小説「オツトメしましょ!」⑲
23 勾引
1月も半ばを過ぎて、大学では期末テストが間近に迫っていた。同様に、ウィンターインターンを始めとした就職活動も忙しくなる時期で、構内は人の集まるところと集まらないところがハッキリ分かれるようになった。
由乃はそうした学生達とは違い、大学院進学のための準備を進めていたが、まずは纒向遺跡の発掘調査をレポートにまとめ、大学に提出する準備に忙殺されていた。
千英は、相変わらず渡辺准教授が「好き過ぎて苦手」なため、別行動をする時間が増えることになった。実は、最近、父と連絡を取り始めた。と言っても、それは父と娘の関係と言うより、開発者と協力者のそれだった。
千英の父は、非破壊検査のエキスパートであり、今までは主に隕石や特定鉱物の成分鑑定などを手掛けていたが、春からは本格的にX線CTスキャン装置を使用しての、「墨書」の解析をメインの研究課題にするという。そこで問題になって来たのが、スキャン画像の三次元的再構成の精度だった。紙も墨も、同じ炭素で構成されているため、それらを区別してテキスト化するためには、ミクロン単位の精度が必要となるのだ。
今までは、父の構築したプログラムに不正にアクセスし、手直しを加えてきていたのだが、それがとうとうバレてしまい、どうせなら本格的に研究を手伝って欲しい、と頼まれた。当初、千英はあまり乗り気ではなかったが、由乃が積極的に手伝うべきだ、と言うので、半ば渋々、協力を始めた。
始めてみると、これが面白い。千英はすぐに夢中になって、次々に押し寄せる難題をクリアするため、かなりの時間を割いていた。
今日も由乃を待つ間、ひとりミニクーパーの助手席でノートパソコンを開き、プログラムを追っていた。今日の千英は絶好調で、ここ三日掛かりきりだった難局に、光明を当てる可能性のあるアイデアが降りてきていた。アスリートで言えば、「ゾーン」に入ったような状態で、キーボードを叩き続けた。
そのために、ミニクーパーを取り囲んだ異変に、まったく気が付かなかった。その瞬間、千英は「手長」でも「盗め人」でもなく、「研究者」になっていたのだ。
突然、助手席の窓が割られ、驚いて振り向いた千英の顔に、何かのガスが噴射された。瞬間的に、千英は意識を失った。
由乃のスマホが、けたたましいアラームを鳴らした。画面を見ると、ミニクーパーの異常を知らせるアラームだった。しかし、今、ミニクーパーには千英が乗っているはずだ。先ほど、あと30分ほどかかる、と連絡をした時にも、それを確認していた。
『誤作動させたのかしら?』
そう考えながらも、由乃は研究室を出て、駐車場に向かった。歩きながら、千英のスマホを鳴らしてみたが、千英が出る気配がない。由乃は移動速度を上げた。鳴るはずのないアラームが鳴り、出るはずの千英が出ない。どちらかだけなら偶然だが、二つ重なれば、それは事故ということだ。
駐車場の見える廊下に出た時、ミニクーパーが見えた。助手席のドアが開け放しになっている。千英の姿は見えない。由乃は廊下の窓に飛び上がり、その窓から直接駐車場に出た。その様子を見ていた数名の学生が、信じられないモノを見た、というように顔を見合わせる。その中の一人は、近近大の女子学生と遠距離恋愛をしている、あの男子学生だった。
「千英! 千英っ!」
ミニクーパーの助手席の窓が割られていて、車内から鼻を衝く異臭が漂った。恐らくセボフルランだ。千英は、誰かに攫われた。
由乃は素早く周囲を見回した。何かの異常を見落としていないか、確認するが、これと言って変わったことがない。その時、駐車場のフェンス越しに見える、一般道路を走って行った宅配トラックの運転手と目が合った。ニヤニヤとこちらを見てから、スピードを上げて走り去って行った。
助手席のドアを閉め、ボンネットを滑って運転席に回り込むと、エンジンをスタートし、ミニクーパーを急発進させた。駐車場を瞬時に走り抜け、サイドブレーキターンで右折してゲートに向かう。バーは下がっていたが、開くのを待つ余裕はない。由乃はギアを落とし、アクセルを踏み込んだ。
