小説「オツトメしましょ!」⑳最終話
24 決戦
東京港に浮かぶ、通称、「新令和島」。令和島の西側に造営された新しい埋立地だった。一時期は、ここに大きなカジノの誘致が検討され、いずれは舞浜とも橋で繋いで、子供から大人まで楽しめる、一大エンターテイメント施設を建設しようと、気勢が上がったこともあった。しかし、今ではその勢力は鳴りを潜め、建設途中で打ち捨てられた建物が数棟取り残されただけの、だだっ広い野原と化している。
由乃が呼び出された作業班のビルは、ここにあった。6階部分まで作られ、そのまま放置されていたビルを、ただ同然で「委員会」が手に入れたものだった。敷地は高い鉄のフェンスで囲まれ、足場が組まれたままで、落下防止のために張られたネットが、そのままになっている。おかげでこのビルは、とても目立つが、中で何が行われているかは外から窺い知ることができない。
時折、このビルから悲鳴が聞こえると話題になり、「心霊話島」と呼ばれた時期もあった。視聴数稼ぎの配信者がポツポツ現れ始めた頃、その噂はあっという間に聞かれなくなり、今では訪れる者もいない。界隈では、「アソコはマジだから、絶対に近付くな」と言われていると言う。
この「島」に入るには、北側の若洲から延びる道路か、東側の令和島から延びる道路を通るしかない。普段はゲートが閉じられているが、今日は瑛吉の指示で、どちらも開放されていた。
「若洲方面から、車が一台。古いミニバンです。」
23時50分、道路を見張っている男から、信二の持つ無線機に連絡があった。信二が瑛吉に視線を送ると、瑛吉は静かにうなずいた。
「よし、恐らくそいつが笹鳴だ。若洲方面を固めろ。令和島班は念のため0015まで待機、動きがないなら、戻ってこい。」
無線機から、次々と受領通知が送られてきた。続いて、ビルの前庭を照らし出すように配置された投光器のスイッチが入れられ、敷地が明るく照らし出された。
瑛吉はここに、30名の手下を潜ませている。作業班の人数だけでは足りないので、元手下で、掟に触れて、組合から切られた人間や、付き合いのある海外勢力から借りた人間も含まれていた。当然、全員が武装している。その多くは木刀やナイフ程度の物だが、瑛吉や信二は、銃も携帯していた。
二人は、前庭が全て視界に入る、3階の広い部屋にいた。ここが指令室となっていて、作業班の中枢とも言える場所だった。普段瑛吉のいる班長部屋は5階に、信二のいる部屋はこの上の4階にある。今、この指令室には、二人の他に2名の手下がいて、監視業務とこまごました無線のやり取りを行っている。
二人が並んで、窓から前庭を見下ろしていると、報告にあったミニバンが敷地に入って来て、ライトを消した。すぐに、敷地入り口の鉄扉が閉められる
運転席のドアが開き、運転していた人間が降りてきた。ぴったりとしたトラックスーツに身を包み、頭はパーカーのフードで隠されている。一見して女と分かる体型で、瑛吉はそのスタイルを見て、下卑た笑みを浮かべた。手長より、こっちの方が全然いい。
女は、閉められた門扉を一瞥すると、運転席のドアを閉じ、両手をパーカーのポケットに突っ込んだまま、立っていた。こちらからの指示を待っているようだ。
「車内には他に誰もいません。一人です。」
車を視認できる位置の人間から、報告が送られてきた。こちらの指示通り、一人で来たらしい。
その報告を受けた信二が、手下からマイクを受け取って、静かに話し出した。
「両手を出して、顔を見せろ。両手は、頭の上だ。」
場内のスピーカーから、信二の声が敷地内に響いた。
その頃、千英は何とかして拘束服を脱ごうと、身を捩ってもがいていた。両腕は胸の前で交差するようにされていて、肩関節を外す余裕がない。だが、少しずつ、服の位置をずらすことに成功していた。右腕の締め付けはどんどん強くなるが、左腕に僅かだが、動かせる余裕ができてきた。もう少し、余裕が欲しい。あと、5mmでいい。
事務机の後ろにある窓に、人の気配を感じて顔を上げた。ビルの外に、由乃が立っていた。由乃は窓から室内を覗き、他に誰もいないことを確認すると、ガラスカッターで窓に穴を開け、そこから手を伸ばして錠を外し、室内に入って来た。
