第34章 中学生の次男が入院 | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月
台北縣石門は台湾の最北端にある鄉(訳注:台湾の行政単位で「村」に相当)です。民国5、60年代は交通がとても不便で、病気になっても衛生所に一人の医者がいるだけで、重い病人は淡水か台北へと送られました。
次男の光德が中学一年生の頃、皮膚炎になり、ふくらはぎにたくさんの水疱ができ、赤く腫れ上がってしまいました。私は老梅の街中にある薬局へ連れて行きました。薬局のオーナーは老年の男性で、次男の足の水疱を見ると、1テール(訳注:およそ37g)の粉薬を持ってきて、「肉屋で少しラードを分けてもらってこの薬と混ぜ、傷口に塗れば治る」と言いました。
彼の指示に従い、夜、シャワーを終えた次男に薬を塗ってやりました。
翌日の午後になると、赤みは消え、本当にすぐに良くなりました。ほっとしたのも束の間、恐ろしいことが起こりました。
薬を塗って4日目の午後、学校から帰った次男が、「ママ、おしっこが赤いんだけどどうしてだろう?」と言うのです。
驚いて実際に見せてもらうと、本当に赤いので、とても不安になりました。時刻は午後4時過ぎです。夫が帰るまでの間、長女に弟や妹たちを任せ、私は衛生所で働く薬剤師の潘さんの家に次男を連れて行きました。
長年衛生所で働いている潘さんは経験豊富で、眷村の人々はちょっとした病気は彼に診てもらっていました。私が次男の足の上の水疱治療の経過と、尿の変色について一通り説明すると、潘さんは「淡水の医者に連れて行きなさい。おそらく水疱の細菌が腎臓に達してしまったのでしょう。薬を塗るべきではなかった」と言いました。
私はとても悲しくなり、潘さんにお礼を伝えると、急いで子どもを家に連れて帰り、仔細を夫に報告しました。
その日はもう遅かったので、翌日学校を病欠して、夫が次男を淡水第一外科病院に連れて行きました。医者は詳細な検査をした後、急性腎臓炎で、入院治療が必要だと告げました。夫は妻に相談してから入院すると答え、家に帰ってきました。
帰宅した夫は、事の重大さを私に伝えると、二人で相談し、次男を台北の空軍総合病院に連れて行くことにしました。ですが、ここからどうやって連れて行けばいいのでしょう?
私たちは村長の楊さんにお願いして、部隊に電話をかけてもらいました。部隊は私たち眷村が海辺の僻地にあるからと、重病人のために陸上隊から車を派遣して空軍総合病院まで送り届けてくれました。楊村長のおかげで、車はすぐ来てくれました。8人乗りの中型ジープです。
運転手を務めてくれた陳おじさんはとても良い人で、夫と同じ四川出身でした。私と同い年の彼は、たった10歳で台湾に来たのだそうです。陳おじさんは我が家の子どもたちを好いてくれて、仕事終わりに何もない時は、よく遊びに連れて行ってくれました。
次男が病気だと聞くと、陳おじさんは命令を受けてからたった15分で眷村まで駆けつけてくれました。私は急いで入院の支度を整え、夫が次男に付き添って車に乗りました。
彼らを見送り、家に帰るとすでに午後3時を過ぎていました。
リビングに座り、自分の無知や、医療の知識がないことで次男をこんなに苦しめてしまったことを心から後悔しました。
夫は次男を連れて空軍総合病院に着くと、直ちに精密検査や入院手続きを済ませ、治療が開始されました。
医者の説明では、幸いなことにまだ急性の段階だったのですぐに細菌を抑えることができたということでした。ここからゆっくりと回復していくものの、病院でしっかり治療することが必要で、学校は一ヶ月ほど休むよう言われました。
夫は13歳の次男の入院手続きをする際、子ども用の病室はやや狭く、大人用の病室だと広すぎたりして、病室の手配がなかなか難しかったそうです。
後に夫は、同僚の王さんがいる5人部屋を見つけました。ちょうど、軍隊が王さんの世話係に派遣してくれた陳さんも夫の同僚でしたから、夫は次男の病室を王さんと同室にしてもらえるよう、病院に頼みました。同時に、陳さんにも次男の世話を頼みました。次男の入院が始まったばかりの数日間、夫は家と病院を行ったり来たりしながら状況を確認し、一ヶ月の入院の必要性を理解しました。
夫婦ともになかなか次男に付き添う時間が取れませんでしたが、幸いにも陳さんが彼の世話をしてくれることになり、私たちは感謝の気持ちでいっぱいでした。
次男はとても良い子で物分かりも良く、勇敢に病院で治療を受けました。
私たち夫婦は交代で病院へ行き、次男に会いに行きました。台北の看護学校に通っていた長女も、休みの日は次男の病院に行って付き添ってくれました。
入院期間中、次男がお世話になった二人の看護師さんにも感謝しています。次男が中学一年生で、学校を休んで入院していると知ると、彼女たちは数学や英語の勉強を手伝ってくれました。
皆さんのおかげで一ヶ月後、次男は無事に退院することができました。
退院して3日目、学校に戻るとすぐにテストが待ち構えていましたが、英語は100点で、他の教科もまずまずの成績でした。私たち夫婦は入院が成績に影響しなかったことを喜び、二人の看護師さんたちに感謝したのでした。
次男はすぐに健康を取り戻し、中学3年生を穏やかに過ごしました。
学校では常にトップの成績でしたが、高校入試では兄と同じように成功高校の夜間部だけを受験しました。
彼は静かな性格で、夜に授業を受ける以外、昼間は台北学苑で懸命に勉強しました。3年後、清華大学の動力機械部に合格しました。
良い知らせを聞いた中学の頃の担任教師・王國智先生と、台北県議会の元議員の林さん(後に次女の夫となる方の祖父)が、石門からわざわざ連れ立ってお祝いに来てくれました。
皆さんのおかげで、次男もついに国立大学に合格することができて、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。