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小説「オツトメしましょ!」⑫

15 先客 

 発掘現場では、すでに乙畑教授や近近大の学生、役場職員やボランティアの方々が集まっており、縄張りも済んでいる状態だった。

 それ以前の「表土剥ぎ」や「遺構の発見」は既に終わっていたようで、これからは黄色い水糸で区画に分けられた、それぞれの「縄張り」を掘り下げていくことになる。そこで何かの遺物が見つかれば、報告し、記録し、それから完全に掘り出して保管するのだ。

 土の状態も見逃せない。遺構の部分は、明らかに地面の色が変わっており、踏み固められている様子が窺える。造営のために、人力でどこからか土が運ばれていたりすることもあるし、火事に遭遇していれば、土が焼けていることもある。昨日の説明で、遺跡全体の3分の1程度の広さから、土石流によって山から運ばれた土が混ざっていることが説明されていたので、その範囲を明確にするためにも、重要な確認作業の一つだ。

 乙畑教授は、渡辺准教授以下5名のために、縄張りのど真ん中、すなわち、何らかの遺物が発見される可能性が高い場所を割り当ててくれていた。渡辺准教授が恐縮し、病欠もいるので他の場所を、と提案したが、乙畑教授は笑って受け付けず、代わりに今回初めて発掘に参加する学生二人を「指導して欲しい」と言って付けてくれた。何とも行き届いたことだった。この一例だけでも、乙畑教授の人柄が見て取れる。某准教授のために、爪の垢でも持って帰ろうかと思うくらいだ。

 「そういうことだから、張り切っていきましょう! 急がず、丁寧に!」

 「はい。」

 渡辺准教授も、自然と力が入ったようだった。いよいよ、実際の発掘にかかる。バディを3つ作り、渡辺准教授は全体を統括しながら記録を取る。

 30分もしないうちに、土器の破片が出土した。竹べらとブラシで土を取り払いながら、大まかな形を見極めたら、記録を取って周囲を慎重に掘り下げる。ここで割れたのだとすれば、この近くに残りの欠片もあることになり、それらを合わせれば元の形に復元することもできるのだ。案の定、周囲から放射状に広がっていくつもの土器の破片が現れ始めた。最初に見つかったのは、どうやら鉢型土器の口縁部のようだ。

 由乃の見る限り、弥生時代中期から後期の作風と似ている気がした。もちろん、口には出さない。渡辺准教授も、掘り出された欠片を手に取り、ルーペで確かめていたが、先ほどから呼吸をしていない。興奮している様子が伝わってくる。

 乙畑教授が軍手を外し、真新しい白手袋を掛けながらこちらに近付いてきた。周囲を見回すと、皆が手を止め、こちらの様子を、固唾を飲んで見守っている。乙畑教授に気が付いた渡辺准教授が、恭しいとも思える手つきで、慎重に土器の欠片を渡した。

 「・・・うん、年代測定をしてみないと何とも言えないけど・・・弥生様式に似ている。いや、酷似していると言っていい・・・。これは・・・もしかするぞ?」

 まだ土の中で、形だけが見えている残りの欠片と、手のひらの欠片を何度も見比べながら、乙畑教授が口を開いた。

 周囲から驚きの声とともに、拍手が巻き起こった。

 「あ! いやいや、拍手はまだ早いです! 皆さん! あくまで、そのように見える、というだけで!」

 慌てて手を振って、発言の内容を誤解のないように修正する。

 「でも、確かに光明は見えました! 始まってすぐにこれなら、期待ができそうです! さあ、皆さん、続けましょう! 何か見つけたら、すぐに教えて下さい!」

 明らかに、全員の士気が上がった。光陽館大学の3人も、顔を輝かせ、顔が土に着くのではないかという程に屈みこんで、作業を続けた。

 「ね? 楽しいでしょ? フィールドワーク。もちろん、毎回こんなわけにはいかないけどね。あなたたちは、とっても運がいいわよ? こうなると、ホテルに残してきた二人がかわいそうになるわね・・・。せっかくの機会なのに、体調崩しちゃうなんて・・・。」

 3人とも、大きくはっきりとうなずいた。あの二人の振舞いに同調しなくてよくなったことが、後ろめたさを消していた。その上で、この幸先の良い出来事だ。少なくても考古学を志した人間なら、嬉しくないわけがないのだ。しかも、もしかしたら歴史を塗り替える可能性のある発見に、立ち会えたのかも知れない。発掘者の一人として、正式に記録に残る可能性すらある。