「んんん! んんん!」
千英が声にならない声を上げると、人差し指を口に当て、声を出すなとジェスチャーを送ってくる。千英はうなずいて黙った。
由乃は無言でナイフを取り出すと、千英の拘束具の皮バンドを切り始めた。すぐに両手が動くようにはなったが、長い袖が椅子の後ろで結ばれているため、まだ自由にはならない。由乃はナイフを拘束服の隙間に入れ、服自体を大きく裂いた。その間も、由乃は小さく千英、千英と呟きながら、千英の目から視線を外そうとしない。その目に、みるみる涙が溢れてきた。それを見て、千英も涙を浮かべた。
やっと、上半身が自由になった。千英が一番最初にしたのは、さきほど瑛吉に舐められた頬を、拘束服の吐しゃ物で汚れていない部分で拭き取ることだった。これをどうにかいしない限り、由乃に抱き着くこともできない。由乃まで穢れてしまう。
その様子を不思議そうに見ていた由乃は、すぐに気を取り直し、下半身の解放にかかる。拘束服の上から、ナイロンバンドで足が椅子に固定されていた。素早くそれを切って身体を起き上がらせると、待ちかねたように千英が由乃の胸に飛び込んで来た。声を殺して、泣いている。口枷は、千英が自分で外していた。
「千英、千英! 」
「よ、しのーーー!」
お互いに小声で名前を呼び合うのが、精一杯のところだった。ひとしきり抱き合った後、身を離し、千英の顔の汚れを拭きながら、状況を説明した。
その時、外で大きな爆発音が起きた。
女は、ゆっくりとポケットから手を出した。その手に、何かが握られている。瑛吉や信二が異変を感じ、警告の叫びを上げると同時に、女は半身を返して両手を開き、ビルの正面口と敷地入り口に向けて、次々に何かを発射した。
飛翔した光の尾を引く物体は、着弾すると激しい光とともに、無数の火花を散らした。まるで太陽を直視した時のような眩しさに、3階にある、無灯火の指令室までが、昼間のように明るく照らし出された。
手で顔を覆うようにしていた瑛吉と信二が、光の闇から立ち直ると、前庭では体のところどころに小さな火の着いた手下たちが、闇の中で踊るようにしながら、必死に衣服に着いた火を消そうと躍起になっていた。恐らく、1階のロビーでも、同じような光景が繰り広げられているに違いない。
その飛翔体を撃った女は、既にミニバンに乗り込み、敷地の外に向けて車を返している最中だった。
「くそっ! やられた! おいっ! 全員5階に集めろ! 俺の部屋だっ!」
「こっちは終わったわよ! 順調に逃走中! ごめん、車はボコボコ!」
「ありがとう! 車は適当に捨てていいわ! 無事に逃げてね!」
「はいはーい!」
由乃と千英は、無事にビルを脱出し、既に裏手の水路近くまで逃走していた。イヤホンから聞こえてきたのは、美雨の声だった。
「今の、美雨!?」
「そうよ。偽造を依頼したの。私のね。」
「ははっ! なるほどね! ところで、私たちはどこに向かってんの? こっち、何もないよ? 海以外。」
「まあまあ、それは着いてからのお楽しみよ。」
由乃は、走りながら千英にウィンクして見せたが、この暗闇では見えたかどうかはわからない。二人はそのまま、島の端、コンクリートの防波堤まで走った。
海の上に、ぼやけた裸電球の点いた一艘の船が浮かんでいた。由乃は迷いなくその船に飛び移ると、間もなく、千英も飛び移って乗り込んだ。それは、養殖業で使うような、小さな和船だった。
「いいわ! 出して!」
由乃がそう言うと、船のエンジン音が高まり、船は驚くほどのんびりと、防波堤を離れた。船の後部で、船外機を操作している人物を見て、千英は仰天した。
「あ! アイツ!」
「Wさんよ。本名は、名乗りたくないって。まだこっちにいたから、応援を頼んだのよ。」
帽子を被り、マスクで顔を覆った男は、千英の声に気が付くと、軽く右手を挙げた。釣られた千英が、呆けたような表情で同じように右手を挙げる。
