晩節を汚すことな

仕事をしていると、色々な人を見かける。

自分軸を破壊することで生き延びてきたような、私みたいな人間がなんとか晩年を平穏に過ごすためには、地位や名誉でなく、精神的な安定度合いで人を計るべしとの助言に従って、無駄におもねらないように、彼らを観察している。

先ほど文句ばかりのご老人がいた。付き添いの親族(きっとご老人はそれを従者と思ってるだろう)もその言動を野放しだ。

自分がすごいことを認めてと親や周囲にねだる子供と何ら変わらない。おそらく脳の収縮に由来する我慢の困難があり、その分、これから成長に向かう子供よりも、騒々しさに救いがない。

心や脳は、他の器官よりも特別という盲信を捨てれず、己を大切にする術を学ばず、承認欲求の肥大化させるのは勝手だ。

だが、私がそれに加担しないという意思も、同じく尊重される。

晩年を汚している人たちは、それを理解すると何かが崩壊してしまうらしく目をそらし、相手が自分の思うように相手をしてくれない時は攻撃的になる。

そういう人が孤独を覚えるのは無理もないだろうが、その孤独に潜む自己獲得の好機さえ、周囲に原因を負わせることで、逃す。自分に向き合えず生きてきた彼らに必要なのは、医療の専門家のケアだ。

精神性は、生きた年数や外見からでは計れない。安定度合いで人を観察すると、大人のふりした子供の多さに気付くのは容易だ。

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