 千英の調査から、この3人のうち2人の男子学生は、ホテルで寝ている男子学生と同じ高校から入学してきており、高校時代には同じ部活で、先輩後輩の間柄であることが確認された。恐らくそうした力関係から、声が掛かったのだろう。最後の一人の女子学生は、そのうち一人と最近付き合い始めた女子学生だった。

 そうした背景から、由乃はこの3人についてはそれまでの行いを不問とした。逆に、この機会にこちらに取り込もうと考えたのだ。ここでしっかりとした関係性を構築し、奥田准教授の情報をそれとなく伝えてもらう。3人は由乃との何気ない日常会話で、知らないうちにスパイとしての役割を果たしてくれることになる。

 そこで、由乃は殊更に、「良い先輩」を演じることにした。適切なタイミングで適切な助言を与え、些細なことも大袈裟に褒める。悪い気がするわけがない。向こうから、何かにつけて助言を求めるようになってくれば、しめたものだ。

 その後も、深鉢や甕形の土器を中心に、あちこちで遺物が発見された。この遺構は、それなりの規模の集落だった可能性が出てきた。現場全体の活気が増し、役場職員は方々への連絡に忙しくなる。地元テレビ局が取材に来たし、お偉いさんが差し入れを持って視察にも来た。

 そして、夕方4時、今日の発掘作業が終わり、現場にはブルーシートが広げられた。今夜からは、警備会社が警備に就くことになったらしい。

 帰りのマイクロバスの車内は、みんなが笑顔だった。あの3人も積極的に発言するようになったし、渡辺准教授も嬉しそうだった。

 ホテルに戻り、夕食の席でも話題は尽きなかった。明日に向けての確認も行われた。ホテルに残っていた二人は、結局病院には行かず、部屋で大人しくしていたらしい。由乃はその役を、あえてあの3人に依頼した。恐らく、今日の発見の話も伝えられただろう。発掘組と残留組に、たった半日でどれだけの差がついたのか、身に染みて理解しただろう。

 7時にはそれぞれが部屋に戻った。渡辺准教授は、これから近近大に赴くらしい。由乃も誘われたが、体調不良の人間もいるので残ることにし、代わりに3人のうちから誰かを連れて行ってはどうか、と提案した。渡辺准教授はその意見に賛同し、手を挙げた男子学生1名を伴って、近近大に向かった。

 自室に戻り、千英に連絡を入れる。お互いに今日の報告をし、これからの動きについて確認をした。動くのは、全員が寝静まってからだった。このホテルは時間外の通用口があり、そこからならフロントを経由することなく人間が出入りできる。いろいろなサービスを提供する人間や、遅くまで繁華街に繰り出す人間から従業員を解放するための、「不作為のサービス」といったところだろう。

 由乃はそれまでの間、長い夜に備えて仮眠を取ることにした。渡辺准教授は10時には戻ると言っていた。

 10時少し前、部屋に誰かが訪ねてきた。出てみると、渡辺准教授だった。

 「今、帰ったわ。変わったことはなかった?」

 「はい、大丈夫です。どうでした? 近近大は?」

 「うん! 素晴らしい大学だわ! 設備が新しいのを別にしても、なんて言うか、活気に溢れている感じね。まだまだ発展するような、そんな印象を受けたわ。」

 それから、明日についての打ち合わせをして、二人は別れた。由乃は入念にストレッチを行い、これからの行動のために、体のスイッチを入れ直す。

 12時過ぎ、由乃は気配を消して、静かに廊下に出た。エレベーターで1階に降り、無人で明かりの消えているフロントを通過して、裏の通用口へと向かう。そのまま、表には回らず、搬入用の通路から敷地の外に出ると、路上にフォードが止まっていた。サイドミラー越しに、千英と目が合った。サイドのドアから車内に乗り込む。

 「ナイスタイミング、だね!」

 「ほんと? たまたまだったけど、良かったわ!」

 車が走り出す。由乃は後部荷室で着替えを始めた。ここから博物館までは、30分ほどの道のりだった。着替え終わった由乃は、助手席に身体を滑り込ませ、シートベルトを締める。