ミニクーパーが即座に反応し、回転数が一気に上がる。驚いた顔の駐車場の警備員が、両手を大きく振ってこちらの注意を促したが、由乃はそれにクラクションで答え、警備員をどかせると、そのままゲートのバーをへし折って、道路に飛び出た。左から来た車が急ブレーキを掛け、その後にけたたましくクラクションを鳴らしたが、由乃は意に介さず、さらにアクセルを踏み込んであのトラックを探した。
この先、緩いが長い下りの右カーブが続き、キャンパスのある丘を回り込むように降りていくと、片側2車線道路の十字路交差点に出る。その時点で見失っていたら、もう追い着くことは難しい。何とかその前に捕捉し、確実に後をつけなければならない。
時速80kmで坂を下ると、十字路の信号が赤から青に変わったところだった。その光景を見て、由乃は愕然とした。同じトラックが6台。それぞれ2台ずつに分かれ、三方向に進んで行く。
「くそっ、やられた。」
明らかな尾行妨害措置だ。これで追跡できる確率がグンと下がった。同時に、この作戦がそれなりの組織によって、きちんと計画されたものであることが分かった。少なくても、6台のトラックと6人の運転手を用意することのできる組織であることは、間違いない。
由乃は、直進に賭けた。可能性は3分の1に減った。あっという間に追い着くことはできたが、運転席を確認させないよう、2台が車線をいっぱいに使い、同じ速度で走っている。由乃が右に寄れば右が狭く、左に寄れば左が狭くなる。ドライバーの運転技量もなかなかのものだ。
「・・・もう! 頭来た!」
ギアを下げ、ハンドルを右に切った。ミニクーパーは中央を分離しているポールを数本なぎ倒して、対向車線に飛び出した。アクセルを目いっぱいに踏み込んで、二台を追い越そうとするが、こちらの意図を察した二台も、同じようにスピードを上げた。
対向車線を向かってくる車が、激しくパッシングし、クラクションを鳴らした。脇目で距離を測りながら、ギリギリまで速度を上げ、すんでのところで左に寄り、またポールに突っ込んだ。速度が落ちる。また対向車線に戻り、アクセルを踏み込む。向かってくる車が気付き、慌てて車線を変更した。
「よしっ!」
由乃はギアを下げ、アクセルを床に着くまで踏み込んだ。瞬時にエンジン回転数がレッドゾーンに飛び込み、ミニクーパーはロケットのように加速してトラックに並んだ。右車線のトラックの運転手は、先ほど見かけた人物とは別人だった。はずれ。そのまま追い抜くと、ハンドルを左に切って、一気に第一通行帯まで車線を移し、ブレーキを踏み込んだ。鋭いスキール音を上げて、ミニクーパーが急停止する。トラックも同じように急ブレーキを踏んだ。勢いでトラックのフロントが沈み込み、ミラー越しに運転手の顔が見えた。これも、はずれ。賭けは、失敗した。
追突されるギリギリで、再び急発進した由乃のミニクーパーは、脇道に逸れ、そのまま行方をくらました。既にパトカーのサイレンが聞こえてきている。すぐに身元はバレるだろうが、まだ捕まるわけにはいかない。由乃はモールの立体駐車場にボロボロになったミニクーパーを止めると、広い店内に姿を消した。
次に別の出口から姿を現した由乃は、別人の恰好になっていた。何食わぬ顔でタクシーを拾おうとした時、スマホが着信を知らせた。見たことのない番号だった。
「・・・はい・・・。」
「笹鳴の由乃、だな?」
「・・・そちらは?」
「作業班の、駒止の信二、という者だ。手長は、作業班で聞きたいことがあって、身柄を預かっている。ヘタに、騒がないことだ。自分の首を絞めることになる。」
「手長は、無事なんでしょうね?」
「・・・今のところは、な。」
「・・・すぐに返してもらうわ。どこに迎えに行けばいいの?」
「それは無理だ。こちらの用件が終わるまで、誰とも会わせないし、拘束を解くつもりもない。」
「ふざけたことを言ってんじゃない! 話が聞きたいのなら、踏むべき段取りってもんがあるでしょ! いきなり身柄を攫うなんてことが、許されると思ってんの?」
「ははは・・・おかしなことを言うな? か弱い女子大生だ、とでも言いたいのか?あいにく、アンタも俺も、そんな世界で生きてねぇだろ? もちろん、手長もな。アンタにできることは、大人しくこっちからの連絡を待つことだけだ。・・・今夜にも連絡を入れるから、それまで大人しくしてろ。・・・それと、な、この件で、他を巻き込まない方がいいぞ?それが例え、身内でもな。これ以上、周囲を巻き込むな。わかったか?」
