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小説「オツトメしましょ!」⑩

12 母心

 月曜日の早朝、千英が一人で奈良に向けて出発していった。これからおよそ8時間かけて、奈良に向かうことになる。

 ジャニスを抱きながら見送りに出た由乃は、自分でこの計画を立て、弱気になりかけた千英を励まして実行に移した経緯があるにも関わらず、とても寂しい気持ちになっていた。

 「こまめに休むのよ? 無理はしないでね?」

 「うん、わかってる。」

 「早着より、必着だよ? 慌てなくて大丈夫だから。」

 「うん。」

 「車体が大きいから、横風に気を付けてね。ハンドル、取られるから。」

 「わかった。」

 「それから・・・」

 「もう! 大丈夫だって! 何かあったらすぐ連絡するし!」

 「そ、そうだけど・・・」

 「じゃあ、行くからね!」

 「う・・・うん・・・。」

 そう言うと、千英が運転席によじ登るようにして車に乗り込んだ。小柄な千英が、超大型のアメリカンバンに乗り込むと、まるで子供が運転席にいるようにも見える。シートベルトをして、サングラスを掛けると、ウインドゥが下がった。

 「じゃ、向こうで! 行ってきます!」

 「いってらっしゃい!」

 千英がちゃっ、と左手を挙げて、車が動き始める。由乃は着いていこうと手の中で暴れるジャニスを抑えながら、手を振って見送った。

 出発して5分も経たないのに、もう心配になって、スマホの位置情報を確認する。千英の位置情報が由乃のそれから、どんどん遠ざかっている。今のところ、順調のようだった。

 『まだ5分でこれか・・・私の方がよっぽど重症だったんだわ・・・。』

 由乃にベッタリで、何かと由乃に頼りがちな、千英の成長を促そうと計画したことだったが、その実それはまったく逆だということが、よく分かった。なったことはないが、子を持つ母親は、恐らくこういう不安と心細さに、毎日曝されているのだろう、とぼんやり思った。

 由乃は気を取り直し、自分の準備に取り掛かる。荷造りは終わっていたが、ジャニスにご飯を出して、実家に預ける準備を始めたところで、これから1週間、ジャニスにも会えない、と気が付いて、ハッとした。

 「あーん、ジャニスぅー・・・あなたともしばらく会えないんだったー。」

 千英の心配が落ち着いたと思ったら、今度はこれだ。千英にもジャニスにも、依存が過ぎるのではないか、と自分を見つめ直す、いい機会になった。

 時間の許す限り、ジャニスと戯れ、その匂いを存分に楽しんだ。千英は首輪付近の匂いが大好きだが、由乃は胸からお腹に掛けての匂いが大好きだった。ジャニスをゴロンと転がして、顔をくっつけて匂いを吸い込む。ジャニスが顔を上げ、由乃の髪の毛をベロベロ舐め始めた。なんとかして顔を、できれば口付近を舐めたくて、鼻先で頭を押してよこす。その力も、日増しに強くなっているような気がする。

 「こうやって押さえつけられるのも、あとわずかかもねー。」

 起き上がった由乃が、ジャニスの頭を両手で挟み込み、顔の皮を左右に伸ばして引き上げた。こうすると、まるで笑っているように見えるのだ。ドイツシェパードであるジャニスは、女の子ではあるが、将来的には30kg近くまで成長するはずだ。1歳にも満たないのに、体重は8kg近くある。物の本によれば、あと半年も経たないうちに、さらに倍になる。そうなったら、さっきのように抱き上げるのも一苦労、ということになるだろう。そう考えると、会えない7日と言うのは、非常に貴重にも思える。

 何とか、再度気を取り直して、ジャニスにご飯を与え、その間に自分の身支度を整える。ジャニスに舐められた髪の毛が、結構な感じで濡れていた。

 あれから集めていた情報を千英と検討し、今回はとある博物館に眠る古文書に、狙いを定めた。横書きのサンスクリット語で書かれた文献が存在すると言う。サンスクリット語は、いわゆる『梵字』であるが、これまで日本には、中国を経由して渡って来たと言うのが定説になっている。元々横書きのサンスクリット語が、中国で縦書きに直され、それが平安時代に仏教とともに日本に伝来したとされているのだ。

