
【学園ラブコメ邦画研究】第3回:『ヒロイン失格』
トップ画像:(C)2015 映画「ヒロイン失格」製作委員会 (C)幸田もも子/集英社
映画情報
監督:英勉/脚本:吉田恵里香/音楽:横山克/主題歌:西野カナ『トリセツ』
配給:ワーナー・ブラザース映画/上映時間:112分/公開:2015年9月19日/興行収入:24.3億円
出演:桐谷美玲、山崎賢人、坂口健太郎、福田彩乃、我妻三輪子、高橋メアリージュン、中尾彬、柳沢慎吾、六角精児、濱田マリ、竹内力
原作情報
作者:幸田もも子/連載誌:「別冊マーガレット」(集英社)連載期間:2010年~2013年/単行本巻数:10巻
※ 2025年3月1日以降は有料公開となります。
これはすごい。竹内力が壁を走るなどのマンガ的なギャグを随所に挟み、一見するとふざけているようで、実は学園ラブコメという王道物語の枠組みを批評的に捉えている。主人公は今風に言えば「第四の壁」を意識していて、王道物語における自分の立ち位置に右往左往しているのだ。その俯瞰的な視点を通すことでベタな物語の解体と再構築が行われているのである。
主要キャラクター
主人公
松崎はとり(演:桐谷美玲)
イケメンの幼馴染。自分はいずれ彼と結ばれる王道物語のヒロインと信じていたが、イケメンのほうは地味な女子といい感じになり嫉妬に狂う。『君に届け。』で同じく桐谷美玲が演じた役と同じ立ち位置であり、つまり俯瞰すれば「恋のライバル」ポジション。
イケメン
寺坂利太(演:山崎賢人)
他作品のイケメンと同様、やっぱり情報が少ない。子供のころに母親が家を出ていったという定型の過去がある程度。
恋のライバル
安達未帆(演:我妻三輪子)
いわゆる地味な女子。正義感は強くジャーナリストになりたいという夢もあり、そういう人間的魅力によってイケメンの気を惹くことになる。本来であれば学園ラブコメの主人公ポジションであるが、前半は無自覚に、後半は自覚的に、主人公へマウントを取っている。我妻三輪子という配役が完璧。
トリックスター
弘光廣祐(演:坂口健太郎)
「恋愛なんて思いこみなのにさ」という価値観を持っている、いつも薄く笑っている男子。上記3人の全員のいずれにもジャストなタイミングで芯を食う一言を放ち、関係性を混乱させる。ほぼ彼の活躍によって物語は動いている。
大まかなプロット
アバンタイトル→前半
イケメンが不良的生徒に絡まれたところを恋のライバルが打ちのめす。さっそく恋のライバルとイケメンがいい感じになる。その流れを目の前で見ていた主人公が「ヒロイン失格じゃん」と呟いたところでタイトル表示。
その後、恋のライバルから優位性を取ろうと奮闘する主人公の様子が戯画的に展開される。しかし何をしても、恋のライバルの人間力によって打ちのめされてしまう。主人公のピエロぶりが強調される。
トリックスターとの出会い
「はとりちゃん(主人公)は寺坂くん(イケメン)が好きっていうより、10年間思い続けている自分が好きなんだね」と、主人公気取りにはキツい一言→唐突にトリックスターから主人公へキス。
(ここで上映時間の1/4 ファーストターニングポイント)
ダブルデート(ボーリング)
主人公とトリックスターがイチャイチャしている様子を見て、イケメンが嫉妬→先に帰宅。恋のライバルが主人公に説教的なことを言うが、トリックスターから「偽善者」と言われる。
夜の歩道橋の上
主人公とイケメンの2人。イケメン、恋のライバルについて熱く語る。主人公、完全にフラれる。
翌日以降、夏休み前
そのあと、「恋は捨てた」と悟りを開いて坊主にする。→しかし恋のライバルから「夏休みの間、寺坂くんと一緒にいて」と頼まれ、髪が生え戻る。
