小説「オツトメしましょ!」⑭
17 始動
由乃は二人で12階の部屋に戻っても、まだ沈思黙考を続けていた。由乃がすごいのは、頭を音が聞こえて来るのではないかと思うほど回転させながら、他のことは別に考え、行動ができることだ。多分、CPUがクアッドコアなのだろう。いや、もしかすると脳そのものを複数個持っているのかも知れない。
だから、『沈思黙考』という表現は適切でないのかも知れないが、千英の見ている限り、間違いなく由乃の一部は沈思黙考を続けているのがわかる。付き合い始めの頃は、単に機嫌が悪いのかと思ったが、そうではない。
千英が抜き取ったデータを解析するための準備をしている間、由乃はシャワーを浴びに行った。明日もあるし、戻ってきたら早めに休ませようと、千英は思った。
「はー、さっぱりした。千英も行っておいで。あのスーツのせいかな、なんかアルミが焦げたような臭いが身体に付いた。なかなか落ちなかったよ。」
「え、それは嫌だな。じゃ、チャチャッと行ってくるね。パソコンはそのままにしておいて。あと15分くらいはかかるから。」
「わかったー。」
バスタオルで髪の毛を拭きながら、由乃は冷蔵庫から水のボトルを取り出して、返事をしてきた。服を脱ぐと、確かに微かな異臭がした。千英は、それが熱い状態でパソコンのカバーを開けた時の臭いだと認識した。個人的には、好きな部類の臭いなのだが、由乃が嫌な臭いと感じたようなら、きっちり落とさなくてはならない。
3回身体を洗って、ようやく臭いが取れた。ボディソープの香りで上書きされただけかも知れないが、とにかく、異臭は消えたようだ。ローブを羽織って部屋に戻ると、ベッドで由乃が寝息を立てていた。起こさないように気を付けながら、由乃が飲みかけていた水を飲んでから、解析作業を続ける。
何度か繰り返して全てのファイルを確認したが、やはり隠されたファイルは存在していない。とすると、残されていたのはエクセルデータと写真や図面の類だけ、ということになる。パソコン本体の履歴を製造番号から探ると、元々は某コールセンターで使われていたものらしかった。それからアマゾンに渡り、2年ほど北海道の大学生が使用した後、大手の中古品買取店に売られていた。そこから先は少し飛んで現在に至る。売買記録が残っていなかったので、おそらく、買い手がつかずに廃棄されたものが、どうにかしてアイツの手に渡ったのだろう。最後に大学生が売りに出した時の記録が9年前のものだった。
そこまでのことを調べた後、検索サイトの履歴を調べていった。博物館、美術館、大学やその研究施設、神社仏閣の情報など、写真や図面をダウンロードするために調べたらしいものが多かった。千英の目を引いたのは、光陽館大学のHPを何度か訪れた形跡があることだった。それと、新薬情報に興味があったらしい。厚生労働省をはじめ、製薬会社や、所属する研究所、各種論文まで調べていた形跡がある。最も、それらは最近では調べられていない。
次に、写真と図面を調べる。ネット上で検索できるものと、自身で撮影されたらしいものが残されていた。どれも博物館や美術館など、エクセルの「リスト」に名前のある場所の物だった。下調べしたのだろう。
最後に、エクセルのデータだった。あの事務室で由乃と共に確認したリストの他に、盗みに入った場所の状況を記録に残しているようだった。最も新しい物には、侵入中に別な「泥棒」と鉢合わせしたことが、簡潔に記録されていた。少なくても、アイツが日本語を使う、恐らくは日本人で、文章を作るのにワードではなく、エクセルを使う人間であり、盗みが本業ではない、ということだ。職業的な犯罪者なら、「泥棒」とは表現しないだろう。
ふと気が付くと、部屋の外が明るくなってきているのに気が付いた。時計を見ると、6時を少し過ぎている。由乃を起こさなくてはいけない時間だった。
千英がベッドに昇った時の僅かな動きで、由乃が目を覚ました。
「おはよう、そろそろ起きる時間みたい。」
「ん・・・ごめん、寝ちゃったんだ・・・。」
由乃が起き上がり、大きく伸びをした。
「寝ないで調べてたの?」
「うん。調べてたら、そうなっちゃった。」
「何か分かった?」
千英が分かったことと、推測したことをかいつまんで説明した。それから、リストの内容について、何かの関連がないか、これから調べようとしていたことも伝えた。
