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【短文レビュー/邦画新作】『スオミの話をしよう』三谷幸喜監督(※ 軽くネタバレあり)

トップ画像:(C)2024「スオミの話をしよう」製作委員会

監督&脚本:三谷幸喜
配給:東宝/上映時間:114分/公開日:2024年9月13日
出演:長澤まさみ、西島秀俊、松坂桃李、瀬戸康史、遠藤憲一、小林隆、坂東彌十郎、戸塚純貴、宮澤エマ

三谷幸喜監督といえば、舞台劇とテレビドラマという2つのジャンルにおいて、日本最強のヒットメーカーとして君臨する逸材である。こうして改めて説明するのが馬鹿馬鹿しいほどに、国民の常識レベルの存在だ。その一方で、現役の日本の映画監督の中ではごく少数の、映画は高尚なものと捉え、映画的とは何なのかと常に追求している人でもある。そしてここが肝心だが、観客が嫌悪を催すものこそが映画的なのだと、三谷監督は信じている。

だから、『清洲会議』のようにずる賢い主人公が純朴な人をハメる話を書いたり、『ギャラクシー街道』のように体液など生理的に不快なものを直接描写したりしているのだ。たしかにそうした嫌悪感のあるものは、それぞれ制約のある舞台劇やテレビドラマではやりづらいことであるし、映画的と称してもあながち間違いではない。より正確さを期すなら映画秘宝的と言うべきかもしれないが、それはそれで映画的に含まれているわけであるし。

だが、三谷監督の志は、世間に理解されることはない。理由のひとつには、三谷監督の映画監督としての技量もあるとは思う。だがそれ以上に、三谷監督の新作だからと映画館に足を運ぶ観客の多くは、別に映画的なものを求めていないのが一番大きい。前々作『ギャラクシー街道』で空前絶後の大批判を受けて心が折れたのかどうかはわからないが、前作『総理と呼ばないで!』は、得意のシチュエーション・コメディで小さくまとめた佳作であった。悪くはないが、三谷監督の実力なら手グセで作れるレベルであろう。

そして本作『スオミの話をしよう』である。ある女性が突然いなくなり、その夫だった5人が一堂に介す話。元夫たち(ひとりは現夫だが)のイメージするスオミがそれぞれ違いすぎることから、どれが本当のスオミなんだと言い合いが始まる。で、人は他者の側面しか捉えることができないとか、そういうありがちな結論になるわけだ。しかしまあ、大切な誰かしらが突然いなくなって、行方を追う過程で「よく知っていると思っていた人の別の面」を知っていく話、最近の邦画で多すぎないか。ここ数年で軽く10本以上はありそう。

ただこれやっぱりすごく嫌な話で、スオミは意識的に、それぞれの夫にとっての「都合の良い女」を演じ切っているのである。そしてそれが、男たちを手玉に取る強い女だと肯定的に描かれている。しかし、劇中でもトロフィーワイフと呼ばれたりしているが、スオミのやっていることって、ジェンダー格差のある旧守的な社会構造に追従しているにすぎない。一応、今回の失踪の動機は「都合の良い女」を演じ続けている自分が嫌になったからであるのだが、最後の大オチとして同じことを繰り返していては、元も子もないし。スオミ、何も変わっていないのである。

さらに、夫たちのほうもまた、何も変わっていない。戯画的に嫌な奴らとして描かれる夫たちは、特に改心も成長もせず、最後までそのままだ。女にいいように扱われていたことを自覚するだけでは、とても成長とは呼べないだろう。スオミも、夫たちも、旧守的な社会構造を否定しないまま終わる。そんな、どうしようもない社会に対する諦念しかない結末に抱く嫌悪感こそが、もしかしたら三谷監督の考える映画的なものかもしれない。


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