 「準備は?」

 「バッチリ。7時には全員建物を出てる。カメラの周波数も確認済み。キーを一つ叩くだけで、無効化できるよ。シャッターへの仕掛けも終わってる。」

 「さすがね! ありがと。・・・ところで、あれからどうだった?」

 ずっと聞きたかったのだが、それよりも優先度の高い会話があったので、聞けずにいたのだ。今なら、少しはその余裕がある。千英は、そんな由乃の気持ちを焦らすように、ニヤニヤするだけでなかなか話し始めない。

 「何よ、その顔! そんなに面白かったの?」

 「うん! すごかったよ! 一応、録画してあるから、後で見てみたら?」

 「えー! ダイジェストで、お願い!」

 「もう、放送禁止用語の連発だよ! どっちがうつしたか、凄まじい擦り付け合いの応酬だった! でね、そしたらあの男子学生、実は今回が初めてだったんだって! だから、絶対に自分じゃない、って言い張るの!」

 「うわー、だいぶ手慣れた感じで話してたよね?」

 「だから! いかにも遊び慣れてますって、話し方だったよね? 普通に、捨てたくて必死だったんだ! もう、おかしくておかしくて!」

 「で、で、それに対して?」

 「初めてだからって、元から持ってないとは限らない、って突っ込まれて、『え?そうなの?』みたいな感じになってた! 毎日ちゃんと洗ってんのか、って言われて、口ごもってやんの! ありゃ、毎日は洗ってないんだよ、きっと。」

 「じゃあ、形勢逆転、ってわけだ?」

 「そうそう、そこからは、もう一方的に責められてたよ。最後には泣きそうになって謝ってた。『奥田先生にだけはー』って。単位ヤバいんだって。」

 「あははー、バカだ!」

 「単位ヤバくなるほど遊んでんのに、初めてだとか、カワイソ過ぎ!」

 「まあ、あの感じじゃ無理だよねー」

 その後、男子学生はドラッグストアで大量にかゆみ止めと冷却スプレーを購入した、と言う。おそらく、それで気が狂うほどの痒みではなくなっているだろう。とは言え、まだしばらくはモジモジすることになる。汗でも掻いたら、それは耐え難いほどになるはずだ。

 これで、奥田准教授がどう出てくるか、だが、もはやできることは多くはないだろう。既に今日の発見の報告は、光陽館大学へも入っているはずだ。その報を耳にした時の奥田准教授の顔も、見てみたい気がする。

 千英が物まねを交えながらその場面を繰り返し、由乃は腹を抱えて笑った。現場までの時間は、あっという間に過ぎ去っていった。

 外周を一回りしながら、サーモスキャンを行う。今回の博物館は敷地が広く、全体をカバーするわけにいかなかった。だが、駐車場にも付近にも、駐車中の車もなく、状況から判断しても、中に人がいる可能性は皆無だった。

 千英は、フォードを通用口から少し離れた位置に止めた。この駐車位置も入念に検討してあり、侵入口まで最短距離でたどり着くことができ、なおかつカメラに捉えられる可能性が最も低い。ジャミングでカメラは無効化できるが、一度に全部を無効化すると、余計な警戒を招く可能性がある。緊急時でない限り、ジャミングは最低限、可能なら、死角だけを使って全てを終えられるのがもっとも望ましい。

 今回はいつもの荷物に加えて、エアージャッキを膨らませるための、CO2ガスボンベを持っていく。これで瞬間的にジャッキを膨らませ、シャッターに数十センチの隙間を作る。

 「準備OK?」

 「OK!」

 交代でお互いの装備を確認し、最後に暗視ゴーグルを装着した。二人は静かにフェンスに近付くと、一飛びにそれを乗り越え、敷地内を音もなく走ってシャッターへと向かった。

 千英がセットし終えていたエアージャッキの本体は、ぱっと見はどこにでもあるポリ袋のように見える。厚さは数ミリしかないが、普通車なら楽々持ち上げることができる、聖から送られた特製の品物だった。

 ボンベを繋ぎ、バルブを開くと、ほんの数秒で本体がまん丸に膨らみ、重いシャッターの一部を持ち上げた。その隙間から、まずは由乃が身を入れる。すぐ後に千英が続いた。

コンクリートの床を進み、トラックバースの段差を越えて、上部に非常口の表示のある鉄扉の前に着く。シリンダー式の鍵が掛かっており、マグネット式の防犯装置が付いていた。由乃がピックガンでシリンダー錠に取り掛かっている間に、千英が薄いマグネットを取り出して、センサー部に滑り込ませる。

