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「『努力した』ってのは、結果出したヤツが言うセリフだぜ?」 #心に残る上司の言葉 ①
孤高の上司、その名は「ガンマン」
私がまさにペーペーの頃、職場に「あの人にだけは気を付けろ」と皆が口を揃えて言う「名物上司」がいた。
その名も「ガンマン」。
実は、名前をモジった「通り名」なのだが、比較的珍しい名前だったので、陰口を叩くような人間はすべからく、そう呼んでいた。
「ガンマンのやつ、またやりやがったってよ・・・。」
「一匹狼気取りやがって、ガンマンの奴め・・・。」
こんな感じである。
通常は数名のチームを組んで行うような仕事を一人でやってのけ、しかもどのチームよりも結果を出していたので、妬み嫉みやっかみがそうさせていたのかも知れないが、実際のところは「仕事はできるけど人間性に難あり」の典型のような人だった。
まず、上司の言うことを聞かない。
徹頭徹尾、自分のやり方を貫く。
気に食わない仕事は余裕で断る。
出勤時間は勝手にフレックス。
服務規程などどこ吹く風の生活態度。
一事が万事、そんな感じなのだが、仕事だけはべらぼうにできる。
職場ではいつも一人。
忘年会や送別会など、声を掛けられもしない。
私は個人的にとても興味を引かれたのだが、そこはそれ、まだ長い物に巻かれたい年頃だったので、みんなと同じように距離を取りつつ、与えられたタスクをこなす日々だった。
とうとう事件が起こる
そんなある日、とうとう事件が起きた。
上司に当たるT部長とガンマンの口論が、一般執務室で繰り広げられたのだ。
内容的には、T部長が終わらせるはずの業務が期日までに終わらず、遅れる旨の連絡すら入れていなかったことについて、ガンマンが部下の前で問い質す、という感じだった。
しかし、この場合、非はT部長の方にあると言えた。
三日も遅れているのに連絡もなしでは、仕事が回るわけもない。ガンマンでなくたって、そりゃ何か言いたくなるだろう。
「こ、こっちだって、一生懸命努力してるんだよっ!」
冷静に、そして一方的に理詰めるすガンマンに、とうとうT部長がキレた。もろに逆ギレだとは思ったけど、ガンマンの方にも言い方とか、場所を選ぶとか、配慮は必要だったと思う。
しかし、ガンマンは畳みかけるようにこう続けた。
「努力ってのは、結果を出した人の言うセリフですよ。結果の出てないのは、徒労って言うんです。努力は必ず報われるって言うでしょ?」
「私はね、自分で努力してるって人間を信用しないことにしてるんですよ。ほんとに努力してる人間は、そんなこと言う余裕はないはずですから。」
「大阪に行きたいのに、青森に向かって汗だくで走っても意味はないでしょ。」
その時のやり取りを見ていた私は、なぜか「なるほどなー」と納得してしまった。もちろん、今は「過程」にも重要な意味があることは弁えているつもりだが、その時はほんとにその言葉がストンと腑に落ちた。
言われてみれば、その通り。
「努力は必ず報われる」は、要するに「結果が出るまで諦めるな」ということで、やみくもにがんばっただけではダメなんだよ、努力の仕方を考えなさいね、という意味合いがあるように思う。「徒労」も、読んで字の如く、「徒に労する」ということだろう。
「自分の努力」を見直すようになった。
この事件以降、私は「自分の努力」を第三者目線で評価する癖がついた。
方向性は正しいか、時間の使い方は適正か、省ける無駄はないか。
そして、徒労になっていないか。
「結果」とは、すなわち「小さな成果」の積み重ねだと思っている。
だから、途中の段階で「小さな成果」が見えてこない仕事は、どこかしら見直す必要があるのだ。
これを、八割方進めてから気付くのと、三割段階で気付くのでは、結果が出る頃には大きな差になってくる。時間的にも、予算的にも。恐らく、労力もそれなりに変わってくることだろう。
この事実は、その後の私の自分の人生に大きな影響を与えるものとなった。
仕事だけではなく、あらゆる自分の行動について見直すクセが身に着いたのだ。
そしてこの行動が私の人生に与えた影響は、非常に大きい。
人生は有限である。
その有限の時間から「無駄」を省くことは、そのまま「自分の人生をより充実したものにする」ことに繋がる。
私はよく、「人生何回目?」と人に聞かれることがある。
人から見れば、私の達観具合というか、年齢に見合わない老獪さが不思議でたまらないらしい。
記憶にある限り、私は一回目の人生を生きている。
しかし、人生に付き物の「決断」や「選択」を迫られる場面で、必ず数通りから、重要な決断の際には数十通りのシミュレーションを行うことを常としているから、そういう意味では「何人分か」の人生を歩んでいると言えなくもない。
そしてこれら全てが、元は「ガンマンの言葉」に繋がって来る。
ガンマンも「人間」だった。
私はその職場からガンマンよりも先に離れたので、その後のことは知らない。
退職の時も、見送りにすらこなかったのでこちらから押し掛けてやったのだが、あいにく不在だった。
それから、ガンマンの言葉だけが心に残り、私は別の世界で生きていたわけだが、ある時、某ショッピングセンターで買い物をしている「ガンマン」に行き遭った。
ふくよかで、ニコニコ笑顔の奥さんと高校生くらいのお嬢さん、中学生くらいの息子さん。あまりにも当たり前の「家族」過ぎて、そして私の想像する「ガンマン」のイメージからかけ離れ過ぎていて、何度も見間違いを疑ったが、あのポルコ・ロッソみたいな声は、間違いなくガンマンのものだ。
「ガンマンも、人間だったか・・・。」
家庭では、どんな夫で、どんな父親なのだろう?
またもや私の興味は尽きなかったのだが、ついに声を掛けることはできなかった。
今なら恐れることもなく、普通の会話が楽しめただろうになぁ。
つくづく惜しいことをしたと、今更ながらに悔いている。
とは言え、それも人生。
タイミングの合わない人とは、とことん合わないものなのである。
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