Jackie, Tim, and Josh

ジョシュ・ドナルドソンは並いるA's出身の選手の中でも特にお気に入りの選手だった。だった、と過去形で語らなければならないのが残念だ。

5月13日のヤンキーズとホワイトソックスの試合中、今年からヤンキーズに移籍したジョシュ・ドナルドソン内野手は、相手チームのショートストップのティム・アンダーソンに試合中に2度も「Hey, what's up Jackie?」と呼びかけた。ホワイトソックスの大ベテラン監督トニー・ラルーサ(こちらも元A's)はそれを人種差別的なコメントと評し、キャッチャーのグランダールは5回、打席に入るドナルドソンに毅然とした態度で抗議したため両チームのベンチが空になる騒ぎとなった。

ドナルドソンはティム・アンダーソンが2019年の雑誌インタビューで自身を現代のジャッキー・ロビンソンと呼んだこと、アトランタ在籍時にもそれについてジョークを交わしたことを理由に、それが他意のないものであると主張しているものの、同時に敬意を欠くものであると感じられたなら謝罪するとしている。またヤンキーズの監督アーロン・ブーンも、ドナルドソン自身に悪意があったわけではないだろうとしながらも、個人的な意見としてはあってはならないことであるとコメントした。

その前に事件の伏線となるプレーがなかったわけではない。それどころか、ドナルドソンとホワイトソックスはいわば因縁だらけの関係だった。先週のシカゴでの対戦ではドナルドソンが三塁で牽制球を受けてアンダーソンにタッチした際にベースから押し出そうとしたため、両チームのベンチが空になったことがあった。また、昨年もドナルドソンがホワイトソックスと同じアメリカンリーグセントラルのミネソタでプレーしていた際にもホワイトソックスのエース、ルーカス・ジオリトからホームランを放ってホームベースを踏む際に、当時規制が強化された手に塗る滑り止めに言及し「もう手がべとべとしてないからな」と放言した。ジオリトはドナルドソンを「ペスト」と評し、文句があるなら面と向かって言えばいいとコメントしたため両者は試合後の球場の駐車場で一悶着あったらしい。

白人であるドナルドソンはインタビューによれば「小学校を卒業する頃には、父方の家族は成人の男はみんな死んだか刑務所にいた」という環境で育ち、5歳の時に父親が性的暴行などの罪により16年服役している。また高校時代にはいじめによる転校も経験している。ホワイトソックスのライバルである同じシカゴのカブスに2007年リーグ全体で48番目にドラフトされ、翌2008年には再建を期して実績のある選手を若手の有望株と交換していたアスレティックスに日本でも阪神タイガースでの活躍でお馴染みのマット・マートンらと共にトレードされるほど、その高い運動能力は評価されていたが、チームには打撃能力に優れたカート・スズキが正捕手として君臨していたこともあり、MLBではなかなか出場機会を得ることができなかった。

転機が訪れたのは2012年、春のキャンプで本格的に三塁手に転向し、左打ちのエリック・ソガードとのプラトゥーン起用でMLBでのチャンスを得た。前半戦は全く打てずそのまま降格してしまうも、マイナーリーグで打率4割を超える成績を残して後半戦から再び昇格すると、セカンドからサードに回っていたレギュラーのブランドン・インジが肩を脱臼してシーズン出場が不可能になったことからそのままレギュラーとして試合に出場し、オールスター前までの成績153/160/235が嘘のように290/356/489の好成績を残してその地位を不動のものとした。

翌2013年には月間MVPを獲得するなど更なる飛躍を遂げ、MVP投票でも4位に入る活躍を魅せた。また同年には出所した父親が試合観戦に訪れた。同じアメリカンリーグ西地区のエンジェルズの投手(名前は失念した)はホームランを打たれたドナルドソンについて、だからこそ彼はオールスターなんだよとコメントしていたが、その時点では実際にはまだドナルドソンにはオールスター出場経験はなく、それだけファンへの認知度を超えて選手間では高い評価を得ていたのだ。そして2014年にはオールスターへの出場も果たし、また再建期となったオークランド・アスレティックスからかつて自身がそうだったように若手選手たちとの交換で移籍したトロントではとうとうリーグMVPにも選出された。

MLB11年間で通算出塁率は.367、長打率.505という押しも押されぬ名選手としてキャリアの晩年を迎えてのこの事件である。ドナルドソンの度重なる不遜な振る舞いは一種の個性として受け取られてきた歴史がある。アスレティックスを放出された原因の一つには球団副社長のビリー・ビーンとの衝突があったといわれている。MVPを獲得したトロントやキャリアを復活させたアトランタでも長く居続けることができなかったのはその言動のせいもあっただろう。ボール球をストライクとコールされ、その打席でホームランを放ち本塁に帰ったら改めて暴言を吐いてベースの上に土を被せて退場になるような選手なのだ。

