【ド級の感想文】今更ドリトライを読んだ【ドくしょ感想文】
こんにちは、れんかと申します。
今回は、天下の週刊少年ジャンプにて19週に渡り大いに読者を楽しませ、連載終了後も今に至るまで多くのファンを魅了し続ける永遠の話題作【ドリトライ】の感想記事となります。
ネタバレを多分に含む内容となっていますので、お前のしょうもねぇ感想記事に汚される前に青空の拳闘を見届けてやらあ!という心の強ぇ方は、ぜひ本編を読んでみてください。
ちなみに、こちらのリンクから購入されても僕には一銭たりとも入らないのでご安心ください。では、なぜわざわざリンクを貼っているのかと言いますと……
こうなるからですね。Amazon様が気をきかせて、かの名作ドクタードリトルのタイプミスでは?と指摘してくれるのです。どんなにスクロールしても熱血ボクシング漫画なんて出て来やしません。
何なら、【マスク】の方が先に候補に出てきます。いい加減にしろよ?
余談はこれくらいにして、そろそろ本題に入っていきましょう。始まります。
ドリトライとは
まず、【ドリトライ】という作品の概略を簡単におさらいしておきましょう。
最初にも軽く触れましたが、ドリトライは週刊少年ジャンプにて連載された雲母坂盾先生によるボクシング漫画です。
太平洋戦争終結直後の日本を舞台に、病に臥せる妹を救うべく主人公大神青空が心の強さを武器に裏社会の拳闘大会で成り上がっていきます。
大空は妹を救うことができるのか。戦後という暗い世界、裏社会という汚れた世界を、その心と拳で晴らすことはできるのか。
そして、この熱い挑戦は読者の心を揺さぶることはできるのか……。
なぜドリトライは【有名作】なのか
結果としては、大いに揺さぶりました。インターネットのよくない部分の住人たちを。ええ、私たちのことですよ。
全2巻19話のジャンプ漫画がなぜ有名になっているのか。その理由は、この辺りを見ていただければなんとなく察しが付くと思います。
どうでしょうか。ドリトライという作品名にはピンと来なくても、このページのいずれかや改変などを見た覚えはある!という方も多いと思います。
実際、どれもいい味出してますよね。ゆっくり音声で打ち切り漫画を紹介するチャンネルの主とその視聴者層が大好きそうないい味を。
恥ずかしながら、私もつい最近までその一人でした。ですが、実際に全体を通しで読み、これらのページの本来の味を知って驚愕しました。
この漫画、面白いです。
ドリトライの面白さとは
言うだけなら誰でもできます。心の弱ぇヤツにだって。
そこで、ここでは私の感じたドリトライの良さについて語っていきたいと思います。
ここからネタバレが加速していくので、気になった方は今からでも遅くないので読んでください。
私の思うドリトライの良さとは、用意してる部分はちゃんと面白いという点です。全力で褒めてます。
特にこれが感じられるのは、vs.生野、vs.虹村、vs.父の3試合でしょうか。全2巻でボクシングの試合は4試合しか描かれていないため、実に3/4が名勝負ということになります。凄いですね。
せっかくなので1試合ずつ魅力を感じた点を取り上げてみます。
vs.生野
まず、対戦相手の和泉生野について。通りのよい呼び方で呼ぶなら、彼は「太くね?の人」です。ここで間違ってほしくないのは、彼がクリーンな選手であるということ。裏稼業の選手にクリーンも何もないと言われてしまえばそこまでですが。
このあと試合中にポン打つ心の弱ぇ野郎が出てくるせいだと思うのですが、生野の腕もドーピングであると思われている方が散見される印象です。
しかし、彼については左腕を負傷した状態で妹と共に防空壕に閉じ込められ、7日間動く右腕のみで土を掘り続けた結果生還し、その経験から右腕のみが異様に発達した、というだけです。凄い。
生野は、青空との対比構造を徹底されたキャラクターです。戦災孤児であり、妹を守るために裏社会の拳闘を戦う。己の武器、心の強さとアンバランスな右腕は自分をも傷付ける。
