【短文レビュー/邦画新作】『劇場版 ACMA:GAME アクマゲーム 最後の鍵』佐藤東弥監督・・・人間の争う姿を見たがる悪魔が人間すぎる
トップ画像:(C)2024劇場版「ACMA:GAME」製作委員会 (C)メーブ・恵広史/講談社
監督:佐藤東弥/脚本:いずみ吉紘、谷口純一郎/原作:メーブ、恵広史
配給:東宝/上映時間:119分/公開:2024年10月25日
出演:間宮祥太朗、田中樹、古川琴音、竜星涼、嵐莉菜、金子ノブアキ、志田未来、小澤征悦
悪魔の用意するオリジナルゲームで人間が勝負するという、胸焼けを起こしそうなほど次から次へと出てくる"デスゲーム"ものの最新作。ややこしいルールは映像作品に向かないと判断したからか、たとえば『賭ケグルイ』とか『今際の国のアリス』などに比べれば、ゲームの内容は格段に単純ではあった。ただ、単純だからこそ、ワケのわからなさも際立ってしまうのであるが。複雑なルールでごちゃごちゃさせて誤魔化すことができないから。
一例として、「落下真偽心眼(ダウントゥルーオアフォールス)」というゲームの内容を簡単に説明する。1vs1の勝負で、プレイヤーそれぞれがハンドル操作のみ可能な車に乗り込み、カーブの多い山道を走りながら、交互に2択クイズを出す。正解すれば解答者に、間違えれば出題者にポイントが入り、3ポイント先取で勝利。車の時速は8キロだが、クイズを1問出すごとに倍々で速度が速くなる。さらに、車には「激しく揺れると爆発するニトロという液体」(ニトログリセリンの原液だろうか。なんか黄色からピンク色に変化していたけど)が積み込まれている。
これ、クイズの出し合いと車の運転が何も関係ない。そのため、爆発の恐怖に耐える緊迫感と、クイズにおける心理の読み合いによる緊迫感が、まったく分離した別物になってしまっている。クイズ自体は論理も何もあったもんじゃないし、車の運転のほうも駆け引きなんて皆無だし。急に「悪魔の力」とかいうルール無用の特殊能力によってあっさりと終わってしまうのを含めて、ただただワケのわからなさに困惑するだけなのだ。
世界の人口の3分の1が滅びる時限爆弾って何だよとか、Netflixドラマ『三体』そのままのビジュアル表現はどうなのとか、電話するよう急かしているけどネットワーク空間にいるであろうオマエが伝えればいいだろとか、古川琴音のこんな演技は見たくなかったとか、まあいろいろあるけど、一番残念だったのは、人間の争う姿を高見から見物したいという悪魔に変なプライドとか浅はかな感情がありすぎて、とても超常的な存在に思えないところか。相手の術中にはまって狼狽えるのとか、あまりにも人間っぽい。まだカイジの鉄骨渡りを見ていた人たちのほうが悪魔に近かった。