あの時、由乃は真っ先に、Wのことを思い出した。バッグに忍ばせておいた携帯をダイヤルすると、7コールで本人が出た。事情を伝え、頼めた義理ではないが、と前置きしてから話をし、残った品々を集めて渡すことで、協力を承諾してくれた。本当は、正面からは由乃が乗り込み、時間を稼いでいる間に、千英の救出を依頼しようと思っていたのだ。Wの身体能力なら、力技だけで千英の救出は可能なように思えた。
だが、協力を得られたことで、由乃はもう一人、「組合」も「委員会」も関係性を掌握していないだろう人物がいることを思い出した。それが、美雨だった。美雨の方は、「自分を偽造して欲しい」という依頼を出して承諾させた。というより、美雨は由乃が引くほどに積極的で、事情を伝えると、一も二もなく飛びついてきたのだ。美雨は前々から、こういう冒険を望んでいたのだという。そのためなら、多少の危険は喜んで冒す、とまで言い切った。
そして、美雨を引き入れたところで、これから行われる「仕上げ」が可能になった。由乃はスマホを取り出すと、ある番号にリダイヤルした。
明神の瑛吉が先頭になり、駒止の信二が後に続き、班長部屋の扉を勢いよく開いた。二人とも、その手には拳銃を握っていた。それを構えて、室内に踏み込む。だが、すでに千英がいた椅子は空になり、椅子の足元に切り裂かれた拘束着が捨てられていた。奥の窓が開け放しになっている。
「くそっ! 逃げられた! おい! 車を追わせろ! どこかで合流するはずだ!」
瑛吉が窓から身を乗り出すようにして周囲を確認するが、二人の姿は見当たらなかった。信二が遅れてついてきた手下に命令を下し、無線でも同じことを指示したが、そう簡単にはいかないだろう、と考えていた。
あの火花は、粘着性の可燃物質のようだった。外の連中は転げ回って火を消そうとしていたが、いったん消えたと思っても、すぐに再燃するのだ。一階ロビーの状況は、こちらに向かいながら、カメラの映像をチラッと覗いただけでも、かなり燃え広がっていたようだ。ほとんどの人間が、その消火に追われているはずだ。現に、ここにも二人しかついてきておらず、無線指示についてもどこからも応答がない。
その時、信二のスマホが着信を告げた。画面を見ると、笹鳴の由乃からだった。もはや、電話を掛けてくる余裕すらあるらしい。
「・・・なんだ?」
「すぐにそこから逃げ出しなさい。もちろん、手下も連れてね。それから、車には近付かない方がいいわよ。」
「なに? ふざけたことを言うな! またすぐに捕まえてやる!」
「ふふ・・・好きにしたらいいわ。でも、忠告したわよ?」
それだけ言うと、通話が切れた。その様子に気付いた瑛吉が、信二に詰め寄った。
「誰からだ! どうなってる? 捕まえたのか?」
「いえ・・・笹鳴からです。すぐに、手下を連れて逃げ出せ、と。」
「なにぃ? あのアマ! なめくさりやがって! 委員会に盾突いて、無事に済むと思うなよっ!」
「いや、ありゃあ、脅しじゃねぇ。すぐに逃げた方が・・・。」
「あ? 手前まで、日和やがって!」
そう言うと、瑛吉は手にした拳銃の引鉄を引いた。3発の銃弾を受けた信二が、口から血を吐きながら吹き飛んだ。
「ざまぁ見ろ! 前々から、気に食わなかったんだよ!」
瑛吉はそう言うと、踵を返して班長部屋を後にした。残された信二は、薄れゆく意識の中で、自分が付き従う人間を間違えたことを後悔しながら、自嘲気味に薄く笑った。
「笹鳴の・・・お頭と・・・腕を、ふるって見たかったなぁ・・・。」
最後にそう呟いて、信二は絶命した。
「ホーリー、ワーブラー、アタックアタックアタック」
「ヤー。」
それだけで、スマホを仕舞い込んだ。その時、真っ黒の物体が、特有の風切り音を残して、高速で船の上空を通過した。その、数秒後、今二人が逃げ出してきたビルが爆発した。上空から、炎の矢が立て続けに敷地に向かって飛んでいき、次々と爆発が起きた。
一気に階段を降りた瑛吉は、一階ロビーの惨状を見て、思わずたじろいだ。火災はどうしようもないレベルで広がっていた。熱気が階段まで押し寄せて来ていた。もはや、追跡どころではない。まずはここから逃げ出さなければ。
その時、どこからか、糸を引く高音が聞こえてきた。その数が増して・・・。
ドォオオオン!