そして、妹を守るための拳を青空が妹を助ける道行を妨げる者にのみ振るうのに対して、生野は守るべき妹にすら振るってしまう。
リング上でも、守りたいものを見失わなわず立ち上がり続ける青空と、守りたかったものを見失い恐怖のままに拳を振るうしかない生野。
ダウンする生野からの「なぜそんなにしぶといのか」という問いに、自らの勝利を告げるゴングと共に「心が強ぇからよ」と笑顔で答える青空。
また、試合後の握手も印象的です。青空は生野戦の前、裏拳闘場の選手資格を賭けた試合の際に、対戦相手から【画鋲を仕込んだ手で握手をする】というイカサマを受け、仲間のはずの兄貴分からも平手打ちを受けたうえで「馬鹿正直に敵を信じるな」と叱責されているのです。
そんな青空が、拳を通じて心を通わせた生野と固い握手をする。少年ジャンプらしい最高に熱い描写だと言えるでしょう。
vs.虹村
続いて、問題の虹村凶作戦。虹村とは、いわゆる「正統後継者」「ポンの人」「作画崩壊の人」です。ちゃんとポン打ってるダメな方です。
虹村は作中で唯一、青空から「心が弱ぇ」と真っ向から否定されているキャラクターです。裏拳闘場でルーキー相手にワンサイドゲームを繰り返し【狂実験】などと大層な二つ名を貰っていたり、作中でも指摘されるくらいに奇抜な服装だったり、やたらと語尾に音符が付いたりと、どこぞの手品師が脳裏をよぎりますが、実態は弱者を自らの力で殴り倒すことで自信をつけたいという、サブ垢手品師とは真逆の思想の持ち主です。
しかし、虹村もまた戦後という過酷な状況の被害者としての一面を持ち合せているのです。戦地では、殴り殺された仲間達の死体の只中に、信頼できる上官であったはずの青空の父がいる様を目撃。恐怖のあまりに独断で日本へ逃げ帰り、家業を継ぐもあえなく廃業。戦地で見た惨状が忘れられず、ポンと初心者狩りに行き着く。
さらに虹村の惨めさに拍車をかけるのが、青空の父の「技」の使い方です。
キメッキメのポーズと共に「正統後継者である」と宣言するだけあって、虹村は青空の父が得意としていた技であるカウンターを使えるのですが、青空も修行によりこれを習得します。
使う技こそ同じカウンターですが、虹村が【苦痛から逃れるため】に使用するのに対し、青空は【苦痛に立ち向かうため】に使用します。
また、青空がカウンターを習得し、技の使用歴では上回るはずの虹村に勝利できた理由をきっちりと用意していたのもかなり好印象でした。
心は強くとも腕っぷしは弱かった青空の殴られ続けた日々が、無意識に受け身の技術を身に付けさせた。そして、持ち前の心の強さと新たな強みとして自覚した受け身を組み合わせることで、敵の全力の攻撃に臆さず飛び込み、全霊の一撃を叩き込むというカウンターの真髄を習得するに至る。
虹村の逃げのカウンターでは辿り着けない境地に立った青空が勝利する、という構図は説得力と爽快感に満ちたものであると言えるでしょう。
虹村戦自体の話ではなくなってしまいますが、虹村、ひいてはドリトライを語る上で作画崩壊は切り離せないワードだと思います。虹村の作画が安定しないところを切り取られて、「ドリトライ=作画崩壊」と認識している方が多い印象なのですが、実際に作画が不安定になりがちなのは虹村くらいなんですよね。たまに青空の兄貴分である黒岩の顔が怪しくなるくらいで、基本的にメインキャラの作画は安定しています。
私は、これらの点を踏まえ、虹村の作画の不安定さは、元々雲母坂先生が面長吊り目がちょっと苦手なところに、ポンをキメる描写での意図的に崩した作画に読者と作者の両方が引っ張られたことで生じてしまったのではないかと考えています。
プロとして連載を持つ以上、この推論の通りならば何の問題もなし!と言うつもりはありませんが、思考停止でドリトライを作画崩壊の漫画と捉えるのはやめていただきたいです。
vs.父