 もしも、横書きのサンスクリット語が発見されて、その時代測定が平安よりも前の物、とされれば、仏教伝来以前に、つまり中国を経由せずに日本に渡って来た可能性も否定はできない。

 もちろん、「どこから、いつ見つかった物か」が分からなければ断定はできないが、現在の学説を覆す、一大発見となるかも知れないのだ。にも関わらず、研究は一切行われていない。収蔵庫に収められて、20年の月日が過ぎ去ったと言うのに。

 理由はいろいろとあったが、一番問題になっているのは、考古学という学問の、「大きな変化を嫌う」という性質にある。「積み重ね」こそが正義であり、それまでの通説を大きく覆すような発見には、極めて慎重な姿勢を取るのだ。

 もちろん、大々的に発表した後で、それが「間違いでした」となってしまえば、その人間の学者生命が絶たれかねいので、ある程度慎重になるのはわかる。

 だが、そもそも、一度の間違いで、それまでの功績を全否定されるような風潮が、正しいと言えるのか、どうか。それがために、考古学という学問の進歩が、どれほど遅れを取ったのかを考えれば、それは間違いであった、と、言えなくはないか。

 既成概念に囚われ、既得権益にすがる、渡辺准教授を軽んじるような「学会の重鎮」こそが、最大の弊害なのではないだろうか。由乃は常々そう考え、そういった事実から考古物を救う活動を続けてきたのだ。

 今のところ大々的な発表はされていないが、少なくても組合を通じて手渡された先で、研究はされている、という事実を、由乃は掴んでいる。それが、自分の「罪」の部分に対する、最低限の礼儀だと思っていて、万が一、譲渡先でも同じことが繰り返されれば、由乃は最優先でそれらを「救出」するだろう。たとえ、それがどんなに困難でも、確実に実行する気でいた。それに命を懸ける覚悟さえ、持っていた。

 由乃はそれほどに歴史を愛し、考古物を愛していたのである。

 千英が、それらのデータを洗い直し、最新の情報に更新していた。由乃が調べた3年前のデータから、大きく変わったところはない。新しい建物が立てられ、敷地の見取り図が若干変更になったくらいのものだった。

 すでに、「警備の穴」も見つけてあった。搬入口のシャッターの鍵が、壊れたままになっていた。博物館の支払い目録の中に、それを修理した痕跡は見つかっていない。つまり、今も鍵は壊れたままの可能性が、非常に高い。シャッター自体がかなりの重さで、内側からモーターで巻き上げるしか開く方法がない、と軽く見ている可能性があった。

 由乃はそのシャッターを外側から開くため、フォードにエアジャッキを積んでいた。風船が膨らむ要領でシャッターを押し上げ、人ひとりが入るスペースを確保すれば事足りる。用事が済んだらジャッキを外せば、痕跡はどこにも残らない。

 食事が終わって、伏せの姿勢で寛いでいたジャニスの耳がピンと立ち、ついで立ち上がって玄関に向き直り、低く短い唸り声を上げた。と、同時に、敷地への侵入を知らせるチャイムが鳴る。ジャニスは最高クラスのセンサーよりも、探知範囲が広い。由乃はジャニスを褒め、強めに首を擦った。

 敷地に入って来たのは、由乃の母、綾子の車だった。今日は駅までの送迎と、ジャニスのお迎えを頼んであった。これから一週間、ジャニスは由乃の実家に預かってもらうことになっていた。

 ハーネスにリードを取り付け、トランクを牽いて玄関から外に出る。ちょうど綾子が運転席から降りたところだった。ジャニスが喜んで後ろ足で立ち上がった。

 「おはよう! あらー、ジャニス! いい子ねー!」

 綾子もジャニスも、お互いが大好きだった。特にジャニスのお気に入り具合は大変なもので、今もすぐに腹を上にして寝転がり、服従の姿勢を示している。その腹を、綾子が乱暴とも思える手つきで撫で擦った。