「じゃあ、引き続き、お願い。あ、少しは寝てね? もしかしたら、今夜も動くかも知れないから。」
由乃の考えは、まだまとまっていないようだった。どことなく素っ気ないのがその証拠だ。今朝は、挨拶のキスまで忘れて、自室に戻っていった。昨日は発掘で集中を欠いていたと話していたが、今日もどうやらそうなりそうな気がする。
千英は作業に取り掛かる前に、バルコニーで冷たい空気を浴びながら、タバコを吸った。最近はめっきり本数が減った。以前なら、このレベルの作業をしたら立て続けに吸い、軽く一箱は空けていただろう。
そうやって考えてみると、由乃が初めて千英のマンションに忍び込んで来てから、自分が大きく変わったのを感じる。食生活も変わったし、エナジードリンクは完全に飲まなくなった。その代わり、お酒を少し飲むようになった。相変わらず小柄ではあるが、華奢ではなくなったし、映画でしか観たことのなかったような世界を、毎日生きている。
それに、「外側」に興味を持つようになった。自分のことも、他人に対しても。以前は、まったく興味が湧かなかった。「内側」のことだけで生きていけた。今では、「外側」なしの生活は考えられない。
「良い方に、変わったんだよね?」
小さく、声に出してみた。誰に問い掛けたものかは、自分でも分からなかった。内なる自分に呼び掛けたような気もする。とにかく、毎日が充実している。「生きている」と思える生活だった。もう、「生かされている」ではない。
千英は部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。まだ少し残っていた由乃の体温と残り香に包まれて、自然と眠りに落ちた。
発掘作業は3日目に入った。今日も昨日に引き続いての作業となる。由乃は、思い切って全員を一か所に集め、ここぞと思う地点を深く掘り下げてみることにした。どこかで昨日の分を取り戻したい、と思ったのかも知れない。
「どの辺がいいと思う?」
由乃は、まず光陽館大学の3名に話を聞いた。ホテルに残っているあの2人は、今日の午前中には引き上げることになっていた。今朝の食事の席で、渡辺准教授からそう聞いた。近近大の職員が駅まで送ってくれるそうだ。そういうわけで、この3人も名実ともに解放され、来る途中のマイクロバスの中でも、やる気を見せていた。
3人は自分たちで話し合い、縄張りの北東角を指示した。そこは周囲より若干だが、土が柔らかいように感じたらしい。由乃は異議を挟まず、午前中は全員でそこに取り掛かろうと決めた。
そして、まもなく午前の作業も終わろうか、という時間に、それは現れた。
「湯浅さん! これ、見て下さい!」
あの一年の女子学生が、興奮した様子で由乃を呼んだ。全員が地面の一点を見下ろしていた。そこには、明らかに円形に加工されたような木の板の一部と、それを囲むように、土器の一部が露出していた。その部分からして、全体は直径が30cmほどにはなりそうだった。
「ねえ、渡辺准教授を呼んで来て。それと、あなた、位置を確定させるから、そっち持って!」
由乃はテキパキと指示を出し、一人の男子学生に写真を撮影させながら、もう一人の学生にメジャーの一端を持たせ、距離を測った。
まもなく、渡辺准教授が現れ、露出した物をつぶさに検分した。
「うん、土器に木でフタをしたみたいね。フタがまだ外れてないみたい。もしかして、割れずに残っている可能性もあるわ。まず、ここを中心に周囲を掘り下げて、もっと露出させましょう。あ、さらに慎重にね! 周囲にもまだ何か埋まってる可能性があるから!」
その作業は、昼食返上で行われた。慎重ではあるが、時に大胆に周囲の土を掘り下げていくと、甕形の、木の蓋が付いたままの土器の上縁部が露出した。直径は28cm、高さは60cmはありそうだ。木の蓋が割れており、少しだが中が覗き込めた。
乙畑教授と渡辺准教授が、ペンライトを使って土器を覗き込みながら、何かを話し合っている。二人とも、かなり興奮しているようだった。由乃たちは、ボランティアの方から手渡された熱いコーヒーを飲みながら、固唾を飲んで様子を見守った。
「みんな、落ち着いて、聞いてね・・・。中に、恐らく、子供の遺体が入ってる。まだ頭髪の一部らしき物が残っているのが見えたわ・・・。」
渡辺准教授が興奮を押し殺した様子で、一語一語確認するようにして、そう話した。隣の乙畑教授は、すこし顔が青ざめているようにすら見える。