 カチリ

 と言う音が響き、由乃がうなずいた。ゆっくりと扉を開く。警報は鳴らなかった。千英の取り付けたマグネットがセンサーを誤魔化し、『扉はまだ閉まったまま』と思い込ませることに成功している。

 扉を潜ると、右と正面に続く廊下に出る。扉は、「ロ」字型の廊下の接合部に位置している。右側の壁の裏側が目的の収蔵庫なのだが、こちら側に入り口はない。回り込んで向こうに行かなければならなかった。

 由乃は真っ直ぐに伸びる廊下を、壁沿いに進んだ。突き当りのT字路にぶつかる。右に曲がれば収蔵庫の入り口、左に曲がれば展示室へと繋がる。迷わず右に曲がり、「収蔵庫3」と書かれた扉の前に屈んだ。この扉も施錠されている。先ほどと同じ手順で扉を開けて、中に入る。天井まで届く、着物箪笥のような薄い抽斗が並ぶ棚が続いている。表示を見ながら、目的の番号を見つけ出し、抽斗を開いた。

 目的の品物が、そこになかった。置いてあったであろう部分の詰め綿が凹んでいるのみだ。由乃は千英を振り返る。千英も、何が起こったかわからないように首を振る。その下の抽斗を開けると、そこには2冊の古文書が、木箱のまま置いてあった。念のため、もう一段、抽斗を開ける。そこも同じく、木箱が置かれていた。

 棚を変えて調べたが、やはり他には異常がない。つまり、目的の品だけが無くなっているということだ。

 『何かがおかしい。』

 そう感じた由乃は、ハンドサインで緊急撤退の合図を送った。千英がうなずいて、即座に行動を開始した。最後に由乃は棚を確認し、元通りになっていることを確かめた。千英は扉について、由乃が出たらすぐに鍵を掛けられる体制を取っていた。由乃は扉を閉めると同時に、センサーに取り付けたマグネットを外す。千英が再び鍵を掛け、立ち上がり掛けたその時、向かい側の収蔵庫の扉から、人影が現れた。

 一瞬、何が起こったのかわからず、それぞれが扉の前で固まった。相手は一人。かなり背の高い男だったが、暗視ゴーグルでは人相を確かめることはできなかった。サングラスにマスクを付け、パーカーのフードを目深に被っていたので、裸眼でもはっきりとは確認できなかっただろう。手に、薄い木箱を何個か持っていた。

 男は、やにわに踵を返して走り出した。突き当りの廊下を右に曲がる。千英が無言で追い始め、由乃も後に続いた。このまま行くと、収蔵庫を回り込むようにして、二人が侵入した鉄扉の前に出ることになる。二手に分かれれば、その鉄扉の前で挟み込むことができたが、相手はこちらより明らかに筋力で勝る。千英を一人にはできない。

 千英から少し遅れて右に曲がる。千英は10m程、相手はさらに5m先を進んでおり、小脇に荷物を抱えているにも関わらず、その速度はかなり速い。すぐにまた、右への曲がり角にぶつかり、男は左の壁を蹴りつけるようにして向きを変え、凄まじい速度で曲がっていった。

 由乃がその角を回った時には、男は鉄扉を開き、トラックヤードに出るところだった。扉が閉まる前にたどり着いて、トラックヤードに飛び出ると、男は既にシャッターにたどり着いていて、右手一本で軽々とシャッターを持ち上げた。シャッターのレールを抑えている金具が、ものすごい勢いで外れ飛び、アルミとスチールでできたシャッター本体が大きく歪んだ。

 そこで、千英が急停止し、驚いた様子で由乃を振り向いた。由乃が大きく首を振る。追跡はここまでだ。由乃は急いで鉄扉に取り付き、鍵を掛け直してマグネットを外した。千英は警戒しながらシャッターに近付き、エアージャッキを取り込む。二人は急いで車に戻ると、無言のまま速やかに現場を離れた。

