揺したのか2回9失点でKOされる事件があった。さすがにやりすぎだと非難されたホワイトソックスは音楽担当を解雇して謝罪している。

Tawny Kitaen は2021年、心臓病のため59歳で死んだ。久しぶりにホワイトスネイクのビデオを観たけど、車の上で踊ったり箱乗りしたりして大活躍していたので、車に乗ると妙に元気になっちゃうタイプだったのかもしれない。

そんなフィンリーだが、輝かしい野球選手としての生活から引退後、妙なところでその名前が使われるようになった。一つはドラマ「バーン・ノーティス 元スパイの逆襲」で、サム・アックスという登場人物がなぜか偽名にいつもチャック・フィンリーという名前を使っている。それともう一つ、こちらは新聞沙汰にもなった事件なのだが、2017年にフロリダ州の図書館員が共謀してチャック・フィンリーの名前で架空のアカウントを作り、そのアカウントが9ヶ月間に2千冊以上の本を借りた事にしていたというのだ。

もちろんこれは違法行為であるわけだが、なぜ図書館員たちがそんなことをしたのかというと、アメリカらしい単純な合理化により図書館の運営にも資本主義の理屈が入り込み、貸出実績のない図書を廃棄して合理化するよう迫られたためだった。世界の名著は文化的には大変貴重ではあるが、ベストセラー本よりは売上は当然多くはないわけで、図書館でも利用頻度がそれほど高くはない。しかし文化的価値など目先の合理化では真っ先に無視されてしまうものなので、多くの貴重な書籍に廃棄の危機が迫っていた。そこで、図書館員たちは架空のアカウントを作り、そのアカウントに本を借りさせることで機械的に判定される図書の廃棄リストから貴重な本たちを救い出していたというわけだ。

筆者は法律なんて運用次第だと思っているので、図書館員たちの英断と勇気を大いに讃えたいのだが、依然として謎なのは、なぜフロリダとは特に縁もないチャック・フィンリーがそのアカウント名として選ばれたのかで、その答えはいまだにはっきりとしていない。


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