株式投資の配当金で年間120万円の不労所得を手に入れるまで その2
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今回からは各時期に分けて具体的にどのような行動をしたか、銘柄に投資したかを、覚えている範囲になりますが書いていこうと思います。
2013年 新卒入社地方配属
まずは2013年に私が新卒社員として会社に入った時から、その後経理として転職し、精神疾患を患うまでを書いていきます。
新卒で入った会社は東証一部(当時)上場の中堅企業でした。
給与はあまり高いとは言えず、初任給は20万円程度。
私は最初地方の工場に配属となったため、近くにある会社の寮に入り生活することとなりました。
ただし、家賃に関してはかなり安く、水道光熱費を含めても7,000円程度と破格でした。また飲み会の回数はプライベートも含めてかなり少なかったことと、私自身が小食であることから、月の食費も45,000円程度だったと思います。基本的にコンビニ飯です。
大学時代から私は本を読むことが好きでした。大学時代に読んだ本の中に、北康利さんの「陰徳を積む 銀行王安田善次郎」という安田善次郎の伝記がありました。
安田善次郎と言えば、銀行王として安田銀行(後に富士銀行を経て、現・
みずほ銀行)を中心に安田生命(現・明治安田生命)や安田火災保険(現・損保ジャパン)、東京建物などを設立した安田財閥の総帥です。
その安田善次郎が働いていた時にしていたこととして、給与の2割を貯蓄に回し、残りで生活するというものがありました。
私は安田善次郎に習い、初任給一月目から給与の2割を貯蓄に回すこととし、手を出さないお金としました。もっとも実際は給与の2割以上の金額が余ったため、その分も後に投資資金として使用することになります。
2013年は初代NISAが始まった年でした。イギリスのISAを日本に取り入れたもので、日本の(N)ISAということでNISAだそうです。
内容は投資信託や株式に投資をしたうち、NISA口座に入っているものについては配当金や利益を非課税とするもので、現在のNISAと変わりません。ただ変わっているところと言えば、当時は年間100万円までしかNISA口座に預けることができませんでした。
普段は新卒社員として工場の仕事で忙しく、休みを取ることもできなかったので、私は12月にある会社の冬休みを利用して三菱東京UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)にNISA口座を開設しに行きました。
なぜ三菱東京UFJ銀行を選んだのか。それは新卒での就職活動の際に対応がとても親切だったからです。週刊ダイヤモンドだったか忘れましたが、当時の「就活生に評判の良い会社ランキング」で三菱東京UFJ銀行は上位にランクインしていました。そのような思い入れがあり、口座を開くなら三菱東京UFJと決めていたのです。
当初は老後の年金対策のためとして資産運用を行うつもりでした。私が大学生の頃から日本の年金制度は将来的に破綻するといった話が出始めていたからです。破綻はないと考えていましたが、年金支給額が大幅に減らされることは容易に想像できました。
このころ読んでいた本に、故山崎元さんの書いた資産運用に関するものがありました。その中で「資産運用をするなら全世界に投資をする投資信託一本で良い。これなら世界の経済成長に合わせて投資額も成長していくから、世界経済が停滞や衰退しない限りは資金が増えていく」といった旨の言葉がありました。
私はその本の内容をもっともだと考え、世界に投資をするような投資信託を購入しようと決めていました。
当時、現在存在している「全世界株式インデックスファンド」通称オルカンが存在していたかは覚えていませんが、私が購入したものは「e-Maxis日経225インデックス」と「e-Maxis先進国株インデックス」でした。
この2つは文字通り、日経平均株価に連動する運用を目指す投資信託と、米国をはじめとする先進国株に投資をする投資信託でした。この2つを併せ持つことで世界経済に投資をするということとしていました。
最初は100万円の貯金なんてありませんでしたので、少しずつ投資をして2014年のNISA枠上限である100万円を埋めました。
2014年 東京本社異動
仕事の方は2014年4月に東京本社に異動となり、実家通いとなったため家賃の支払いが無くなりました。
同年に父が住信SBIネット銀行に口座を持っており、定期預金をキャンペーンの高金利で預けていることを知りました。またネット証券の存在を知り、手数料や取り扱っている商品の数などが銀行よりもはるかに充実していることを知りました。
2015年 SBI証券口座開設
NISA口座を開設して1年程度でしたが、私は早々に三菱東京UFJ銀行のNISA口座を閉鎖し、SBI証券にNISA口座を開設しました。その際、三菱東京UFJ銀行に預けていた投資信託は特定口座に入れたまま、5年以上放置していました。SBI証券に口座を開設したのは、私が住信SBIネット銀行の口座を開設しており、同行との連携により当時は高い金利でお金を預けることができたからです。
