小説「オツトメしましょ!」⑧
10 個性
11月も終わりに近づき、季節が一気に冬めいてきた。昨日、聖から小型の洋服タンス程もある荷物が届き、二人はリビングでその開梱作業に取り掛かっていた。
「毎回のことだけど、聖さんからの荷物は開けるのが大変だよね・・・。」
「品物が品物だから、無理もないけど・・・。最近はやたらと手が込んでるわよね。」
ⅮARPA(アメリカ国防高等研究計画局)に勤め、その特別技術研究室の室長を務める由乃の叔母、聖は、同局で開発された新技術や新製品を由乃に送り、そのテストと評価をさせていた。由乃としても、常識外れのSF的な最先端技術に触れることができ、「お盗め」に転用もしていたので、ありがたいことではあるのだが、それを手に入れるまでの行程が、送られてくるたびに複雑かつ難解になっていて、ことに千英と組んでからの荷物は、電子キーなどは序の口の方で、様々な認証システムをクリアしなければならなかったり、高等数学の問題を解いて答えを入力しないと開かなかったりと、腕試しにしてもやり過ぎの感は否めなかった。
今回の荷物は、簡単な錠前だけだと取り掛かったものだが、そのいかにも古めかしい、大型の蔵前錠の堅牢さには、ほとほと手を焼いた。おそらく江戸時代のものであろうが、まずは現代の鍵開けに使用されるピッキング用品などはサイズが合わない。瞬間的に固まる液体樹脂を流し込んで合い鍵を作ってみたが、鍵を回すのに必要な力を入れるには硬さが足りず、根元からぽっきりと折れてしまった。最終的に、江戸の盗賊たちがやっていたように、形を取って金属製の合い鍵を作り、なんとかその蔵前錠を開いたところで、力尽きてしまった。
やっとのことで錠を外して木箱を開いてみると、中から合皮の船旅用トランクが出てきたのである。こちらも、もちろん錠が付いていた。いかにも複雑そうな、立体的な寄せ木細工が錠として使われていた。見た瞬間に心が折れた二人は、開梱作業を諦めて、就寝したのだ。
今日は午前中で講義が終わり、大学から戻って来ると、二人は早速寄せ木細工に取り掛かった。かれこれ4時間近くかかり切りになっていたが、未だに開く気配がない。とうとうキレた千英が、台所からステンレスの包丁を持ち出し、合皮のトランクに突き立てたが、弾かれた包丁の刃先が折れ飛び、危うくジャニスにケガをさせるところだった。それを見た由乃が怒り狂い、ガレージからダイヤモンドコーティングされた刃を付けたエンジンカッターを持ち出したが、トランクには傷一つ付けられず、逆にエンジンカッターの刃の方がボロボロになってしまった。
「あー! 腹立つ! 『トランクごと新製品』ってわけね!」
「見た目はただの合皮っぽいのに・・・ね・・・。」
千英の言う通り、質感や手触りまで、合皮のそれとまったく変わらない。指で押すだけで僅かに凹むほどの弾力性を持ちながら、刃物や摩擦に極端な抵抗を示す、新しい素材のようだった。
二人がため息を吐き、紅茶でも飲んで気分を変えようとした時に、由乃のスマホが着信を知らせた。表示を見ると、聖からの着信だった。
「由乃です・・・。」
「ハーイ! いつもなら荷物が届いたらすぐ連絡が来るのに、何にも来ないから、こっちから電話しちゃった!」
聖の声に、わざとらしい響きが聞き取れた。こちらが開梱に苦労してるのを見越して、その様子を探ろうと電話をしてきたのに違いない。
「あー・・・まだ・・・開けてないの。」
「あら! 昨日の朝には届いたはずよねぇ?」
「・・・うん、届いたよ・・・。」
「なのに、まだ開けてないの? 忙しかった??」
「別に・・・忙しくはないけど・・・。」
「じゃあ、どうして? 何かあったの?」
「もう! わかってて、わざとやってるでしょ! さっきから!」
途端に、スマホから千英にも聞こえるくらいの高笑いが響き渡った。スピーカーにしているわけでもないのに。
「ちょっと! 笑い過ぎよ! 大体、最近梱包が厳重過ぎるのよ!」
「あはははは! ごめんごめん! 木箱は開いた?」
「うん・・・。」
「やるじゃない! あの錠は、かの名人、ジョゼフ・プラマの作った物なのよ。あなたのおばあちゃんですら、開くのに丸二日掛ったの。」