「そんなたわごとを、真に受けろ、とでも言うの?」
「ふ・・・好きにしなよ。ただ、俺は忠告したぜ?」
それだけ言うと、電話が切れた。由乃はすぐに、「組合」に発信番号の照会を依頼したが、結果は間違いなく、「作業班」で登録がされている電話番号だった。これで、ハッキリした。千英は、作業班に連れ去られた。
タクシーに乗り込んで、自宅ではない目的地を告げた。作業班が絡んでいる以上、自宅に見張りがついているのは、ほぼ間違いない。自宅はもう、しばらく戻れない場所となった。車内で考えを整理する。千英の身柄を抑えてまで、聞きたいこととは何か。普通なら、所属支部の聴聞を受けるのが先だ。いきなり委員会が動くほどの、重大な掟破りがあったとは思えない。
それに、駒止の信二は、「周りを巻き込むな」と忠告してきた。「身内を含めて」と。そこにどういった意図が隠されているのかは不明だが、おそらく実家にも監視の手が回っていることだろう。もしかすると、もっと進んだ事態になっているかも知れない。由乃が下手に協力を要請すれば、連帯責任を押し付けて、制裁を加える気でいるのかも知れない。
その可能性が否定できない以上、由乃は一人で作業班と相対しなければならない。すでに大学施設を意図的に破壊し、交通法規を逸脱した運転を行って、周囲を巻き込んでいる。その罰はいずれ受けるつもりだが、今ではない。最優先は、千英を無事に取り返すことだ。
15分ほどで、目的の場所へ着いた。同じようなショッピングモールだが、こちらは駅に併設されていて、人通りも比べ物にならないほど多い。本当の目的地へ行く前に、ここで尾行の確認をするつもりだった。恐らくは、ないだろう、と思う。向こうが千英を抑えている以上、こちらを見張る必要はないと判断するはずだ。
モールをグルグルと回り、何度も昇り降りし、やはり尾行がないことを確認した。それでも、由乃は最終的に下着専門のテナントに入り、その裏にある従業員通用口からバックヤード経由でモールを出た。にこやかに微笑みかけてきた店員が、怪訝な面持ちでこちらを見ていたが、由乃も笑顔で会釈をすると、絵に描いたような作り笑いで会釈を返してよこした。恐らく、今頃はもう忘れているだろう。ショップ店員も、ヒマではないのだ。
そのまま電車に乗り込み、本当の目的地の最寄り駅で電車を降りた。徒歩で向かったのは、閑静な住宅街にある一軒家だった。いざと言う時の、いわゆるセーフハウスである。
ここに、由乃は当面の活動を行うための資金、美雨作成の偽造身分証明書、カードなどを隠していた。この場所は、千英も知らない。同じように、千英にも由乃の知らないセーフハウスを持たせてあった。知らない情報は、話しようがない。聖からの忠告を受け、「比翼連理」にならないための措置の一つだった。
由乃はソファに腰を下ろすと、そのまま微動だにせず、目を閉じた。
今や、完全に孤立無援だ。聖から渡されている特殊装備も、何一つ持っていない。真相を知るために、伊十郎に連絡を取ろうかとも考えたが、向こうは由乃と伊十郎の関係性も突き止めているだろう。「身内」と捉えているかも知れない。ダメだ。
今ある資産をまとめてみた。ガレージに車が一台、何の変哲もない、旧式のトヨタノア。バッテリーの端子を繋げば、すぐに走れるようにはなっている。現金が200万円ほど。パソコンと携帯が数台ずつ。それだけだった。特筆すべきものは、何もない。
これで、作業班と渡り合わなくてはならない。何もかも、不足だった。せめてあと一人、事情を知る人間が欲しい・・・。
ふと、思いついた。由乃は書斎机の引き出しから、まっさらな携帯を取り出すと、番号を押した。
千英は、見慣れない部屋で目を覚ました。まだ頭がボーっとしている。どうやら、椅子に座っているらしい。身体を動かそうとして、身動きができないことに気が付いた。拘束服を着せられている。声を出そうとして。口に玉口枷が付けられていることにも気が付いた。
「お目覚めのようだな・・・。時間、ピッタリだ。」