最後は、本作のラスボスにして主人公の父大神夕日戦です。世間では、海を割るコマや「全てを諦めさせる力」、タイトル回収の流れが注目されがちですが、夕日戦に込められた想いはかなり力強いものになっています。
良くも悪くも、ドリトライは夕日戦をゴールとして描き始められたのだろう、と強く感じられます。
生還した夕日が青空達家族のもとへ帰らなかったのは、戦場にて心の強さの無力を思い知らされたためでした。
ボクサーとして有名だった夕日は、その経験からか、分隊長に任命されます。持ち前の熱血さと面倒見の良さから、虹村をはじめとした部下にも慕われていました。
しかし、次第に苦境に立たされる夕日達の分隊。そんな中でも、夕日は部下に心を強く持てと鼓舞するものの、心の強さだけでは戦争には勝てません。好転しない状況の中で、部下の一人がヒステリーを起こし、たちまち分隊全体に広がっていきます。強い心を持ち、立ち向かい続けることを強いられ続けた末に心が壊れてしまったのです。強い心で耐えてきた苦痛は消えてなくなっているわけではないのですから。
そして、何よりも夕日を絶望させたのは、自分の心も負荷に耐えられなかったという事実です。
抜き差しならない状況に抗い続け、結果はただ苦痛を増大させるのみだった。あろうことか、それを他人にすら強いてしまった。
夕日の挫折を知り、一時は青空までもが心の強さの価値を見失ってしまいます。
ですが、青空の心の強さは決して無価値ではありませんでした。
パンチ一つで暴風を巻き起こす夕日に立ち向かい続ける青空の姿が、観客たちの心を触発したのです。そうして「ド級のリトライ ドリトライ」のコマに繋がる訳ですね。
心の強さは強いられずとも誰もが持っていて、自分がそれを発揮すれば見ている誰かを奮い立たせることができる。そうして力を合わせ、苦しい状況に向き合っていこう。
私は、夕日戦ひいてはドリトライ全体を通じて、こういったメッセージを受け取りました。
ドリトライのここが微妙
などと言っておいてのこれです。
別に、私はドリトライのすべてを肯定しているわけではありません。全話読んでの感想は、「世間の評判よりずっと面白いけど、2巻打ち切りもやむなし」ですし。
こっち方面での評価は出尽くしている感があるので、さくっと行きましょう。
描きたい部分までの導線が雑
上でドリトライの良さとしてこのように述べましたが、裏を返すと用意が甘い部分は面白くないということでもあります。
1つ目の山場である生野戦が始まるのが第5話の後半、単行本だと1巻141ページから。これ以前は冗長さが目立ちます。
私は単行本で読んだので心を強く持ちさえすれば読み続けることができましたが、週刊連載では5週目までには大部分の読者が離れて行ってしまっても一切文句の言えない出来だな、とは思います。
生野戦以降も群を抜いて面白い訳ではない
ここまでの3000文字は何だったんですか?
でも、本当にこれに尽きるんですよね。
境遇の似たライバルとの死闘と友情の芽生え。
下衆野郎との戦いでの才能開花と圧倒。
圧倒的な力を誇る血縁者に仲間の助力を得て勝利し和解。
取り上げた3戦は、どれも王道展開で面白かったです。ですが、良く言えば王道、悪く言えば陳腐なのです。
漫画に限らず、フィクションというものは未知との遭遇への期待により成り立つものであると言えるでしょう。
そこにドリトライが用意できた新規性は、終戦直後という時代設定でのボクシング漫画であるという点くらいではないでしょうか。不屈の精神を持つ主人公は少年漫画を軽く一掴みすれば簡単に見つかりますし。
そして、その学士課程の論文並の新規性も、物語の面白さにどれだけ寄与しているのか、ということです。
おわりに
以上が私のドリトライを読んでの感想です。改めて感想を3行でまとめるなら、
ちゃんと読めばちゃんと面白い
ネットでの扱いは過小評価
けど1~4話は擁護できない
でしょうか。
こうした思いがけない出会いもありますので、皆様もコピペや構文の聖地巡礼をしてみてはいかがでしょうか。
終わります。