2015年からはSBI証券のNISA口座を使って「ニッセイTOPIXインデックスファンド」と「ニッセイ外国株式インデックスファンド」に投資をしました。両方とも投資信託で、日本株の指標であるTOPIXと、先進国以外も含めた外国株式に投資をするものでした。三菱東京UFJ銀行に預けた時よりも全世界に投資をしている感が強くなりました。
2015年のNISA投資枠はこれらのインデックスファンドに100万円の上限いっぱい投資をしました。また並行して、住信SBIネット銀行のキャンペーン金利定期預金に余剰資金を預けていました。
2016年 ETFを知る
私の資産運用の勉強は止まりません。今度はETFという金融商品があることを知りました。
ETFというのは「上場株式投資信託」のことで、普通の株式のように市場で売買ができる投資信託のことです。これの魅力は投資信託よりも運用手数料が安いことにありました。
ETFの存在を知った私は投資信託と一応は迷いましたがETFでの運用を行うことを決心しました。購入したのは「MAXIS TOPIXインデックスファンド」「MAXIS 外国株式インデックスファンド」それと「SPDRゴールドシェア」です。前者2つはニッセイ投資信託と同じ指標を用いるETFですが、これに加えて現物資産である金に投資をするETFを購入しました。株価が大暴落するような事態になったときのリスクヘッジのためです。
2016年もNISA枠の上限額までこれらETFに投資をしました。
2017年 転職
2017年は私の人生にとってターニングポイントとなりました。転職の事情は本題とズレるので書きませんが、秋口から大手企業の子会社に経理会計部門の社員として働くことになりました。
退職したときの年収は額面で約380万円。仕事が忙しかったことや、会社が有給を取らせてくれないこともあって旅行などもろくに行くこともなく、そうすると本くらいしか趣味もなかったため、運用資産も含めて総資産は800万円ほどとなっていました。
2017年も相変わらずETFへの投資をNISA枠上限まで行い、すぐに使わない資金は住信SBIネット銀行の1年定期預金に預けていました。当時は頻繁にキャンペーンを行っていたため、比較的高い金利で預けることができていたのです。まあバブル期などに比べれば雀の涙ほどですが…。
2018年 はじめての出張
「はじめてのおつかい」ではないですが、仕事で初めて泊りの出張に行きました。資産運用については特に目新しいことはありません。給与も年収360万円程度で変わりません。
ただこの年に運用資産含めて総資産が1,000万円に乗りました。内訳は現金45%程度、定期預金30%程度、投資運用に25%程度です。
投資による資産運用に関してはNISAの枠以上に投資をしておらず、個別株にも手を出していませんでした。そのため投資運用の割合はあまり高くなく、毎年15~25%程度で推移しています。
つまり1,000万円を達成する原動力はほとんど貯金だったということです。仕事ばかりでお金を使うことがなかったことと、少額の投資運用では大した成果が得られなかったということが原因となっているのでしょう。
この年から少しずつ「旅行に行く」ということを覚え始め、いろいろと遊びに行くようになります。それにつられて出費も増えていきました。
2019年 年収500万円に乗る
2019年には出世して年収が500万円に乗りました。
また中小株が儲かるという話をどこかから聞きつけ、「One ETF JPX日経中小型」というETFを買い始めました。もちろんNISA口座の範囲内です。
遊びにお金を使い始めたことで出費は増えましたが、出世したことで入金額も増えました。
またこの年から個人型確定拠出年金、現在で言うところのiDeCoがスタートしました。この制度にも資金を上限いっぱいまで費やしました。
1年でNISA枠投資と評価益、iDeCoも含め、大体200万円は資産が増えていました。
2020年 年収約550万円
2017年に転職をしてからトントン拍子に出世したことと、仕事が忙しくて残業が多かったため年収は550万円近くまで上がりました。
相変わらずNISAとiDeCoは続けており、それ以外は投資をしていません。この年は持ち前も筆不精が発揮され、資産の記録がありませんでした。
元々私は面倒くさがりなんです。今まで記録が残っていただけ奇跡なんです。勘弁してください。
2021年前半 精神疾患による休職
元々2020年辺りからメンタルの調子が悪く、周りからも休むようアドバイスをもらっていたのですが、仕事中に涙が止まらなくなったり、座席に座っていることも困難になったり、悪夢にうなされる日が多くなったりと色々症状が出始めます。
そして5月に通勤電車の中でパニック発作を起こして立ち上がれなくなり、それがパニック障害に発展して会社に行くことができなくなりました。
精神科にかかった結果、うつ状態とパニック障害という診断が出て休職することとなりました。
この年も筆不精が発動し、資産の記録はありません。ただ5月にはNISAやiDeCoも含めた数字ですが、総資産2,000万円に乗っていたようです。
それから…
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