大きな音と共に、ビルが大きく揺れ、瑛吉は床に倒れ込んだ。あちこちから悲鳴が上がり、ビルを囲んでいた足場が崩れ、入り口を半分ほど塞ぐ。その後も立て続けに爆発が起こり、そのたびにビルが大きく揺れ、軋み音や金属の折れる音がそこら中に響いた。
その音が止むと、全員が立ち上がり、一気に玄関へと殺到する。瑛吉も手下を押しのけるようにして外に出ると、駐車してあった車が、すべて炎上していた。
「な・・・何が・・・何が、起こった?」
そう考えた時、瑛吉は頭に強い衝撃を受けて、意識を失った。防音ネットで支えられていた、足場を接合していた金具が落ちてきて、瑛吉に当たったのだ。
「うわーーー! ヤバ! えっ? ミサイル???」
「ミサイルなら、とっくに建物は跡形もないわよ。あれは、ロケット弾。」
「いやいやいや! ここ、日本だよ?」
「何言ってんの。定期的に、ミサイル飛んできてるじゃない。北から。」
「そ、そうだけど! 着弾はしてないよ! 爆発も!」
「ちょっと、お願いしたの。」
そこから、約1万キロ離れた暗闇で、聖が作戦完了の報告を受けていた。聖は、上空から見下ろした爆撃の効果に、満足した様子だった。投入したドローン3機は、すでに横須賀沖の米軍艦艇に着艦したと言う。今の映像は、静止軌道上にある衛星からの映像だ。見た感じ、人的被害は微少。恐らく、直接の死者はいないだろう。ビルの屋上と、車6台を破壊したのみだ。
「湯浅家を、なめるんじゃないわよ・・・。」
聖はそう呟くと、モニターの電源を落とした。ここから先は、兄、秀仁の出番だ。間もなく、現場に警察と消防が到着する。科学鑑定で、爆薬が使われたことが判明するだろう。自動的に、兄の出番となる。全てを有耶無耶にし、廃ビルでガス爆発が起きた、というような感じに決着するはずだ。すでに、聖の上司である米国の国防長官から、日本政府の上層部に話は通してある。その事実も、秀仁を助けるに違いない。
由乃と千英を乗せた和船は、若洲ゴルフ場の脇で停船し、そこで二人は船を降りた。
「じゃあ、手はず通り、船は戻しておいてね。約束の品物は、近日中に届けるわ。」
「む、わかった・・・これを、返して、おく。」
「ああ、いいのよ。受け取っておいて。何かと必要でしょ?」
「だが・・・。」
「いいのよ。本当に、ありがとう。この恩は忘れないわ。何か困ったことがあったら、連絡をちょうだい。」
「む・・・。」
そして船は、闇に溶け込むように消えて行った。由乃はWに手持ちの200万を丸々渡していた。船を借りて、燃料を入れるのにどれくらいかかるのかわからなかったからだ。Wは残りを返そうとしたが、由乃は受け取らなかった。人間社会に溶け込めない以上、金を稼ぐ手段は乏しいはずだ。だが、Wにも数少ないながら、支援者がいるようだった。船は、そうした人間の一人から借りたものらしい。助けを得て、彼本来の目的を、無事に果たせるといいが。
25 翌朝
翌日のニュースでは、新令和島での爆発事故が、大きく報道されていた。建築途中で放置されたビルで、大規模なガス爆発があったらしい。消防が消火活動を終えた後、ビル内を捜索すると、中から拘束されていたらしい人間数名を助け出し、現場にいた人間15名程度が警察に逮捕されたと言う。どうやら、どこかの反射組織のアジトのようで、逮捕された中には多数の外国人や、指名手配中の者も含まれていたと言う。
また、明らかに射殺されたと見られる男性の遺体も見つかった、とのことだ。すでにその犯人と思しき人物が、凶器と共に逮捕されているらしい。
現場では、他にも多数の銃器や、ロケット弾の破片のようなものまでが発見され、日本の首都、しかも、大きなリゾート施設からも程近い場所に、これだけの闇が迫っていた事実を、アナウンサーが驚愕した様子で伝え、コメンテータ―がそれを補強するコメントをしていた。
そのニュースを、自宅のリビングで見ていた由乃と千英は、束の間の平和を味わっていた。この後、二人は組合の聴聞会に参加することになっている。由乃はその後、警察にも出頭しなければならない。もしかしたら、大学も放校される可能性があった。
間もなく、父が迎えに来ることになっていた。帰宅すると、聖から連絡を受けていた権蔵や克仁、伊十郎までが二人を出迎え、事の顛末については話が終わっている。今日は、伊十郎の報告を年寄がどう受け取り、どのように処断するかが伝えられる。