しかし、われわれは何もお利口さんの見本市を求めて野球を見ているわけではない。むしろこういう愛すべき愚か者こそ見たいというのが本音である。一塁手の足をわざと引っ掛けて蹴ったり二塁への危険なスライディングを繰り返すマニー・マチャドがクソ野郎だとしたら、見境なく誰にでも激昂して正面からぶつかって、ゲリット・コールに滑り止めの使用を罵った後にきっちり連続三振して帰ってくるドナルドソンは愛すべき馬鹿野郎だった。子供の頃からファンだったアトランタと契約した年、もう限界を囁かれていたものの見事に復活し、敵地ワシントンでネット裏の心無いファンに「お前なんかもうMVPじゃない、ここはトロントじゃないぞ、トランプはお前を国外退去にするからな」とヤジられながらホームランを放ち、ネット裏を指出して罵り返した姿こそドナルドソンだった。

アフリカ系アメリカ人の野球人口は激減していて、1981年の18.7%をピークに現在は6から7%あたりを推移している。今やスポーツもエリートのものになりつつあるのかもしれない。上原浩治の息子も通うIMG Academyは元来テニスで有名だが野球の教育にも力を入れており、その学費は年齢に応じて年間800万円から1,000万円もかかる。そもそも野球というスポーツはボールを投げる、捕る、打つという初歩の教育が難しく、それなりに時間をかけて教わらないとなかなか身につかない。楽しんでプレーできるようになるまでは、少なくとも誰かが丁寧に教えてくれて、練習ができる場所に送り迎えしてくれて、レベルが上がるほど高額になる用具を用意してくれる必要がある。アメリカにおけるアフリカ系の片親の割合は64%というから、親が参加するのはそれなりに難しいことが想像できる。ミネソタのスーパースター、トリー・ハンターはジュニアオリンピックに選ばれながら経済的事情で参加金を用意できず、当時の州知事ビル・クリントン(後の第42代アメリカ合衆国大統領)に手紙を書いて寄付された500ドルで参加することができたというが、ようするに代表に選ばれながらお金を取られるような世界でもあるということだ。

そんな状況で自身をジャッキー・ロビンソンに例えるのは、どんな意味合いを帯びることなのか。答えはいくつもあるかもしれないが、その一つはきっと、かつての人種による隔離が現代では経済格差による分断となっており、新しいジャッキー・ロビンソンに求められるのはそのような状況を乗り越えるための力ということになるだろう。

おそらく、幼い頃に父親が服役していたドナルドソン自身さほど経済的に恵まれた環境ではなかったことは容易に想像できる。そして実はティム・アンダーソンも似たような環境に育っている。息子が生まれる前にドラッグ関連の犯罪で逮捕された彼の父親は15年間服役している。そして母親にはもう4人の子供がいたため彼を養うことができず、叔母夫婦の元で他の3人の子供たちと育った。バスケットボールの才能があったが185cmと身長に恵まれなかったため断念し、奨学金で進んだ大学では野球に専念した。その2年目で大ブレークして全体17位でシカゴ・ホワイトソックスにドラフトされた。以降の成功はみんなの知るところで、2020年にはシルバースラッガー賞、2021年のオールスター出場と今や押しも押されぬスター選手となった。近年では、互いの娘の名付け親になるほどの関係だった地元の友人が銃で射殺されたことから、教育学の修士号を持っている妻と子供の支援団体を立ち上げ、地元の子どもたちを連れてジャッキー・ロビンソンの伝記映画「42」を観劇させるなどしている。あからさまな人種差別に代わって今度は経済格差が入り口に立ち塞がるようになりつつあるスポーツの世界で、同じように厳しい環境から這い上がってきた二人が、どうしてこうなってしまったのだろう。

ジャッキー・ロビンソンはMLBが有色人種のプレーを排除してから以降、初めてプレーした有色人種の選手である。もちろん有能な選手ではあったが、彼が抜擢されたのは有能さだけが理由ではない。サッチェル・ペイジやジョシュ・ギブソンらに先駆けてドジャーズと契約したのは、言い伝えによれば、差別的な待遇や不当な扱いに「やり返さないこと」が出来ると見込まれたからだという。もちろんロビンソンは軍隊時代に人種別の座席があるバスへの搭乗を拒否して裁判にかけられた(無罪)こともあるので従順でおとなしい性格だったわけではない。ただ、興行を成功させてMLBの人種の壁を取り払うための要員として見込まれたのだ。

人種の壁が取り除かれ、世界最高のホームランバッターはバリー・ボンズとなり、最高の好打者はトニー・グウィンで、最速のランナーはリッキー・ヘンダーソン(全員アフリカ系)だ。しかしいずれも20年以上前の選手たちであり、アフリカ系のプレーヤーが再び野球から遠ざかりつつある現在、スラムでドラッグを売り成人する頃までに射殺さる前に子供たちを教育しようと活動しているティム・アンダーソンを茶化すような真似をするのは、確かに超えてはいけない一線を超えてしまっている。ドナルドソンが差別的な意図をもって何かしたというつもりはない。だが、差別というのは当人の意識の中にあるわけではなく、その行為にあるのだ。つまり、行為が持つ意味はその置かれた状況に依存する。舐められたら終わりという姿勢で生き抜いてきたドナルドソンの生育環境を考慮しても、やはり咎められるべきではある。

現在、出場停止処分を巡って異議申し立てをしているドナルドソンだが、出来ることなら処分に従い、アンダーソンとは協力的な関係を築いてもらいたいと願う。

追記:

ドナルドソンによる正式な謝罪が行われた。

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