小説「オツトメしましょ!」①
おつとめとは・・・
物の本によれば、『一般に、「勤め」の丁寧な表現である。』とされている。
だが、この四文字には、表裏善悪、いろいろな「用法」があるのである。
例えば、仏教用語ではいわゆる朝夕の勤行を「おつとめ」と表現する。だが一方で、禁固や懲役の期間のことも「おつとめ」と言う。
また、特別に安い商品を「おつとめ品」として陳列するし、長年連れ添った夫婦間において義務的に行う性行為を「おつとめ」と言い、江戸時代には遊女の揚げ代を「おつとめ」と表現した。
そしてもう一つ。盗賊が仲間内で盗みに入ることを
「お盗め」
と言うのである・・・。
「オツトメしましょ!」
1 湯浅由乃(ゆあさ よしの)
光陽館大学の3年生になって、2か月が過ぎた。周囲は就職活動に向けて本格的に動き始める時期で、講義の合間や昼時の食堂などでは、もっぱらインターン先の話や、具体的にどう動いたらより有利なのか、が話題になっているのが聞こえてくる。
これといって交友活動をしていない由乃の元にも、時折貪欲な学生が情報を求めて声を掛けてくるが、大学院への進学を希望している、と伝えると、皆拍子抜けしたように去って行くのが通例となっていた。
由乃は、目立たない程度の茶色のロングヘアをきちんと結び、いかにも物堅そうなメガネを着用し、服装もブラウスやセーターに、ロングスカートやパンツを合わせる、と言うような、できるだけ地味に見える外見に徹していた。
周囲には何をしに大学に来ているのかわからないような、派手な服装で残された青春時代を謳歌しようとする男女が溢れていたが、由乃はそういった連中とは距離を置き、講義の空き時間などは図書館や自分の車で読書をして過ごしていた。
光陽館大学は、いわゆる「名の知れた」大学ではない。ぶっちゃけて言えば、由乃の成績なら、もっと上の国立大学でも充分に通用するはずだった。由乃がこの大学を選んだ理由は、
充実した歴史学、考古学の資産があるからだった。由乃の興味が尽きない、日本の創成期の講師陣が充実している。特に、人文学の准教授である、渡辺八重の論文に感銘を受け、縄文から弥生時代について学ぶなら、この大学以上の大学はない、と見極めをつけたのだった。
入学してから、その見極めが間違っていなかったことがわかり、由乃は勉学に夢中になった。1、2年で履修する教養課程をほぼ1年で終わらせ、2年次は半分以上を専門課程で大好きな歴史に触れて過ごしてきた。当然、そのような目立つ行動を取る学生は由乃の他にはおらず、講師陣の間でも「やる気のある人間」として映るはずだった。
だが、同じことをしてのけた人間が、もう一人いたのだ。上椙千英。名前を見た瞬間にピンと来るものがあり、由乃はすぐに調査を開始した。
最初に名前と姿が一致したときは、自分の掴んだ情報が間違っているのではないか、と何度も首を捻った。それほど、上椙の学業態度と、その見た目にギャップがあった。
身長は160cmもないだろう。厚底のスニーカーを履いているので、正確なところは分からないが、それでも小柄で、華奢な印象だった。ショートボブの黒髪に、緑のメッシュが入っていて、その黒髪も、光の当たり具合では全体が緑色に見える時がある。髪型と相まって、後ろから見ると小学生のように見えるときすらあるのだが、正面に回ると、その姿は一変する。
まず目を惹くのが、耳に着けられた大量のピアスだ。鼻と唇にも着いている。化粧もドギツイ。顔は真っ白にしてあるのに、目の周囲だけが真っ黒で、青白く見えるカラーコンタクトを着けていた。へそが見える丈のロックバンドのTシャツに、ダメージの入ったジーンズのショートパンツは、至る所にスタッツが打たれている。
誰が見ても、これが由乃と同じ過程を歩んだ「やる気のある人間」とは思えないだろう。むしろ、「攻撃的な変人」と思われるのが関の山だ。それは明らかに、外界との接触を拒絶している姿勢に見えた。
由乃の好奇心が、ムクムクと膨らんで来た。大学の講師以外で、初めて自分から意思疎通を図りたいと思った人間が上椙だった。だが、ここで焦ってはことを仕損じる。まずはじっくりと、相手を観察しなければ。メガネの奥で、由乃の目に力が入った。もちろん、それは誰にもわからなかっただろうが。
上椙は、大学の近くのマンションに一人で住んでいるようだった。ランクからしても、経済的に裕福な家庭に育ったのだろうと言うのがわかる。あの見た目では、ろくにアルバイトもできないだろうから、生活費は全て仕送りに頼っていると見て、間違いない。もちろん、由乃の睨んでいる通りなら、家庭環境は勉学にうってつけと言えるだろう。