二人とも、泣き腫らした顔をしていた。由乃は、千英を無事に助け出せた安堵と、事実を事実として受け止め、すべてを受け入れてくれた家族に対する、感謝の涙だった。千英は、自分の不注意で招いた結果のために、由乃の立場が危うくなり、警察に逮捕されるかも知れない、という事実を突きつけられた、悔悟の涙だった。
26 終章
あの事件から、10日が経過していた。聴聞会の結果は、お咎めなしだった。明神の瑛吉の、組合の職務とは関係のない、数々の悪行が表沙汰にされたのだ。駒止の信二は、瑛吉との会話をほとんど全て録音し、自分の死後にそのデータが組合に渡るように、手はずを整えていた。その中に、千英を誘拐した際のやり取りや、他にも特定の年寄との金と欲に塗れた会話までが、克明に残されていた。当然、その年寄の瑛吉への過分な肩入れも、問題とされた。
ここは公にはされなかった部分だが、その年寄は権蔵と因縁のあった人間だった。元手下だったその年寄は、若い頃のお盗めの現場で、あろうことか女を犯そうとした。もちろん、それは権蔵によって未然に防がれ、激しい制裁を受けて破門された後、経済界で成功を収め、権蔵への復讐を心に秘めて、組合の年寄として戻って来たのだ。だが、権蔵はその時には隠棲しており、積年の恨みは孫の由乃に向けられた、という訳だ。
事態を重く見た組合は、これに掛かる全ての痕跡を消し去りに掛かった。その中には、由乃の大学構内での器物損壊事件も、その後の暴走行為も含まれた。結局、由乃はどこからもお咎めを受けることなく、聴聞会の翌日から大学に戻っている。
また、駒止の信二については、その功績が組合に認められ、頭分としての保障を家族が受け取れることになった。それは、幼い子供二人が、無事に生育するのに十分な金額だった。この件に関しては、権蔵、克仁、伊十郎、そしてもちろん由乃と千英が、連名で組合に強硬に申し出た結果とも言える。
駒止の信二が、由乃や千英を助ける目的でそうしていたかどうかは不明だが、結果的にそうなったのは、間違いがない。由乃は、最初に掛かって来た信二からの電話は、瑛吉の許可を得ない、独断のものだと考えていた。あの時、信二に止められていなければ、事はこんな風に収まらなかったはずだ。誘拐に「委員会」が絡んでいると知ったから、その後の由乃の動きが変わった。だから、由乃は最後の瞬間、瑛吉ではなく、信二に電話を入れたのだ。
「じゃあ、行こうか。」
千英がフォードの運転席で、助手席の由乃に声を掛けた。今夜は、Wとの約束を果たすため、都内某所の博物館に来ていた。Wは、ここに収蔵されている鎌倉時代の鉢金を手に入れたがっていた。
由乃がうなずいて、フォードから滑るように降車し、その前で左手を差し出した。その手を、千英が握る。二人は顔を見合わせると、小首を傾げた。
「それじゃあ、今夜も!」
「オツトメしましょ!」
滑るように敷地を進む二人を見つめるのは、夜空を明るく照らし出す、丸い月だけだった。
豪華な和風住宅の、広い和室の中央に、一人の老人が、いかにも豪華な金刺繍が施された布団に包まれて、眠っていた。
その枕元に、藍染の装束に身を包んだ小柄な人影が、老人を跨ぐようにして佇み、その寝顔を黙って見つめていた。
やにわに、その人影が、寝ている老人の頬を、軽く叩いた。老人が目を覚まし、目の前の人影に気付いて悲鳴を発し掛けた時、その口と鼻を塞ぐように、左手が添えられた。老人はもがいたが、人影はその胸の上に腰を下ろして、その動きを封じた。
右手で、口元の覆面を下ろす。その顔を見て、老人の目が、さらに大きく見開かれた。
「久しぶりだな・・・。やっぱり、おめぇはあの場で殺しておくべきだったよ・・・。俺の甘さが、孫娘たちにまで迷惑を掛けることになっちまった・・・。」
左手の下で、老人が必死に首を振る。正確には、振ろうとして、振れなかった。
「へっ・・・。俺より十も年下のくせに、だらしのねぇ。明神の、八十吉よぉ。もう、十分だろうよ、黙ってあの世に逝きな。おめぇを、長く生かし過ぎちまった、せめてもの、俺のけじめさ・・・。」
人影の手の下で、老人がガクガクと痙攣した。やがて、見開いていた目がぐるんと裏返り、最後の抵抗も収まった。人影は、それから3分近く手を離さず、そのまま老人を見守っていたが、徐々に元の位置に戻って来た眼球の瞳孔が、完全に開いているのを確認すると、静かに手を離した。
そのまま、一陣の風のように、天井に開いた穴に飛び上がると、やがてその穴に、天井板が何事もなかったように戻った。
後には、静寂だけが残されていた。
「オツトメしましょ!」⑳ 最終話
了。
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