「ほ、ほんとですか!?」
「しっ! まだ、不確定だから大きな声は出さないで! いい?」
「わ、わかりました・・・。」
「それでね、ここは一旦、ブルーシートで覆うわ。もちろん、みんなには中に入ってもらうわよ。覚悟は、いいわね?」
「は、はい!」
乙畑教授の指揮で、縄張り全体が大型のタープテントで覆われ、周囲にブルーシートが張られた。発掘現場全体に緊張が走り、囁き声があちこちから上がった。発掘現場で遺体と思しき物が見つかった場合、まずは警察に届け出なければならない。事件性があるものなのかどうかを、見極めなくてはならないのだ。そこで事件性なし、と判断されれば、次は供養を行う。その読経に包まれた状態で、蓋を開けるのが通例となっていた。だが、ここにいる全員が、知識としてそれを知っていても、現実にそうなった経験はない。全員にとって初めてのこととなった。
立ち会っていた役場の職員が、いつも以上に忙しそうになる。乙畑教授がボランティアの方々に事情を説明し、今日はここで一旦解散として、後ほど連絡を入れる、ということになった。
その後、警察官数名が検分をした結果、一旦は事件性はなし、と判断された。だが、警察官にとっても初めてのことで、上級官庁にあたる検察の判断を待ちたい、という指示が出された。最終的にゴーサインが出たのは、午後4時を過ぎ、周囲が夕闇に包まれ始めた頃になっていた。これから発掘するには、時間も設備も足りない、と判断した乙畑教授と渡辺准教授は、作業の打ち切りを発表した。作業は、明日の朝、再開される。集まっていたマスコミやギャラリーからは非難の声も上がったが、二人は頑として譲らなかった。この場の責任者として、不確定な状況で作業を行う訳にはいかない、と撥ねつけたのだ。
ギャラリーやマスコミが解散するのを待って、今夜の体制が発表された。乙畑教授と近近大の学生、それに、光陽館大学の男子学生二人が、警備員とともに現場に残ることとなった。
帰りのマイクロバスは、大発見の予感に、喜びや興奮よりも、信じられない、といった雰囲気に包まれ、みんな押し黙っていた。寒い中で長時間立ちっぱなしだったのが、疲労を倍加させたのもあるだろう。
耳の早いホテルの職員が、夕食の席に豪勢な刺身盛りを提供してくれ、それを食べているうちに興奮が再燃してきた。
「やっちゃったわね! うん、やっちゃったわよ、私たち。」
「おめでとうございます!」
「何を言ってるの! 第一発見者は、あなたたちよ! これからの教科書に、名前が載るわよ~。」
渡辺准教授も上機嫌で、おどけた様子でそう話した。だが、それが冗談でなくなる可能性も、多分にあった。その後も終始笑いに包まれた食事が終わり、現場に残った学生に申し訳ない、などと話しつつ、全てを平らげた。渡辺准教授が、帰ったら全員に「回らない寿司」をご馳走する、と言っていた。
21時過ぎに、ようやく千英の部屋を訪れた由乃は、興奮気味に今日の出来事を語って聞かせた。一通り二人で喜び合い、話は今日の千英の成果に移っていく。
「リストは全部、奈良から鎌倉辺りの時代の物に限られてた。多くは古文書だけど、中には装飾品とか、楽器とか、刀なんかも含まれてて、どうやら「鬼」、とか「術」に関係があるみたいなんだ。ただ、古文書の内容はあくまで言い伝えレベルの話で、きちんと解析されたわけじゃない。場所が確認されているのが20点くらいあるけど、一部は海外の博物館に収蔵されてる。」
「・・・海外の好事家からの依頼、とか、ありそうよね?」
「うん、千英もそう考えて、「鬼」とか「術」とか、そういう品物を集めてる人を調べてみたんだ。全部で300人くらいいた。そこから、経済的なレベルとか、年齢とか、職業でフィルターを掛けて、怪しいと思う人間だけピックアップしたんだ。」
千英がその5名を画面に呼び出した。自分を織田信長の末裔と信じて、埴輪から新選組に所以があると言われるようなものまでを集めている70代の男性。バラエティ番組に出演したことがある。自称「博物館」という建物に住んではいるが、ただのゴミ屋敷だった。違う。もう一人は、歴史ではなくオカルトに傾倒した老人。これも、ゴミ屋敷。違う。3人目はドイツのコレクター。日本の物なら何でも集めているようだが、特に浮世絵に興味があるようだ。だが、一番の宝物と称している写楽の浮世絵は、画面越しにも贋作とわかるような代物だ。本物を求めるようには思えない。違う。アメリカのコレクター。マスコミ関連の大物だ。浮世絵、漆器、茶器などに興味が強い。有り得るかも知れない。最後はイタリアのコレクター。日本の大学に留学経験のある、海運会社の社長。戦国時代の武具や茶器のコレクターだった。有り得るかも知れない。