「おばあちゃんが? 鍵開けの名人だったんでしょ?」
「そうよ。その腕前に惚れ込んで、おじいちゃんが三年がかりで口説いたらしいわよ。で、どうやって開けたの?」
「今のやり方は通用しなくて、結局金型を作って鍵を削り出したわ。」
「あー、じゃあ、由乃はまだおばあちゃんには及ばないわね。おばあちゃんはあの鍵ですら、目打一本で開いたんだから。」
「う、嘘でしょ? いくらなんでも、話を盛り過ぎよ!」
「嘘じゃないわよ。この目で見たんだから。あなたのお父さんも見てるわよ。」
目打は、千枚通しに似た裁縫道具だった。あれ一本では、物理的に不可能なようにも思えるが、祖母はどうやって開いたのだろうか。生きていたら、ぜひその技術を伝えて欲しかった。いや、実際にその作業を見るだけでも良かった。
「それで、トランクの方は?」
「そっちは全然ダメ。寄せ木細工が全くわからない。千英と二人で四時間格闘してるけど、開く気配もないわ。」
「・・・まあ、当たり前と言えば、当たり前ね。あれは開くようにできてないから。」
「は、はぁ???」
「由乃も少しは成長したかと思ったけど、まだまだのようね。『錠のように見える物』に、拘り過ぎてるんじゃないの?」
由乃はハッとした。隣で一連の会話を聞いていた千英が、トランクを調べ始めた。すぐに、四つ角に打たれていたリベットの一つが、押し込めるようになっているのに気が付き、目顔で由乃に合図をした。由乃がうなずき返すと、千英がリベットを押し込む。
カチャカチャカチャ
トランクの上部、中央部、下部からそれぞれ作動音が聞こえたかと思うと、前面パネルが寄せ木細工ごと、ドアのように開いた。中には高価そうな毛皮のコートや、ウェットスーツのようなつなぎの服が掛けられていた。下部には、いかにも高級そうなブーツと並んで、バイク用のブーツと思しき物が並んでいた。
「・・・開いたわ・・・。」
「そう? 良かったわね。いい? 由乃と千英が取り組んで、壁にぶつかったと思ったら、もう一度全てを0から見つめ直してみなさい。あなたたちの技術は間違いなく一級品よ。どんなに複雑に見えるようなものでも、二人で挑んで全く歯が立たないなんてことは、まず有り得ないわ。全てに正面からぶつかっては、ダメよ。」
「・・・わかりました。ありがとうございます。」
「うふふ、いい子ね。だから私は、あなたたちが好きなの。でもね、正面から挑んでダメだからって、包丁やエンジンカッターを持ち出すのは、大人げないわ。」
「見てたの!」
「ほらほら、よく御覧なさいって、言ったばかりよ!」
会話を続けながら、二人はカメラを探したが、見つけ出すことができなかった。この部屋は帰宅するたびにクリーニングしてあるので、部屋にカメラやマイクがないのは明らかだ。あるとすれば、木箱かトランクということになるが、どんなに丹念に探しても、レンズもマイクも見つけられなかった。
「・・・聖さん・・・降参です・・・。」
「・・・これで、二敗目よ? 一生懸命探したようだけど、木箱にもトランクにも、カメラもマイクもありません。私が見ていたのは、あなたが左手に持っているスマホのカメラからの映像よ。」
やられた。聖は会話しながら由乃のスマホにハッキングを仕掛け、アウトカメラで室内の状況を見ていたのだ。床には、先ほど使ったエンジンカッターと折れた包丁がそのまま残されていた。聖は、その映像から導き出される答えを口にしていたに過ぎない。
よく思い返してみれば、聖は『持ち出した』とは言ったが、『使った』とは言っていない。自分たちの先入観と思い込みで、見事に踊らされていた。さすがは、「雨鷽」だった。
「私が敵でなくて、良かったわね? さっきも言ったでしょ? 二人で挑んで、ダメなら0から見直せって。冷静に考えれば、答えに行き着いたはずよ?」
「・・・言葉も・・・ありません・・・。」
「さっきも言ったけど、あなたたちの技術は、間違いなく一級品。でも、決定的に足りないものがある。それは「経験」よ。若いんだから、「老獪になれ」って言うのは無理があるけど、あまりにも素直過ぎるわ。なんでも額面通りに受け取らず、疑うことから始めなさい。時には、自分すら疑うことが肝心よ。わかったわね?」
