[第4回・後編] 頭は非合理だけど行動は“あたかも”合理的 --- 顕示選好

講義ウェブサイトはこちらです。
第4回<前編>はこちらです。
-------------------------------------

講義第4回目の後半では,
・一見すると非合理な行動も,合理性を前提としたモデルで説明できる
可能性があることを,「顕示選好」(“あたかも”)理論の考え方を使って説明しました。

伝統的な経済理論が前提とする「ホモ・エコノミカス」(合理的経済人)
・すべての利用可能な情報を用いて,与えられた選択肢の中から自分にとってベストなものを選ぶ
という非常に強い合理性を持つと仮定されており,行動経済学の入門書などでも「非現実的だ!」としばしば批判されています。この主張はもっともではあるのですが,実際に頭の中で起きているプロセス自体がホモ・エコノミカスとは全く違っていても,
・その人の選択行動が,あたかも(as if)合理的な意思決定によって導かれたかのように見なすことができる
という可能性はあまり知られていません。

もしそうであるならば,ホモ・エコノミカスを前提とした伝統的な経済理論は,
・人間の頭の中の仕組みは必ずしもうまく説明できない → <マイナス点>
けれども,
・その人の選択行動をうまく説明・予測できる場合がある → <プラス点>
理論となり,一定の有用性を持つと言えるでしょう。余談ですが,これが「少しは有用」なのか「めっちゃ有用」なのかの意見は専門家でも分かれ,心理学者は前者,経済学者は後者よりという印象です。これは,思考プロセス自体に関心がある(=心理学)か,思考の帰結としての行動により関心がある(=経済学)か,という学問的な関心の違いによる面が大きいと思います。

余談ついでに,実は今回は当初の講義スケジュールを変更しています。セイラー教授のノーベル賞受賞に伴う行動経済学への注目によって,伝統的な経済理論が必要以上に貶められる危険性を感じたからです。「顕示選好」の考え方を身につけて,一見すると非合理な意思決定法が,“あたかも”(as if)合理的な選択行動として解釈できる驚きを共有して欲しいです。


【板書】 Cで表される選択関数(choice function)は、与えられたメニュー(アイテムの集合)の中からどのアイテムを選ぶかを指定する写像です。たとえば,
・C(X)=b
なら,
・Xというメニューからbというアイテムが選ばれる
ことを意味します。ここで,Cのアウトプットは必ず一つで,それはインプットであるメニューに必ず含まれているとします。複数のアウトプットを許すようなCは選択対応(choice corresponding)と呼ばれ,より一般的な選択行動を描写することができますが,講義では選択関数のみ扱います。

“あたかも”理論が成立するための選択行動に関する条件は「条件α」と呼ばれ,ノーベル賞学者でもあるアマルティア・センによって定義されました。言葉で表現すると次のようになります。

・[条件α] 任意の“大きい”選択肢のメニュー(=A)から選ばれたアイテムが“小さい”選択肢のメニュー(=B)に含まれている場合,Bの中から選ばれるアイテムと同じにならなければならない。

直感的に言うと,たとえば
・「日本のすべてのたこ焼き屋の中から選ばれるお店が大阪にあれば,大阪にあるすべてのたこ焼き屋の中から選ばれるのも同じ店でなければならない」
という条件になっています。

ホモ・エコノミカスの選択行動がこの[条件α]を満たすことはすぐに理解できるでしょう。自分にとって日本一のお店が大阪にあるのに,それが大阪一のお店と違っていたら変ですよね? 実は,これとは逆の関係も成り立つ,というのが大きなポイントです。つまり,[条件α]を満たすような選択行動は,たとえ当の本人がホモ・エコノミカスではなかったとしても,あたかも
・合理的な選好から導かれる最適な選択行動だとみなすことができる
のです。

では,どういった選択行動を取っている人が,この[条件α]を満たすのでしょうか? 講義では,
・自分にとって常に“最悪の”選択肢を選ぶ=「あまのじゃく」
・一定の満足度を超える最初の選択肢を選ぶ=「満足化原理」

なども,実はこの[条件α]を満たすことを紹介しました。

「あまのじゃく」な人の頭の中は,合理的なホモ・エコノミカスとは真逆のように見えますが,それでも[条件α]を満たしてしまうのです。「あまのじゃく」の選択行動と,彼とは正反対の選好を持つホモ・エコノミカスの選択行動が完全に一致する,つまり「あまのじゃく」の行動が,あたかも(真逆の好みを持つ)ホモ・エコノミカスの選択行動であるかのように分析できてしまう,という点に注目してください。

「満足化原理」は,限定合理性への貢献によってノーベル賞を受賞したハーバート・サイモンが提唱した代表的な意思決定仮説です。(この満足化原理の詳しい説明や、それがなぜ[条件α]を満たすのかは次回の講義で解説します)
この限定合理的な選択行動すらも,“あたかも”合理的な選択結果として説明できてしまう,というところが伝統的な経済理論の隠れた凄さだと言えるかもしれません。

では,[条件α]を“満たさない”選択行動にはどのようなものがあるのでしょうか? 次回の講義では,常にメニューの中で二番目の選択肢を選ぶ「セカンド・チョイス」やダン・アリエリーによるベストセラー『予想どおりに不合理』によって脚光を浴びた「おとり効果」の選択行動などは[条件α]を満たさないこと,つまり,これらの選択行動は,強力な
・“あたかも”理論をもってしても“合理的”に説明することができない
ことを見ていくことにしましょう。


【今日のひと言】
ホモ・エコノミカスは嫌いでも,伝統的な経済学は嫌いにならないでください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?