 「おはよ。ごめんね、朝から。」

 「いいのよ、全然。千英ちゃんは、もう出たの?」

 「うん。もう御殿場の近くまで行ったみたいよ。」

 「そう、お天気で、良かったわね。」

 言いながら、レンジローバーの後席ドアを開く。ジャニスが勢いよく乗り込み、シートの匂いを確かめている。由乃は足元にトランクを乗せるとドアを閉め、助手席に乗り込んだ。

 「オシッコしないでよ!」

 運転席に乗り込んだ綾子が、前科のあるジャニスを振り向いてそう言った。

 「鍵は掛けた? 火の元は大丈夫?」

 「うん、大丈夫。」

 「そう? じゃ、出発するわよ。」

 「うん。」

 レンジローバーが滑るように走り出す。綾子はこの旧型の、深緑色のレンジローバーが大好きで、先日、新車が変えるほどの費用を投じてフルレストアを行ったばかりだった。周囲は新車に乗り換えることを強く勧めたが、綾子は全く聞き入れなかった。生まれ変わったレンジローバーは、以前のようなエンジンからのガタツキ音もなくなり、左のスピーカーからも音が出るようになっていた。

 「どこの大学と合同なの? 発掘?」

 「あんまり馴染みのない名前だった・・・近江近代大学? そんなような名前。千英と二人で、キンキンだね、って笑った。ビールじゃないんだから! ねぇ?」

 「また、バカなことばっかり。あっちは人間が違うから、気を付けるのよ?」

 「いつの時代の話よ! 同じ日本語を話す日本人でしょ。」

 「違うわよ! カンサイベンを話す、外国人のようなものよ?」

 「またぁ。今時そんなこといったら、あっという間に炎上案件よ?」

 他愛もない話で笑い合った。綾子はほとんど関東から出たことのない人間で、行先が関西だろうが東北だろうが、必ずこういった話をしてくる。高校の修学旅行で沖縄に行くと決まった時は、本気でパスポートを申請しようとしていたくらいだった。

 20分ほどで駅に着くと、由乃はジャニスに留守を言い聞かせ、実家でいい子にしてるように、と伝えた。わかったかどうかは知らないが、とにかく得意そうな顔をしたから、たぶん大丈夫だろう。

 「持ち合わせ、間に合うの? 旅費は建て替えなんでしょ?」

 「大丈夫。カードもあるし、スマホもあるし。」

 「水道水は飲まないでよ? ちゃんと、水、買うのよ?」

 「はいはい。わかりました。」

 「気候も人も違うんだから、ほんとに気を付けてよ? あ、千英ちゃんにも伝えてね。」

 「もう、わかったって。私たち、いくつだと思ってんの? 」

 「いくつも何も、関係ないわ! 皺くちゃのばあさんになったって、あなたたちは私の子供なんですからね!」

 「はいはい。わかりました!」

 「はい、は、一回でよろしい! じゃあね! 気を付けて!」

 もちろん口には出さないが、薄々ながらも、今回の旅行が発掘調査の手伝いだけ、とは思っていないのだろう。完全に堅気の綾子は、そう言った類の話には一切口を挟まない。それでも、心配なのは間違いないのだ。話もできないのは、さぞもどかしいだろうと思う。だからこそ、他のことで、執拗に注意喚起を行うのだ。

 親、とは「木の上に立って見る」と書く。木の上から子供を見守る、という意味なんだろうが、なかなか樹上に留まっているのは難しい。どうしても、木から降りて手や口を出したくなるのが、親と言うものであり、人情だろう。

 由乃は、この短時間の間に、親と子、両方の立場になってみて、つくづくと思った。正確には千英は子供ではないが、愛しい存在なことに変わりはない。特に、母親と言うのは、その傾向が強いように思う。これが、母性と言うやつか。

 車を降りた由乃は、トランクを牽き、待ち合わせ場所へと向かう。集合時間までは、まだ30分近くあった。時間に遅れることが何より嫌な由乃は、いつもこれくらいの時間の余裕を持つことが多かった。