「・・・はい・・・。」
「よし! じゃあ、今日の講義はおしまい。コートとブーツは、ちょっと早いけどクリスマスプレゼントよ。これは、額面通りに受け取って。それから、スーツとブーツについては、あとで仕様書をメールするわ。千英に教えておいたアルゴリズムで解凍して。」
「わ、わかりました! 」
「じゃ、これで。Seeya!」
通話が切れた。二人とも、情けない表情でお互いを見つめた。まだまだ、修行が足りない。
「・・・千英・・・ごめん・・・あなたにまで、恥ずかしい思いさせちゃった。」
「お互い様だよ・・・。私も全然、ダメだった・・・。ごめん・・・。」
こういう時、二人は一緒に風呂に入る。そこでまずはさっぱりし、癒される香りに包まれながらちょっと反省し、盛大に話し合う。もちろん、次はもっとうまくやるための話だ。
「くっそー! それにしても、見事にやられたわ。」
浴槽に二人で浸かりながら、由乃が縁に顎を乗せるようにして呟いた。
「『雨鷽』の通り名は伊達じゃないね。・・・でも、ほんとに味方で良かったよ!」
「そうだねー。それだけでも、まずは良しとしなくちゃね・・・。ねぇ、ところで私って、やっぱり人に甘いかな? 簡単に信じちゃう?」
「え・・・それは・・・そうかも。千英の時も、結構すぐだったよね? 自分で盗賊ってバラしたの。」
「あーーー、そうだったーーー。話し始めて、五秒でバラしてたよね、私。」
「うん。まあ、逆に千英は、それで由乃を信用したんだけどね。悪い人なら、最後まで隠そうとすることをソッコーでバラすんだから。『あ、この人は悪くない』って思っちゃった! そういう意味では、私も同類だね! ははは・・・。」
「確かに! あの時まだ、千英を押さえつけたままだったよね?」
「うん、そう。」
要するに、揃いも揃って、『人が好い』のだ。好意的に見てくれる人間にとって、それは素直で可愛げがある、ということになるだろうが、悪意を持って近付いてくる人間には、隙だらけ、ということになる。
「うーん、どうやったら治るかなぁ。」
「簡単じゃ、ないよね。大体、誰彼構わず疑ってかかったら、すごいヤなヤツじゃん!」
「まあ、確かに、感じ悪いよね?」
「でしょ? 由乃がそんなだったら、千英、今ここでこうしてないと思う。」
「それは言える! 私も、千英がそんなんだったら嫌だ!」
そう言って、由乃は千英に抱き着いた。
「う、うわ! ちょっ! まだダメ! 話、終わってない!」
「えー、千英、マジメー!」
「今からいいこと言おうとしてたの!」
「あ、そうなの? なになに?」
由乃は残念に思いながらも、千英から離れた。こういう時の千英の意見は、驚くほどに的を射ていることが多い。
「うん、だからね、簡単に治らないなら、このままでいいんじゃないかな、って。無理して治しても、今までの私たちを知ってる人からしたら、急に感じ悪くなるやつじゃん? 好意的に見てくれてた人たちまで、敵に回しちゃうかも。」
「うんうん、それで?」
「だから、今まで通りに振舞って、でも『あ、コイツ違う』って気付いた時点で、対処すればいいんじゃない? 聖さんの言う通り、『一級品』なら、できるはずじゃん? 対処。」
「まあね。」
「二人いるわけだし、基本的に話は由乃がするわけだから、その時は私が疑いながらやり取りを見てて・・・。」
「千英が話してる時は、私がその役をするのね?」
「そうそう! で、どっちかが気付いた時点で、対応を変える。そうすれば、感じ悪くなってもいいじゃん。相手が悪いんだから。」
「なるほどー。」
「・・・。」
「え? 終わり?」
「うん。終わり。」
最後はいい加減な終わり方になったが、結局はそうやって相手を見抜く目を養いながら、経験を積んでいくしかない、と言いたかったんだろう、ということはなんとなくわかる。話を早めに切り上げたかったのもあるのだろう。千英が期待のこもった眼差しで由乃を見つめてきた。
その顔を見て、イタズラ心が湧いてきた。
「じゃ、のぼせる前に、あがろっか。」
由乃はそう言いながら、本当に立ち上がりかけた。
「えっ!」
果たして、千英が食いついてきた。やっぱり、人が好い。
「なに? まだ話あった?」