大学には徒歩で通っているが、休日にはバイクで出掛ける姿を見かけることができた。普段の姿からして、ネイキッドのネオクラシックにでも乗っているのかと思ったが、実際に乗っていたのはⅮトラッカーのカスタムバイクだった。向かった先は漫画喫茶で、働いているのではなくて客として利用しているようだった。
それ以外には、買い物にもろくに出掛けず、たまにコンビニに寄ったかと思えば、買うのはタバコのカートンと車かバイクの雑誌で、食べ物や飲み物を買う気配がない。大学でも食堂は利用せず、空き時間は延々と喫煙所で過ごす。とにかく、何かを飲んだり食べたりするのを見かけたことがない。人と話さないのも徹底していて、ごくたまに誰かが話し掛けてもイヤホンから漏れてくる音楽の音量が大きくなるだけで、完全に無視を決め込んでいた。
知れば知るほど、興味が湧く。由乃にしては珍しく、講義よりも上椙の動向の方が気になり、講義を休んでまで、上椙が受けている、自分が受けなくていい講義に潜り込んだりもしたほどだ。
10日ほど、そうして観察を続けた由乃だったが、とうとう声を掛けようと決めた。と言うより、もはや声を掛けなければ抑えが効かないほどに、興味が湧いていた、というのが正確なところだ。とにかく、ファーストコンタクトが大切だ。尋常の手段では、他の人間のように軽くあしらわれて終わりだろう。そうならないための作戦を考え出さなければ。
由乃の口元が歪んだ。まるでそれは、悪魔の微笑みだった。
2 上椙千英(うえすぎ ちえ)
最近、どうも妙な気配がチラチラしている。構内でも構外でも、じっと自分を見つめる視線が感じられる。もちろん、気付かないフリをしているが、誰かにつけられているような感覚が、どこにでも付きまとう。不思議なことに、いつも感じるような非難や性的好奇心からくる視線ではない。ただじっと、こちらを観察している。自分がまるで肉食獣に狙いを定められた草食獣になったような心地がする。
ある時、その視線の主を突き止めた。前髪で隠すようにしながら、ガラス越しにその姿を見ることができた。意外なことに、それは地味で目立たない、優等生タイプの女子学生だった。その日、部屋に戻るとすぐに大学のサーバーに侵入して、女子学生の身元を割り出した。
湯浅由乃。自分と同じ、3回生で、専攻も同じだった。
「へー、172あるんだ、デッカイな。お・・・おぉ! ナイスバディ・・・。」
千英は、もはや当たり前になっている独り言をつぶやきながら、情報をスクロールしていく。歴史学と人文学、日本史でA+を取っている。他も軒並み好成績だった。
さらに調べてみて、湯浅が自分と同じように、ほぼ1年で教養課程を終えていることに気が付いた。
「・・・なるほど・・・これ、か・・・。」
自分がつけられている理由が分かったような気がした。一見して頭のおかしい格好の人間が、自分と同じ過程で学業を修めているのに疑問を抱いたに違いない。「そういう目」で見られるのは慣れていた。大方、どこかの教授が千英のことを漏らしたのだろう。そうと分かれば、殊更に警戒する必要もない。
千英は画面を閉じて、別な画面を拡大した。真っ黒な画面に、緑色の文字や記号がびっしりと書き込まれた、何かのプログラムのようだった。そのまま千英は、プログラムをスクロールし、時折文字や記号の修正を入れた。その頻度は決して多くはなかったが、ブロックごと前後を入れ替えたり、数列を全く違う物に入れ替えたり、大規模な改変もあった。
「相変わらず、頭が固いなぁ。時には柔軟な思考を持たないとね・・・。」
千英がいじっていたプログラムは、父の研究所で開発された、X線CTスキャン装置の新しいドライバーだった。主に鉱物の解析に使われているこの装置を、非破壊で古文書の文字を読み取る、という用途に転用できないか、研究中のものだった。
千英はプログラムを頭から見直し、1時間ほどしてその出来栄えに満足すると、画面を閉じ、ベッドに横になる。これだけ頭を使えば、今日は頭の回転の音を聞かなくても眠れるはずだった。
案の定、軽い眩暈に襲われながら我慢して目を閉じていると、千英はすぐに眠りに落ちた。
「オツトメしましょ!」①
了。
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