 待ち合わせ場所に向かいながら、遠目に渡辺准教授が中学生くらいの女の子と言い合いをしているのが見えた。祖母らしい女性が、女の子の肩を擦って、慰めているようにも見える。女の子は、泣いているようだった。

 『娘さんかしら? あんなに大きいお子さんがいたんだ・・・。』

 私的なことはあまり見られたくないだろうと思った由乃は、向きを変えて、プレハブのコーヒースタンドへと向かった。とても小さな店だったが、流行のシアトル系よりさらに濃いエスプレッソを提供していて、電車で通学していた時はよく利用していた。いかにも仲の良さそうな初老の夫婦が切り盛りしている。

 コーヒーを受け取って、チラッと後ろを振り向くと、女の子は車の後部座席に乗り込んでいて、ムスッとしながら俯いていた。渡辺准教授が、開いてない窓に必死に何かを話し掛けていたようだったが、ついに窓が開かれることはなく、車は路肩を離れて走り去って行った。その様子を、手を振りながらいつまでも見送っている。

 見なかったことにして、お店のサインボードに目を移した。そういえば、ここはクロックムッシュも美味しかったことを思い出した。確か、息子さん夫婦がパン屋さんをしているというようなことを聞いた気がする。時間もあるし、注文しようかと顔を上げた時、声を掛けられた。

 「ごめんなさい、気を遣わせちゃったみたいね。」

 振り向くと、寂しそうな笑顔を浮かべた渡辺准教授が立っていた。

 「あ、いえ・・・早く着いてしまって・・・。」

 「ふふ、優しいのね・・・。あ、ここ、クロックムッシュも美味しいのよ? 」

 「そうなんですか?」

 「そうそう。ご馳走するわ。・・・ご馳走って程じゃないけど。」

 そう言うと、由乃が話し掛ける暇もなく、渡辺准教授がコーヒーとクロックムッシュを二つ、注文した。

 「まだ少し時間あるから、座りましょ?」

 促されるまま、中央にパラソルの立ったテーブルと、プラスチックのガーデンチェアが置かれた座席に着いた。バスケットに、それぞれナプキンに包まれたクロックムッシュから湯気が立ち上っていた。

 「この香りで思い出しました。確かに、ここの美味しいですよね。」

 「そうなの。クロワッサン自体が美味しいのよね。バターの味がして。」

 渡辺准教授がクロックムッシュを取り上げ、口に運んだ。由乃も手に取る。

 「・・・さっきの・・・うちの娘なんだけど・・・珍しくグズっちゃって。」

 「あー、今回、長いですもんね・・・。」

 「いくつくらいに見えた?」

 「え・・・中学生くらいかな、と。」

 「やっぱり。でも、まだ小学生なの。5年生。」

 「あ、そうなんですか? じゃあ、まだ寂しいですよね。」

 「うん・・・。申し訳ないとは思うんだけど・・・。」

 渡辺准教授の顔が曇った。研究者としては、逃せないチャンスであるのは間違いない。ただ一方で、母としては、断腸の思いだろう。

 「毎日、電話してあげてください。それと、褒めてあげて、忘れてないよ、って伝えれば、いずれわかってくれると思います。」

 差し出がましいとも思ったが、言わずにはいられなかった。渡辺准教授が、驚いた顔をする。

 「あ、すみません・・・。私、余計なことを・・・。」

 「ううん!ありがとう! そうよね、いずれ、わかってくれるわよね?」

 「はい。それは、大丈夫だと思います。」

 「そうよね・・・そうするわ!」

 良かった。曇っていた表情が明るくなった。クロックムッシュを食べる速度も上がったようだ。

 食べながら、今回の発掘調査の話を少しすると、集合時間の5分前になった。

 「そろそろ、行こうか? まだ他の子たちは来てないみたいだけど・・・。」

 集合場所は、駅前ロータリーに設置されている花時計のところと、通知が来ていた。今回のメンバーだけでLINEのグループを作ってあり、そこにもきちんと、写真付きで場所が示してあった。