 「アイツ、何者!? あのシャッター、軽く300kgはあるよ? 片手で、なんて、信じられないよ!」

 「私も驚いた。しかも、アイツが掴んだシャッターの部分、まるでアルミホイルみたいにくちゃくちゃになってた・・・。火事場のバカ力じゃ、説明がつかないわ・・・。」

 「そうだ! ナビ点けてみて。発信機、投げつけたんだ。」

 「ほんとに!? ナイス、千英!」 

 ナビを起動し、発信機追跡の画面を呼び出した。すぐに反応があり、現在の車の位置から800mほど離れた道路上を、時速40kmほどで移動していることが分かった。

 「やった! うまくいってるみたい!」

 「すごい! よくあの状況で、そこに気が着いたわね! 私は発信機のことすら忘れてたのに!」

 「いや、実は、たまたま今日の日中、メンテナンスしたところだっただけ。それがなかったら私も忘れてたと思うよ。」

 二人はハイタッチを交わし、距離を置いて跡をつけ始めた。まずは、どこに行くかを確認する。今の状態で直接やり合うわけにはいかない。

 「バッテリーはどれくらい持つの?」

 「今日換えたばかりだから、10日は持つはず。」

 「それだけあれば、十分ね・・・。それにしても・・・。」

 由乃は考え込んだ。だが、考えれば考える程、謎が深まる。まずは、相手の身体能力だ。明らかに常人離れしている。二人が習得している『絶息』を使えば、シャッターを持ち上げることは可能かも知れない。だが、あの表面の歪み具合。どれほどの握力が必要になるのか、それすら見当がつかない。それに、どうしてあの考古物を狙ったのだろう? 自分たち以外に、あれに興味を持つ人間がいるとは、考えにくかった。20年も「漬物」になっていた品物だ。当時を知る人間ですら、忘れていて不思議はない。

 背丈からして、どこかの外国人の仕業だろうか?

 由乃は、スマホを取り出して、どこかに通話を始めた。3コールで相手が出る。無機質な女性の声だった。

 「はい。」

 「笹鳴です。コード、LVN4401000A、『ココアシガレット277』。・・・照会を一件、外国人、一人、男性、身長180から190、NRM1015、特異行動。同条件で、日本人でもお願い。」

 「かしこまりました。少々お待ちを・・・。該当なし、です。」

 「ありがとう。」

 通話を切ったスマホを口に当て、由乃はさらに考え込んだ。通話の相手は、『組合』の照会センターだった。名前と割り振られたコード、本日の合言葉を告げた上で、今日、奈良県の1015博物館(もちろん正式の名前ではなく、符丁である)で、該当する人物が盗みに入る予定があったかどうかを確認したのである。予想はしていたが、回答は否定だった。つまり、少なくても組合に届けてのお盗めではない、ということだ。

 謎は、ますます深まった。あの考古物に、具体的な金銭的価値は無いに等しい。逆を言えば、欲しい人間ならいくらでも積むだろうが、何が何だか分からない物に大金をつぎ込む人間がいるとは思えない。理由は、他にあるはずだ。

 「工場地帯に入るみたいだけど、どうする? こっから先は、この時間ほとんど動きはないよ?」

 「見つかる可能性は避けたいから、近くで様子を見ましょう。」

 「わかった。」

 追跡している対象から、300m程離れている路上で車を止めた。ナビに映る地図の縮尺を調整する。相手が入っていったのは、倉庫や様々な加工工場のある地区だった。対象の移動速度が徐々に遅くなり、ほとんど歩く速度まで下がって、やがて止まった。地図を拡大して確認すると、どうやら金属加工の工場らしかったが、調べてみると、その工場は数年前に倒産しており、今は建物だけが残され、中身は空のようだった。

 「潜伏先としては、うってつけよね?」

 「うん。夜の間は、ほとんど無人地帯だからね・・・。」

 そのまましばらく様子を見ていたが、地図上の赤い点は動く様子がない。時計は3時を少し回っていた。

 それから30分が経過したが、建物内で動き回っている様子はあったが、外に出るような動きはなかった。もう少しすれば、早朝出勤の人間がここに現れ始める。それから動くことは、まずないだろう。

 二人は、相手の拠点をここと見定め、今日のところは一旦引き下がることにした。帰りの車内で、思いつく限りの可能性を挙げていったが、それらしい答えにたどり着くことはなかった。二人で活動し始めてから、初めてのつまずきだった。

 先を越されたばかりか、自分たちではないとは言え、建物に大きな被害が出た。明日にはニュースになることだろう。当然、無くなった物にも気が付くはずだ。証拠は何も残していないはずだが、それでも不安は残る。

 相手の素性も目的も分かないまま、と言うのも気に食わない。今回の獲物については誰にも話していない。ただの偶然なのだろうか? それとも・・・。

 ベッドの上でまんじりともしないまま、長い夜が明けた。


「オツトメしましょ!」⑫
了。


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