「え・・・そうじゃなくて・・・」
「・・・なによ?」
「・・・続きは?」
「なんの?」
「え・・・」
千英が、心の底から落胆したような、寂しそうな顔をする。由乃はもう数ラリーこれを続けて、千英の口から言わせようと考えていたのだが、こんな顔を見せられては、たまらない。勢いよく浴槽に戻り、むしゃぶりつくように千英に抱き着いた。今度は千英も、由乃を止めなかった。
なんだかんだで、浴槽に2時間近く浸かっていた二人は、完全にのぼせ上って洗面所に横たわった。
「あーーー、もう、完っ全にのぼせた。」
「うーーー、気持ぢ悪いーーー。」
二人の異変を察知して駆け付けたジャニスが、周囲を駆け回りながらキャンキャンと吠え、時折二人の顔を舐めた。洗面所に、裸の女二人の唸るようなうめき声が、夜更けまで響いていた。
11 師走
12月に入るとすぐ、由乃と千英はT県とI県で立て続けに「お盗め」を実行した。どちらも大学で、常駐の警備員もおり、最新クラスの警備システムと敷地をくまなくカバーする、大量の防犯カメラが設置されていて、前回のC県の博物館よりも格段に高いレベルを求められたが、二人はなんなく土器や石器、勾玉の類など、22点を盗み出し、組合に引き渡していた。
組合からは、前回の「お盗め」についての経過が報告されていた。千英も同じようにモニターはしていたが、例の博物館が警察や警備会社に被害を申告した形跡は、今のところない。二つの異なる方向からモニターして動きがないなら、それは本当に動きがない、と見ていい。
事が公になるとすれば、3月末と9月末が最も濃厚だ。様々な公的な機関、企業がその時期に決算や棚卸を行うことになる。次いで、6月と12月。つまり、3の倍数月は気を付けなければならないということだ。
今回の大学は、9月に棚卸を実行していた。しかし、千英の調べた限り、収蔵庫の中身がチェックされた形跡はない。帳簿上は「したこと」になっているから、立派な虚偽報告なのだが、どこの大学でも美術館でも、「収蔵庫」とはそういう存在だった。
泊りがけの遠征から戻っている途中で、「組合」傘下の自動車修理工場から連絡が来た。由乃の叔父、秀仁から祝儀にもらった車の改良が終わった、という連絡だった。
フォード・エコノライン。いわゆる「フルサイズバン」という、大型のバンで、海外の映画などでは、SWATやCIAがよく前線基地に使用している。由乃は、この車の運用を千英に任せ、千英の気に入るように改良をさせていた。
6.8リッターのV10エンジンを搭載し、変速機は6速オートマ、ホイールベースは4m近い。後輪はダブルタイヤ仕様で、サスペンションもブレーキも強化されていた。千英はそこから、大型のリチウムイオンバッテリーとソーラーパネルからなる発電システム、各種アンテナを設置させ、車体の中央部にコンソールデスク、冷却システム、電源を増設している。文字通りの、「前進基地」に仕上がっているはずだ。
その一切の改装を引き受けたのが、「斎十商会」という修理工場だった。由乃のミニクーパーもそこで手を加えてもらっている。「修理工場」とは言っているが、旧車の修理販売だけでなく、レース経験を活かしたチューニングを行っており、長年の経験と勘もさることながら、「手に入らない部品は作る」という情熱と、確かな技術を持った、まさに職人気質の名人と言えるオーナーが切り盛りしている。
由乃は、千英が車を斎十商会に持ち込んだ時の、オーナーの様子を思い浮かべて、顔を綻ばせた。小柄で白髪の混ざったもじゃもじゃ頭をサイドバックに撫で付け、顎髭を蓄えているオーナーは、普段は気さくな人柄で、京都弁をことさら軽妙な雰囲気で話すことのできる特技の持ち主でもあったが、車のこととなると一変し、自分で納得がいくまでは、絶対に妥協を許さない。
「こんなん持ち込んで、どないすねん! こりゃ、車上げるのも一苦労だど。どうすんねん、これ?」
工場に入りきらないほどの大型の車を持ち込んだ由乃に悪態をつきながら、それでも従業員にテキパキと指示を出し、他の車を移動して場所を空けてくれた。