「ギャップ大作戦」と銘打ち、夏休みには一度もイケメンと一度も会わないという作戦を立てる。
夏休み
主人公、トリックスターと公園デート。夜、トリックスターの元カノと遭遇。
主人公、イケメンに電話して花火大会に誘う。
花火大会(夏祭り)
イケメンと主人公のデート中に、トリックスター現れる。イケメンとトリックスターのバトル勃発。現状の三角関係に対して「それって残酷じゃない?」と、今度はイケメンに対して芯を食う一言。
主人公「私にはずーっと利太だけなの」という不意の告白に対して、イケメン「俺は、ずっとなんて信じない」と断る。
打ち上げ花火をバックにキス
(ここで上映時間の1/2 ミッドポイント)
幼い頃に母親が出ていったという、イケメンのトラウマが明らかにされる。
新学期
恋のライバルにトリックスターが話しかける。「もう偽善者のフリ止めたら」「繋ぎ留めなよ、どんな手を使ってでもさ」
恋のライバル、イケメンの前で倒れる(実はイケメンを繋ぎとめるための演技)。イケメン、主人公に別れを告げ、恋のライバルを選ぶ。
トリックスター「はとりちゃん(主人公)、傷つかなくていい。俺だけを見ていればいいから」→主人公とトリックスターが付き合う。
こうして2組のカップルが生まれる。
北海道に修学旅行
主人公、イケメンの母親と遭遇。母親とイケメンが出会わないように画策。しかし逆に主人公のせいで、母親は北海道に自分の息子が来ていると知る。
イケメンと恋のライバル、別れる。
(上映時間の3/4 セカンドターニングポイント)
ほぼ同時刻、主人公とトリックスターも別れる。
イケメン、母親と再会。もっとも、実際の会話シーンなどは無い。
主人公にイケメン「(母親と会ったことに対して)思ったより全然平気だった。ひとりじゃないから。俺にはいつだって、はとり(主人公)がいるから」
抱き合ってキス。
(簡単なエピローグをつけてエンドロール)
総括
こうして振り返ってみると、この主人公って内面的にも外面的にも、たいしたことをしていない。前半でやっていることは最初から最後まで、恋に破れた者のポジションとしての悪役ムーブであり、そこに内面的な成長は存在しない。ではなぜ、そんななのに打ち上げ花火を背にしたキスまでこぎつけたかといえば、要所要所でトリックスターが煽ってきたからである。
後半も同様だ。なぜ後半で主人公が主人公足りうることになったか。トリックスターがイケメンの恋人であり主人公ポジションの恋のライバルをけしかけ、あなたは「恋のライバル」というポジションなのですよと認識させたからだ。トリックスターによって、逆になっていた主人公と恋のライバルのポジションは正しく補正されたのである。主人公が何かをしたわけではない。
では後半で主人公がしたことは何か。一応、母親とのトラウマというイケメンのトラウマを解決したことが挙げられる。ただこれ、本人は無自覚に、ほぼ偶然によって勝手に解決しているのだが。学園ラブコメの構造を成立させるために無理やり挿入した、なんとも蛇足感の強いエピソードだ。
以上は、別に批判ではない。第三者の手によって主人公と恋のライバルのポジションが入れ替わることで、本作の目的である「ベタな物語の解体と再構築」が行われているからだ。そこに物語構造の根幹である「主人公の成長」を入れると、主軸が定まらなくなってしまう。主人公の成長が描かれないのは、本作に限っては妥当な処置であった。
ついでの記録
ジャンルの定番シチュエーション
イケメンの抱えるトラウマが親絡み
壁ドン(トリックスター→主人公)
夏祭りでの浴衣(男女とも)
ラスト間際で、主人公がイケメンを探して走り回る
ジャンルには珍しいポイント
そもそも主人公が「恋のライバル」ポジションから始まる時点で非常に珍しい。