「最後の二人は、可能性があるわね。最初の3人は違うと思うわ。」
「千英もそう思ったんだけど、この5人は、資産的にはかなり裕福なんだ。最初の二人は土地で、ドイツ人は投資で大儲けしてる。成金の考えそうなことかな、と思って残したんだ。あとの二人は、超の付く金持ち。」
「でも、集めてる時代も、物も違う・・・。この線ではない気がする。」
「やっぱり。調べながら、千英も違う気がしたんだ。なんて言うのか・・・アイツ、申し訳なさそうに盗んでる気がするんだよね。なんなら、そのうち返そうとしてる感じさえ受ける。普通、自分の起こした事件の詳細を残しておく、なんて有り得ないよね? まるで、誰かのために、記録を残してるような感じだよ。そんなの喜ぶの、警察くらいじゃん。何のためにそうしてるのかが、どうしても引っ掛かるんだよね。」
「そうなのよね・・・。盗んだ物の保管も相当気を遣ってる様子だし、生活もきちんとしようとしてる・・・。それでいて、証拠を消そうとしていない・・・。何なのかしら。」
「昨夜の神社からは盗めたのかな? 狙ってたのは古い記録みたいなものらしいけど。今のところニュースにはなってないんだ。あ、それと、今日も日中は動きなし。寝てるか、机に向かってるかだったよ。今はまだ、あの廃工場にいる。・・・机に向かってるね。」
千英が別な画面で発信機の信号を確認した。
「・・・ねぇ、千英?」
「ん?」
「今度は、リストに載っている物を、こちらが先に盗む、と言うのはどうかしら?」
「あの古文書と交換するため、ってこと?」
「うん・・・まあ、それもあるんだけど、ちょっと話してみたいのよね。アイツと。」
「ええっ? 何故に?」
「なんて言うか・・・まず、このままじゃ私が納得できない。それと、何となくだけど、悪人じゃないような気がするの。もしかしたら、私たちと同じ目的なのかも、って。」
「でも、『漬物』だけじゃないよ? リストに載ってるの。」
「まあ、ね。でも、いずれ成果は出ていない物よね? 」
「・・・そうだね。」
「でしょ? 言うなれば、『食卓に並んでるけど誰も手を付けない漬物』と言えなくもない。」
「・・・ちょ、ちょっと苦しい気はするけど・・・言えなくも、ないね。」
「うん、だから、先取り、しちゃおうよ!」
慎重に答えながらも、千英の心拍は最高潮に高まっていた。なるほど、やられたらやり返す、シンプルだが、その理由が面白い。『話したいから』恐らく、これが最大の理由だ。相手が逃げるなら、追い掛けるよりも追い掛けさせた方が捕まえやすい。
「うん、やろう!」
「きゃーっ! だから千英、好きよ!」
いつもの調子に戻った。思考モードが終わったのだ。由乃は早速、ターゲットを発表した。狙うのは、「笛」だった。理由は、収蔵場所がここから一番近く、それがとある神社の宝物庫だったからだ。宝物庫とは言っても、神主の住まいの一角に設えられた、普通の部屋だった。警備など、無きに等しい。次は、「首飾り」だった。これも京都だが、ここから近い。保管場所は同じく神社だったが、こちらは大きい神社だから、それなりに警備もされているだろう。
「じゃあ、明日はこの二か所を調べておくよ。もしも、アイツと狙いが被ったら、どうする?」
「その時は、こっちが狙いをずらす。向こうの動きがわかっているうちに、他の物をいただく。そのうち、相手がこちらの狙いに気が付くでしょ? おかしいと思い始めた頃に、メールを送って誘い出す。それまでは、鉢合わせしないように、極力気を付ける。」
「わかった。じゃあ、ここから近い順番で、できる限り下見まで済ませておくよ。」
「うん、お願い! よし、そうと決まれば、お風呂入ろ? で、今日は早く寝ちゃおう!」
「そうしよう、そうしよう!」
今夜は、別な意味で長い夜になりそうだった。
「オツトメしましょ!」⑭
了。
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