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【短文レビュー/邦画新作】『まる』荻上直子監督・・・堂本剛に取り憑く神話を解体する意図は最後の最後で全否定される

トップ画像:(C)2024 Asmik Ace, Inc.

監督&脚本:荻上直子
配給:アスミック・エース/上映時間:117分/公開日:2024年10月18日
出演:堂本剛、綾野剛、吉岡里帆、森崎ウィン、戸塚純貴、おいでやす小田、濱田マリ、柄本明、早乙女太一、片桐はいり、吉田鋼太郎、小林聡美

前作『波紋』によって過去作品を否定するタームへと入った荻上直子監督の最新作。現代美術家のアシスタントをクビになった青年が何となく描いたただの丸の絵が、いつの間にか世間では勝手に至高のアート作品と祭り上げられ社会現象となっていく様を描くことで、画壇における消費の構造を嘲笑おうと試みている。セリフを当て書きされた主演・堂本剛に取り憑いている神話を解体する意図も多分にあるのであろう。

ただ、物語の構造自体は単純だが、ここぞというところで抽象に逃げている。いや、映画に抽象性はあって然るべきだが、作品テーマと連なってるわけではなく、かと言ってシュルレアリスムのごとく無関係な事象が挟まるわけでもなく、ただただ微妙に見当外れなのだ。働きアリの例え話とか、この物語について何ひとつ言い表していないでないか。見当外れな抽象の最たるものが吉岡里帆の演じる人物それ自体であろう。さも意味ありげに要所要所で主人公の前に現れるが、いくら考えても何も意味が無い存在である。

終盤で堂本剛演じる主人公の沢田は、絵を描く衝動を止められない的なことを吐露するが、前半で自分の絵を衝動的に描いているシーンなぞ一回もない。むしろ、自分の絵を描くことを諦めているキャラクターではなかったか。ずっとそうなのだが、よくあるアナクロな描写を物語とは無関係にいきなり放り込んでいるだけなので、ただただ具現化できていないがゆえに抽象になってしまっているのだ。意図的ならば芸術を愚弄しているが、本当にわかっていないだけのような気がする。

ラストシーンに登場する沢田の作品は、この物語を端的に表しており、その意味で価値のあるアートだと思う。それは、ここまでの沢田を観てきた観客は作品の意味を汲み取れるからではあるが、アートとは文脈であることを踏まえれば、その価値に妥当性はある。あの作品で帰結することで、まあ悪くない映画だったとは感じる。だが、エンドロールの後に全てをぶち壊している。これは堂本剛に取り憑いた神話を解体するための映画では無かったのか。それやっちゃったら、結局元に戻ってしまうではないか。なんで最後の最後に、映画の全てを否定するような真似をしているのか。

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