 集合時間になったが、誰も現れない。

 「・・・おかしいわね・・・場所がわからない訳じゃ、ないわよね?」

 「ええ、そう思います。もう少し待ってみて、LINEしてみましょう。」 

 それから5分が経ったが、誰も来ず、LINEに連絡も入らなかった。さすがにおかしいと思った渡辺准教授が、連絡を入れるが、誰ともつながらず、メッセージに既読もつかなかった。

 「あれ・・・どうしよう・・・電車の時間もあるのに・・・。」

 二人で顔を見合わせ、周囲を見回してみたが、それらしい人間は見当たらなかった。

 さらにそこから5分が経った頃、向かいのコーヒーチェーンから、大きな笑い声と共に学生と思しき一団が出てきた。見覚えのある顔が見えた。

 「あ、いた!」

 渡辺准教授が、安堵の表情を浮かべて、大きく手を打ち振り合図を送った。向こうもそれに気付いた様子だったが、急ぐ素振りすら見せない。由乃は、ふつふつと怒りが湧き上がって来た。むしろ「沸いてきた」と表現するべきかも知れない。

 「私、ガツンと言ってやりますね。」

 小声で渡辺准教授に伝えると、渡辺准教授が首を大きく振った。

 「ダメダメ。今は、まだ我慢よ。今、彼らにはまだ逃げ場がある。ここは、下手に出ましょう。向こうに着いたら、私が話すわ。帰りのキップを持ってるのは、こっちなんだから。」

 「なるほど・・・。わかりました。」

 さすがだと思った。まだ30代の前半と聞くが、長年の教授や学会とのやり取りで、老獪さが鍛えられたのだろう。伝説のインタビューをした頃の荒々しさも、まだ健在だと知って、由乃はなんだか嬉しくなってきた。

 「あなたたち、遅いわよー! 遊びじゃないんですからね!」

 笑顔で、できるだけ柔らかく話をしているようだが、その目は決して笑っていない。この5人が、果たしてそれに気付いたか、どうか。返答を聞いていても、それは感じられない。悪びれた様子すら見せない。見た目通り、中身もまだまだ子供のようだった。

 『これは、先が思いやられるわね・・・。』

 そう思いながらも、由乃は込み上げてくる笑いが抑えられなかった。「こいつらを、どう変えるか」を考えるだけで、ゾクゾクするほどの喜びを覚えた。

13 車内

 千英は、フォードを駆って、快調に進んでいた。6.8リッターエンジンは、驚くべき余裕を持って、3tを超える車体をグイグイと引っ張った。だが、それはガソリンも同じことで、燃料計もどんどんとEに近付いて行く。

 元々燃料計を見る、という感覚のあまりない千英にとっては、まさに驚きで、130ℓもガソリンが入っていれば、半分くらいで奈良まで行けるような感覚でいたのだが、静岡を超えた辺りで一度満タンにしたにも関わらず、愛知を抜けて三重に入る頃には、もう一度給油をしなければならない状態になっていた。

 車内に、本日3回目の「PUMP IT!」のギターのイントロが流れ始めた。スマホの中からランダムに音楽を再生するようにセットしていたのだが、このタイミングでこの曲とは。千英の気分が一気に良くなった。体を揺らしながら、ファーギーのパートをノリノリで口ずさむ。いつ聞いても、この曲は千英の気分をアゲてくれる。

 その頃、新幹線の車内で、由乃はタブレットを開き、今回の発掘現場の衛星写真を見ていた。巻向駅の東側、ちょうど、ホケノ山古墳と平塚古墳の間の畑から、弥生時代か、それより前の物と推量される土器や銅鐸が出土したらしい。