いかにも車の工場らしい、車関係の雑誌やカタログ、各種デカールがあちこちに貼られた、お世辞にもキレイとは言い難い事務所で、耳にペンを挟んで千英の要求を聞いていたが、その度に、「無理や!」とか、「なんしか、作らなあかんのぉ」など、独りでブツブツと愚痴をこぼしながらメモを取っていた姿が、まるで娘の無茶を聞いている父親のような感じがして、おかしかったのだ。
オーナーが、「無理や!」と騒いだ大型のリチウムバッテリーを「見えないように積んで」と言った千英の要求が、どのように実現されているのか、今から楽しみだった。
それは千英にも同じことで、初めて車を持つことになるという高揚感が日増しに高まっていたようだった。完全に運転席を再現したシミュレーターまで作ったほどの熱の入れようだった。
既に夕闇の覆う時間ではあったが、二人は斎十商会に向かうことにして、ルートを変更した。
「おう、待っとったで!」
出迎えたオーナーに、途中で買ったビールを、ケースで3つ手渡した。自ら「燃料」と呼ぶビールで、労いの気持ちを現したのだ。
オーナー自ら、改良点を説明して回る。
「うまいこと積んだやろ? バッテリーは表から見えないようにしてあるんでな。」
後部の荷室扉を開いて、中を見せる。車体中央部の右側に空のコンソールデッキが、その向かいに扉付のフェンスラックが備え付けてある。確かに、エアコンの室外機ほどもあるバッテリーは、そこにも見当たらない。
「これ、見てみぃ。えっらい、苦労したど!」
荷室の扉を閉め、リモコンでリフトを操作すると、車体が上に持ち上がった。工場の屋根に車の屋根が触れるほどにリフトを上げても、腰を屈めてでないと下部に入ることができなかった。
車体の下部を覗いてみて、千英が感嘆の声を上げた。後部のサスペンションが、まるっきり別物に入れ替わっていた。リーフ式でなく、前部固定のマクファーソンストラットに変わっている。ロアアームの空いた部分、ドライブシャフトを跨ぐようにして、振り分けたバッテリーが組み込まれていた。
「あのまんまじゃ、どうしたって付かんからな、バラして振り分けたんだわ。でな、燃料タンクも形変えなあかんかった。容量も減ってしまうから、エンジンルームに隙間こさえて、15ℓのタンク二つ積んで、ようやくや。」
まるで、それが全て、と言わんばかりだった。サスペンションの総入れ替えなど、あまり頭になかったかのように聞こえる。
「余計な座席は全部とっぱらったし、ソーラーも載るだけ載せた。コンバーターやなんかは、コンソールの裏や。電源は、100V4つと200V一つな。で、どうや?」
「まさか、ほんとにやるとは思わなかった・・・すごい!」
「アホか! そら、言われたらやるよ! なんや、やらんで良かったんか?」
「ち、違う違う! 言ってはみたけど、どう計算しても見えないように積めるとは思わなかったから! まさか、サスまるごと入れ替えて、バッテリーをバラして振り分けるなんて、想像もしてなかった。」
「えらい頭使うたわ! 冬やのに、頭から湯気出して考えたんや! まるっきり、パズルやど! でっかいように見えて、ほとんど隙間ないねん、この車!」
そう言って、オーナーは詳しい仕様書や強度計算書を挟んだ車検証を千英に手渡した。
「ま、いろいろ変えたとは言え、強度もバッチシやし、車重も元から10kg増で抑えたからな。この車いじるんは初めてやったけど、いろいろ勉強んなったわ。」
これが、このオーナーの尊敬できるところだ。60をいくつか超えているはずだが、現状に満足せず、常に上を目指して積み重ねていくことを、決してないがしろにしない。
100km程度だが、慣らし走行をしてみても、まったく不安はなかったと言う。また、小柄な千英でも運転がしやすいように、ペダル類の位置も変えてあり、シートの調整幅も増やしてあった。この辺りは、千英の注文にははいっていなかったはずだが、きちんと運転する人間のことまで考えた、いかにも職人らしい配慮と言えた。
「ビール、おおきにな!」
二人の満足した顔を見て、オーナーも安心したようだった。笑顔でぴょこっと手を挙げると、バックで出庫する千英の誘導のために、小走りで道路に出て行った。千英もシミュレーターで鍛えた腕を活かしながら、ゆっくりと車を道路に出した。由乃のミニクーパーと並ぶと、その大きさがよくわかる。