顔を上げると、目の前に事務机に寄りかかるようにして立っている男が、腕時計を確認していた。白のスーツに、紫のシャツ。胸元から金の喜平ネックレスが見えていた。
「お前は、『縄抜け』もできるし、『絶息』まで使えるらしいからな。小娘一人に大袈裟かとも思ったが、油断はできねぇ・・・。申し遅れたが、俺は委員会作業班班長の、瑛吉ってもんだ。」
「むーむむ・・・むっ!」
千英は抗議の声を上げたが、声は出ず、代わりに口の端から涎が垂れた。口が閉じられないので、呼吸はできるが、唾を飲み込むのも楽ではない。
「おいおい、そう興奮するなよ。涎まで垂らしやがって、カワイイ顔が台無しだぜ?」
そう言うと、男は千英に歩み寄り、指で口に着いた千英の唾液を掬って、自分の口に入れた。音まで立てて、指を吸って見せた。瞬間、千英は激しい吐き気を覚えたが、かろうじて堪えた。目から意図しない涙が溢れ、喉が焼けるように痛い。
「ああ、美味ぇ・・・。もう少ししたら、たっぷりと味わってやるからな・・・。だが、その前に、お前の恋人を始末しちまわねえとな・・・。ま、それまでは、窮屈だが我慢してくれよ。」
「・・・!っ」
こいつは、由乃に危害を加えようとしている。しかも、作業班の班長と名乗った。組合絡みのことなのか? だけど、いきなり始末? そんなことが有り得るのか? こいつは下品でとんでもない変態だが、立ち居振る舞いを見てもかなりの腕利きだと言うことはわかる。その時、千英の背後でドアをノックする音が聞こえた。
「・・・入れ。」
ドアの開く音がして、誰かが室内に入って来た。
「準備が、整いました・・・。」
「よし・・・。」
瑛吉は、優雅とも思えるゆっくりとした仕草で事務机を回り込むと、高い背もたれのついた革張りの椅子に座り、上着のポケットからスマホを取り出して、机に置いた。すぐにスマホから、呼出音が聞こえて来る。スピーカーにしたらしい。
「・・・はい。」
由乃の声だ。瞬間的に、危機を感じた。自分をダシに、由乃を呼び出す算段に違いない。そしてその先には、何かとてつもない罠が仕掛けられている。
「んーーーっ! んーーっ!」
身体を振るようにして、椅子を前に出し、何とか声を届けようと試みたが、声は声にならず、椅子は後ろから押さえつけられた。
「・・・聞こえたか? 状況は、わかっているな? 俺は作業班班長の、明神の瑛吉だ。笹鳴の由乃さんよぉ、すまねぇが、その件でご足労願いてぇ。今晩0時ちょうどに、作業班で使ってるビルに来てくれ。住所はメールで送った。言うまでもねぇが、一人でな。」
「・・・わかったわ。」
それだけ言うと、由乃は「自分から」通話を切った。瑛吉が、驚いたような顔をする。
「・・・おいおい、向こうから先に切りやがったぜ? 普通は無事に返せとか、声を聞かせろとか、言ってくるもんじゃねぇのか? なぁ、信二、こいつ、ほんとに大丈夫なんだろうなぁ?」
「・・・さぁ・・・。」
「自宅にも戻ってねぇし、身内どころか、伊十郎にすら相談した様子がねぇ、と言うのは、どういうことだ? まさか、手長を見捨てて、どこかにトンズラこいたんじゃねぇよな?」
「・・・もう一度、電話してみたらどうで?」
「ばかやろう! そんなみっともない真似、できるかよ! こっちが見失ってるって宣伝するようなもんじゃねぇか!」
「・・・。」
「ちっ! まあ、いい。とにかく、予定通りだ、行くぞ!」
信二と呼ばれた男が、先に部屋を出た。瑛吉も立ち上がり、ドアに向かう。向かいながら、瑛吉は千英の顎に手を掛けて、顔を上向かせた。目の前に、瑛吉の顔がある。必死に顔を背けようとしたが、強く下顎を掴まれて、乱暴に正面を向かせられた。
「へへっ、いいねぇ。俺は、嫌がるのを無理矢理するのが大好きなんだよ・・・。ま、せいぜい楽しませてもらうさ・・・。」
そういうと、瑛吉は舌を出し、千英の頬を下から上に、舐め上げた。千英はそのざらっとした感触に、とてつもない嫌悪感を覚えた。瑛吉が部屋から出て行った後、今度は堪えきれず、千英は激しく嘔吐し、玉口枷の影響で、危うく自分の吐しゃ物で溺れそうになった。
「オツトメしましょ!」⑲
了。
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