 「この辺りは、弥生時代の集落はなかった、と言われてますよね? 大規模な水害があったとか・・・。」

 「その通り。少なくても、縄文後期には大規模な土石流があったらしいことは確認されてる。弥生時代の物は、今回の遺跡からもっと南で、多数発見されてるけどね。」

 「じゃあ、もし今回の調査で弥生時代の物が出土してくれば・・・。」

 「うん。その定説が、ちょっと変わって来る可能性はある。そこが集落だったと解明出来たら、弥生時代に今考えられてるより、さらに大きな集落があった、という仮説が成り立つ。『邪馬台国畿内説』を推す学者には、嬉しいニュースになるでしょうね。」

 「渡辺先生は、どうお考えですか? 邪馬台国。」

 「うーん・・・難しいけど、今のところ、畿内説が優勢かな。あ、あくまで、私の中でってことよ?」

 「その、理由をお聞きしてもいいですか?」

 「じゃあ、渡辺八重と湯浅さんの、個人的な会話として、聞いてね? 教え子と生徒ではなくて。」

 「わかりました。」

 「邪馬台国は『やまたいこく』って、言うわよね? でも、当時国交のあった、魏の国では、『邪馬台』は『じゃめてぃえ』の発音になるの。私の発音は正確ではないけど、ニュアンス的に、ね。で、それは『大和』の発音と、まるっきり一緒なのよ。つまり、『邪馬台』は『大和』。そして、日本で『大和』と言えば、奈良でしょ?」

 「聞いたことはあります。でも、反論も多いですよね?」

 「そうね。でも、否定派の意見って、どれも『邪馬台国=奈良』に反対してると言うよりは、『邪馬台国クラスの都市が、他にもあった』と言っているに過ぎない、と思うのよ。つまり、その当時の日本には、外国と国交を結ぶレベルの国家が複数あって、魏志倭人伝に出てくる『邪馬台国』が奈良ではなく、他の、例えば九州にあった、という感じね。確かに、渡航記録を見ると九州説も有り得るとは思うんだけど、当時の測量技術がそれほど正確だとは、私には思えないのよね。あ、発音に比べると、ってことよ?」

 「なるほど・・・。」

 「だって、12000里って書いてあって、そのうち10500里が今の福岡県辺りだから、残り1500里なら九州を出たはずがない、って言うのが一番の論拠なのよ? そんなの、通る道でも違うし、そもそも直線距離なのか行程なのか、その辺りも曖昧だし、大体、どうやって測ったの? それに、『里』っていう単位だって、国によっても時代によっても、全然その長さが違うのよ。日本じゃ約4kmだけど、中国だと500m、朝鮮なら400m。ちょっと・・・ねぇ?」

 「論拠としては、弱いと?」

 「個人的には、そう思ってる。まあ、その他にもいろいろあるのよ。そもそも古墳造営の年代が、まるまる一世紀前にずれて、実は3世紀ころから作られてたんじゃないか、とか言われ始めてるじゃない? そうなったら、ホケノ山古墳は、それこそ卑弥呼の時代に作られたことになる。それはそれで、大変よ?」

 「そうですね・・・。」
 
 ここで、渡辺准教授は一段声を低くした。

 「今の話、大学ではしちゃダメよ? 理事の添田教授は、大の『新井白石』推しだからね。あのジジイに睨まれたら、後が大変だから。」

 「わかりました。気を付けます。」

 なんとなく、だが、向かいの座席を占拠して、ウノに興じている5人の学生は、その添田派が送り込んだ、スパイの可能性があった。最初に渡辺准教授からその話を聞いた時は、まさかそこまではやらないだろう、と笑ったが、集合の仕方と言い、今の態度といい、完全に旅行気分で、渡辺准教授に敬意を払う様子も見せないし、やる気があるようにも見えない。

 女子学生の一人は、ミニ丈のワンピースにパンプス姿だ。その女子学生とやたらとベタベタしている男子学生は、クロックスを履いていた。どう考えたって、発掘に赴く格好ではない。少なくてもこの二人は、要注意だった。現地でもサボって渡辺准教授に恥をかかせようとする可能性がある。

 場合によっては、この二人には退場願おう。由乃は由乃で、別な決意を固めていた。


「オツトメしましょ!」⑩
了。


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八神 夜宵 |小説家
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