千英が先頭で、帰宅の途についた。大通りに出て左折する時まで、オーナーが笑顔で手を振っているのがミラー越しに見えた。
千英の車は、もちろん家のガレージには入れられない。大型のカーポートを発注してあったが、特注品だったこともあり、設置工事は来春の予定だった。
「運転は、どうだった? 後ろからは、上手いなーと思って見てたけど。」
「うん! 最高だよ! 見晴らしが、特に。さすがにバイクから乗り換えだと、加速に不満はあるけど、思ってたより曲がりやすいし!」
「そっか。私も運転の練習しておかなくちゃね。左ハンドル。」
「由乃も気に入ると思うよ? 特に、見晴らしが!」
千英は車からの眺めが、相当気に入ったようだった。あれだけ高さがあれば、確かに気持ちは良さそうだった。それから千英は、遠征の疲れも忘れて、いろいろな小物を取り付けたりしていたようだった。
翌日、大学で人文学の講義を受け終え、教室を出ようとしたところで渡辺准教授に呼び止められた。
「湯浅さん、ちょっと、いい?」
「はい? なんでしょう?」
「大学院に進むつもりって聞いていたけど、今も、そうなの?」
「ええ、そのつもりです。」
「じゃあ、就職活動とかはしてないのね?」
「はい・・・。してませんけど・・・。」
12月に入り、3年生の就職活動もますます活発になっていた。すでに、内内定的な物を手にした学生もおり、そういった噂話が周囲の焦りを生み出していた。卒業の見込みが立ったものからそうした活動に入って行くわけだが、まだ目途の立たない学生も、それなりにいるようだった。
「実はね、関西の大学から、合同で発掘調査をやらないか、って、お誘いが来てるのよ。纒向遺跡なんだけど、湯浅さん、興味ない?」
「えぇ!? もちろん、ありますけど!」
「本当? それでね、一、二年生を何人か連れて行く予定なんだけど、湯浅さんにそのリーダーをお願いできないか、と思って。」
「それは・・・とても光栄ですけど、四年生や大学院の方々は?」
「うん・・・それがね、みんな、自分のことが忙しくて、それどころじゃないみたいなの。あ、来週の月曜から、5日間の予定なんだけど、大丈夫?」
「はい。特に、予定はないので。」
「良かった! 旅費は全額大学で出すし、講義に出席した扱いになるし、院に進学するための経歴書にも書けるから、お願い、できないかな?」
「一応、家族にも相談したいので、返答は明日でもいいですか? もちろん、前向きに考えていますけど。」
「それは、そうよね! うん! 明日でいいから、ぜひ、お願い!」
そう言って、渡辺准教授が手を合わせてきた。相当、困っているようだ。実は、前々から噂にはなっていたが、渡辺准教授は他の考古学、歴史学の教授たちからは受けが悪いらしい。何事もズバズバ言う人だし、若い女性、というのも、お歴々には気に食わない要素のようだった。提出している論文を何件も握りつぶされていている、という話も聞いたことがある。
纒向遺跡と言えば、邪馬台国の可能性が指摘されている、日本でも有数の遺跡だ。いくら個人の用事があるからと言って、四年生や院生の全てが断るとは、到底考えられない。この話が、渡辺准教授にもたらされたことが面白くない教授たちが、嫌がらせのためにそういった学生を囲い込んだ可能性は、十分に有り得た。
渡辺准教授と別れるとすぐ、千英から電話が掛かって来た。未だにリモートでしか講義を受けられないようだが、恐らく二人の様子を仕掛けたカメラで見ていたのだろう。
「由乃! なんの話だった?」
恐らく千英は、スマホを両手で挟むように持ちながら、勢い込んで電話をしてきたのに違いない。由乃は今の話を千英に語って聞かせながら、ピンと閃いた。
「千英、今どこ?」
「え・・・ミニクーパーの中。」
「オッケー、すぐ行くわ。」
由乃はクルッとUターンし、廊下を戻って駐車場へと向かった。せっかく関西まで行くのなら、ぜひ手に入れたい『漬物』がある。
廊下を小走りに進みながら、由乃は具体的な計画を、頭で描き始めていた。
「オツトメしましょ!」⑧
了。
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